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外道料理人(6)



さっくりと、真ん中から大胆に割って溢れ出た肉汁を見て、エルジュベートさんの顔は輝いた。


「へぇ、こいつは見事なものだねぇ! この匂いといい、様子といい、なんとも胃袋がきゅうっとなるよ」

「突然肉料理など口にして大丈夫なのか? 君はもうずいぶん、まともに食事をしていないじゃないか」


心配し顔を顰めるザリウス公爵の言葉は自分を心配してくれるものだとわかっている。それであるからエルジュベートさんはちょっと眉を跳ねさせて、サクッと刺した肉料理の一口分をザリウス公爵に向けた。


お前が先に食べてみろという意思表示だろう。公爵は私の方をチラリ、と見て気まずそうに咳払いをする。はぁん、ハイ・アーンという素敵な状況であるのに羞恥心とか男としてのいらん対面が気になって素直に口を開けられないらしい。


私はミテマセンヨーというように両手で顔を覆う。


「ほらほら、公爵。早くやっちまわないか。意気地のないねぇ」

「わ、わかった」


ちょっと開いた指の隙間から見える光景は、なんとも穏やかなものだ。

世に裏切りの聖女だなんだと言われる女性から、聖王国の宰相殿がハンバーグを一口、直々に食べさせて貰っている。


「うむ……うむ……うーむ…………これは、これは」


ゆっくりと租借して食べながら、ザリウス公爵は頭を抱えてしまった。


「うん? どうしたんだい。まさか口に合わなかったのかい?」

「……なぜ、私の分はないのだろうか?」

「あっはははは! そいつぁ残念だったねぇ!」


大きな口を開けて笑い、エルジュベートさんは自分もぱくり、とハンバーグを口にする。


目を閉じて、じっくりと味わうその顔は真面目な顔から、一気に破顔する。笑うとその場が明るく、太陽が昇ったようになるような女性だ。


エルジュベートさんはことり、とフォークを置いて口元を布でぬぐった。


「あぁ……うまい。なんてうまいんだろう。とてもやわらかい。肉なんて硬いものだとばかり思っていたけれど」

「ひき肉にして細かくたたいています。そこにパン粉も加えてよく捏ねていますので、空気もはいってふっくらとするんです」

「パンコ?」


そうか。この国ではパン粉というものは使われていない。私はパンを乾燥させて削ったものだと説明すると、エルジュベートさんは不思議そうな顔をした。


「へぇ、そのまま食べられるものを態々潰しちまうのかい!」

「パン粉は油を吸って美味しさを出しますし、肉同士がバラバラにならないようにつなぐ役目もあります」

「この中に入ってる野菜、こいつは元々、かなり辛い野菜のはずだ。随分甘くて柔らかく感じるけど、これも何かしたのかい?」

「玉ねぎは元々土からの栄養を糖質で貯え……えぇっと、元々果物並に甘い野菜なんです。でも辛みの方が感じやすくなってしまっているので、その辛さを熱で分解することで、本来の甘さを感じられるようにしました」

「元々甘いだって? 玉ねぎが?」


嘘だろう、と驚いた顔をするので、私は「本当です」と頷いた。

エルジュベートさんは疑うようにじぃっと、ハンバーグの中のみじん切りにされた玉ねぎを見つめる。


「これは、あんただけが知ってることかい?」

「いいえ。私は以前、ザークベルム家が管理するクビラ街というところで、街中の女性たちからその家で食べられている料理を教えて貰った事があります。炒める、という調理方法とは違いましたが、そこでは水で辛みを溶かすというやり方があるそうです」


マーサさんのための餃子パーティをするために、地元の女性たちと集まってあれこれ料理についての話を聞いたときの事を思い出す。


この大陸の基本料理の調理方法は焼く・煮る・蒸すというもので、中華料理のように火力と鉄の熱伝導で炒める、というものは未だない。以前スレイマンと二人だけで旅をしていた時、シチューを作る際、鍋の底で野菜を転がしていたら不思議そうな顔をされたのが懐かしい。


しかし、調理方法が異なろうとも、食材を生かす手段は生まれる。


「その時、街の女性に聞きましたが昔は砂糖をまぶしてみたり、すりおろしたりしてなんとか食べられないかと『甘くする』『辛さを飛ばす』ことを目的としてあれこれされていたようなんですが、辛みさえなければ甘い、と気付いた誰かが、水で辛みを溶かしてしまおう、と試したみたいですね」

「ずっと辛くて食べにくいと思われてた物が、誰かが、本当は甘くておいしいものだって、気付いてくれたってことかい」

「はい」


頷くと、エルジュベートさんは黙ってしまった。

そして再びフォークでハンバーグを食べ始め、あっという間に平らげてしまう。


「聖女なんてやってた頃、王宮で貴族たちが出す煌びやかな料理や、聖女に奉げられるような贅沢なものを多く食べてきたのに。ふふ、笑っちまうねぇ。あたしはこんなボロボロの服で、鼠さえ寄りたがらない地下室で、食べるこの料理が、これまでで一番うまく思えるよ」


奇妙なものだ、と笑うエルジュベートさんにザリウス公爵は顔を伏せた。


私は少しだけ、悔しく思う。


料理は自分でも上手くできたと思う。けれど、食事というのはそれだけじゃ駄目なのだ。もっとこう、環境を整えたかった。いや、今でも、燭台で雰囲気を出したり、できるだけ綺麗な布をテーブルクロスの代わりにしたりして、努力はした。


だけど折角の美味しい料理、もっとこう、もっと、テーブルに花を飾ったり、綺麗なカトラリーを並べたり、それに、肉料理なら美味しいお酒やパン、チーズだって欲しかった。


肉の量だって、もう少し加食部分が多ければザリウス公爵の分も作れて、二人で食卓を囲む、という、晩餐形式にも出来た。お喋りをしながら、美味しい料理を食べて貰えた。


「ありがとうね、美味しかったよ」


エルジュベートさんは笑う。満足だよ、というように微笑んでお礼を言ってくれるけれど、私は自分が恥ずかしかった。


「何かご褒美をやらないとね? そうだろう、ザリウス公爵」

「君が満足したなら当然だ」


何も言えずにいる私の手をエルジュベートさんは取り、顔を覗きこむ。


「さぁ、何か望むことはないかい?」


望むこと。


あれこれと考える。

竜次郎シェフの工房への紹介状や、聖女としてエルジュベートさんが知っているこの世界の話、今、私がしなければならないことなど、あれこれ、浮かんでくるものはある。


でも何が一番正解なのか私にはわからない。


うまくやらないといけないのに、立ち回らないといけないのに、このタイミングで願うべき最適解がわからない。


「……これから、何をしたい?」


答えられない私に、エルジュベートさんは静かに問い直した。


「えっと、私は……聖女候補生として、きちんと勉強して……私が、ちゃんと、価値ある人間だって、証明しないといけないと思っています」

「それはなぜ?」

「スレイマンを生き返らせる方法を探すためです」

「それはあんたが自分でしなきゃならない、と決めたことだし、職業聖女になってもあの子を生き返らせる方法にはたどり着けない。既に職業聖女のあたしが言うんだから、あんたが歩こうとしてるその道は違う」

「でも、でも、おばあさまが知らないだけで……古い書物とか、何か、手がかりはあるかもしれないじゃないですか」

「無いね。人間種の知識には人を生き返らせる方法、なんていうのはない。手がかりもない。あたしは玉ねぎの食べ方は知らなかったが、この世界の最高機密は知ってるし、聖女がどうやって魔王を人の中に封じたのかも全て知ってるから、言い切れる」

「おばあさまは、スレイマンが自力でどうにかするから、私は他のことをしろって、言いたいんですか?」


料理をする前に言われたことを思い出して聞く。

スレイマンが自力で生き返る、というその話。妙に説得力はあったけれど、でも、私はそうは思えないのだ。


あの時、あの瞬間、あれは何もかも、私が軽率で、スレイマンが予期できたものではなかったはずだ。突発的過ぎたものだったのだ。


「ザリウス公爵、この子を傷付けてもいいかい?」


納得できない私に、エルジュベートさんはザリウス公爵にちらりと視線をやって、公爵が何か答える前に、ぐいっと、私の腕を掴んで引き寄せ、その瞳に私を映した。


「あの子を生き返らせる方法を探すことで、自分を正当化するんじゃあないよ」




+++




「よくここまで来れましたね」


聖務を終えて、自分の執務室に戻れば見慣れた後ろ姿があり、一瞬だけモーリアスは動揺した。しかし、その現れた男性が、明らかに自分の記憶の師とはかけ離れた装いと髪型をしていたので、その動揺は瞬時に怒りにも似た何かにかわる。


「堂々と入り口から入って進んだら、誰も邪魔しなかったわよ。それにしても、異端審問官ってもっと怖い顔のオッサンばっかかと思ったけど、貴方は随分優男なのね」


踵のいやに高い靴に、体の線がはっきりと出るような、露出こそないものの妙に卑猥な印象を受ける奇妙な服を着た長身の男は振り返り、紅を塗った赤い唇を歪めて見せた。


「魔女の娘、呪われた女の残骸が、我が師を穢すな」

「ハン、教会が勝手に魔女だと烙印を押しただけ、私の母は偉大なる神代の一柱よ」


報告は受けている。

ザークベルム家を長く呪った、氷の魔女の娘ミシュレだ。それが師の体を使い、自由気ままに我が物顔で動いているのを見るのは不快極まりない。


モーリアスは顔を顰め、何の用だと問う気もなく、拳を握って力を籠めこの異端者を追い出そうと思った。

だがその前に魔女の娘はどっかりと、当然のように執務室の椅子に腰かけ、モーリアスを見上げる。


……忌々しい、だがその堂々とした姿にかつての師を思い出し、モーリアスの心が揺れた。


「何か、御用ですか」

「あの妙な料理人のことよ。どこまで調べてるの?」

「何のことでしょう」

「私をエルザのような馬鹿な小娘と一緒に思わないで頂戴。あの男は異端者だわ。聖王国が『正義のため』に行う何もかもに泥を塗ってる。でもあの男一人で出来る規模じゃない。一朝一夕でもない。異端審問局が気付いたのは最近? だとしても、それならもう遡れてるはずよ」


魔女の娘の赤い瞳がモーリアスに向けられる。

敵意はない。だが、己を騙すなと、侮るなという瞳のその強さを感じてクラクラと眩暈がした。違う違う、これは違う。この、男、いや、娘は違うのだ。


「答える必要はありません」

「この俺が、答えろと言っているのだ。モーリアス・モーティマー」


びくり、とモーリアスの体が震えた。


「……」

「似てた?ねぇ、似ていたかしら?」

「この、異端の屑が……」


低い声。他人を同じ命と思わぬ絶対的な支配者の声。その瞳の冷たさまでまるで酷似していた。


「……貴様は、誰だ?」

「いやねぇ、私はミシュレ。偉大なる氷の魔女ラングダの娘よ」


赤い目の男が笑う。化粧をした男の顔で、モーリアスが今も焦がれてやまないただ一人の師の顔で嗤う。こちらの感情も何もかも承知の顔だ。


モーリアスは今すぐミシュレの首を絞めてやりたかった。だが、そんなことはできない。

ぐっと、込み上げる憎悪をなんとか押し留めて、ミシュレを視界から外す。


「こちらが掴んでいる情報で、お教えできることは三つ。リュウジロウという異国の男がガニジャの成分を無効化する料理を作り、貴族の間に広めています」

「その料理は広まったのは最近だけど、研究は前からされてたってことね。今のタイミングで流行らせるべきだって、放出したように思えるわ」

「えぇ。二つ目は、その料理を紹介し斡旋している貴族、その人物は地の国の貴族……つまり、高位魔族と呼ばれる存在と契約をしている、ということです」


地の国の貴族については、詳しい説明は不要だろう。

ザークベルム家の娘として生まれ直してきたミシュレならば、この大陸で生きる貴族としての教育を受けているはずだ。


ミシュレは頷き、そして眉を寄せた。


「高位魔族との契約だなんて、随分と……無謀なことをしたものね?」

「えぇ。異端審問官として、時折、下位の魔族と契約し私利私欲に走ろうとする愚か者は目にしてきましたが、高位魔族ともなると7年前のスル小王国以来でしょう」


聖女の結界に守られた土地に、本来魔族は関与できない。しかしこちらの自我の弱い動物や子供の精神を乗っ取って干渉してくることはある。その器以上の力は使えないし、魔力を出し過ぎれば即座に結界の力で消滅してしまうが。


7年前、スル小王国というところで、蛇に唆された女が国の神器を破壊して泥を招き入れようとした事件を思い出しながら、モーリアスは言葉を続ける。


「こちらの掴んだ情報によれば、その貴族は虫けら……いえ、魔族に死者蘇生を持ちかけられて契約を結んだ、とか。昔から、連中がよく使う手です。死んだ者を生き返らせる方法などあるはずがないというのに」

「それって、エルザの事も言ってるのかしら」


ぎしり、と椅子を軋ませながら魔女の娘が長い脚を組み替えた。


「不可能だと思ってるの?」

「道理ではありません。人は死すべき存在です。そのために生まれてきたもの。それは、あの御方とて変わらない」

「でもエルザはやるわ。あの子はきっとやる」

「なぜそう言い切れるのです」


それはどう考えても不可能なことだ。


魔族たちの言う死者蘇生にしたところで、死体を動かし低級の魂を定着させるだけというのが真実だ。今現在、スレイマン・イブリーズの体を使い動いている魔女の娘がわからないわけがない。


「なぜって? 決まってるでしょう。意地があるからよ」

「は?」

「意地よ、意地。わからない? 私は意地だけで何度も生まれ直した。砂の聖女は意地だけで白の塔から我が子を逃がした。歴戦の勇士も英雄も、賢い政治家も、諦めればそこで終わり。意地を張る。自分の思うことを、無理だろうと押し通す、それができなきゃ埋もれるしかないけど、そんな性分じゃないのよ」


当たり前のように、ミシュレは語る。だが、それは愚かなことだとしかモーリアスには思えない。


執念、執念ならばわかる。


そうと決めたこと。目的のため、それを達成させるために挑む、挑み続ける。だが意地とは、執念とは少し違うだろう。執念は、出来る道がある。それを進み続けいずれたどり着けると、定められているものだ。だが意地は違う。それは、小汚いものだ。見苦しいものだ。


本来、叶えられてはならないものを、己のわがままというだけで、己の我というだけで、無理に押し通すものだ。


「エルザは馬鹿よ。賢い目をしているのに、とても愚か。この男の体にしたって、最高の状態で保存するだけなら、あの子を好いている星屑種のところで守って貰えばいい。なのに私を入れて、傍に置いてる。その意味がわかる?」


愚かな行為、と前置かれたことを、理解できると思うのは恥だったが、モーリアスには少しだけ、理解ができた。


しかし肯定も否定も表したくなく、黙っているとミシュレが笑う。


「違うとわかっていても、この体とこの声が、この目が動いているところを見ていたいのよ。馬鹿みたいでしょう?」

「先ほどの話し方は、聖女様がそう望んで振る舞わせている、ということですか?」

「まさか。エルザは嫌がるわよ。だから私はこんな奇抜な恰好してるんじゃない」

「矛盾、していませんか」

「してないわ。違うってわかっていないとおかしくなるって自覚しているだけよ。あぁ、話がそれたわね。それで、三つめは?」


この話題を長く続けていてもお互いに意味はない。

モーリアスは一度目を伏せて気を落ち着かせる。


「三つめは、その貴族についてです」

「あら、教えて貰えるの?」


これは、リュウジロウという男に資金提供している貴族が誰か、貴族たちの間でその料理を広めているのが誰か探れればわかることなので、隠すようなことではなかった。


「その貴族の名はファーティマ・ザリウス。前宰相閣下、グリジア・ザリウス公爵の奥方、つまりは聖女候補生序列一位サーシャ・ザリウス様のお母上ですね」




Next

Twitterでフライング登場してた地の国の貴族がやっと本編に登場する、かもしれない。

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