外道料理人(5)
最も美味しい肉料理とは何か?
もちろん、人によって上げられる物は様々だろう。一枚の分厚いステーキ肉こそ至上の肉料理だと言う者もいるし、加工したものならチャーシューが一番だとその手間暇を熱く語る者もいる。
使う肉だって牛・豚・鶏の三種類に絞っても調理方法、食べ方はそれこそ千差万別……ただ焼いて何かソースをつけて食べるだけが肉料理ではないことは、食文化の栄えた世界で生きている文明・文化人であれば誰もが理解しているところだと思う。
さて、そんな中で私は今現在、最も作るべきだと感じている肉料理は何だろうか。
「えぇ、まぁ、ハンバーグ一択ですよね、えぇ、どう考えても」
美味しい熟成肉や、駄目になって使えない野菜の残骸たちを眺めながら私は一人うんうん、と呟く。
どうも、すき焼きには生卵を入れたい野生の転生者、エルザです。
やってきましたどこぞの隠された地下室。
そこで出会った、ジプシーのような風貌の女性こそスレイマンのお母様と聞いた衝撃は、奇跡的に生まれた熟成肉のおいしさで消え失せました。人生何があるかわかりませんね。
ハンバーグ、ハンバーグ。ハンバーグ・ステーキ。
元々はタタール人たちが硬い馬の肉を食べられるように細かくミンチにし、野菜を加えて丸く成型した肉料理「タルタルステーキ」であると言われている。
それがドイツの労働階級者向けに流行し、そこから18世紀あるいは20世紀にかけてアメリカへドイツ系移民が伝えたとされている肉料理。
日本に伝わって来たのは、洋食文化が栄えた明治時代、ではなく、これは他の料理とは少しだけ時代がズレて昭和初期ごろであるが、このころのハンバーグは私の知るふっくらとした肉感のジューシーな食べ物ではなく、どちらかと言えばTHE・肉を前面に押し出した、ステーキに近い物で名称も「ハンバーグ・ステーキ」と、えぇ、俺は肉だと言わんばかりの自己主張っぷりの料理だったそうだ。
それが今の、パン粉や卵など繋ぎを入れる形になったのは、日本の……素晴らしいご家庭の主婦の方々の努力のたまものである。
時は1960年代、高度経済成長期、お肉は高かった。
戦時中のカロリー主義から、栄養バランスの取れた食事へ、と日本の食卓に並ぶ料理の見直しがされた時期でもある。
美味しくて栄養があって、豪華な料理を食卓に並べたい……そう、大切な家族のために考えたご家庭の料理を作る方々は、比較的安価なひき肉(合挽)を使った料理を!と求められた。
またこの時代は、レトルト商品が「使い勝手がいいし、使うのはおしゃれだ」とされた風潮もある。
合挽肉にカサ増しのパン粉やみじん切りの野菜、卵を加えて丸めたものに、ちょっとオシャレな、どこぞのレトルト食品のソースをかければ「うわぁ、今夜は豪華だね!」とご家族にっこり、食卓が華やぐわけである。ロールキャベツなんてその典型だ。ありがとうレトルト食品。ごめん、偏見も混じってる。
まぁ、そういうわけで、アメリカやドイツでは見られない、パン粉や卵を加えたハンバーグ、というものが日本のご家庭では一般的になった。
私の生きた時代では「パン粉や玉ねぎなんて不要。本来は肉に塩と胡椒を入れるだけで成形できる。本当のハンバーグとは肉だけのものだ!」なんて本格派(失笑)も出てきたが、ハンバーグにルールなんぞあるわけがない! っていうかそもそも、その時代や食文化にあった形が生み出した料理に貴賤を付ける必要などないのである。
そもそも! ただのカサ増しというだけでパン粉や玉ねぎを入れるのではない!!
考えて欲しい。
ご家庭で……ご家族のために料理を作ったご婦人たち。彼女達は誰のために料理を作るのか。
一番は、もちろんお子様たちだろう。
可愛い我が子。一生懸命生きて、健やかに育ってくれとお母さまたちは毎日の食事に、それはもう気を使う。
けれど子供たちは、えぇ……怪獣だ。
あれが食べたくない、これは嫌だ。肉のくさい感じがいやだ、野菜なんて食べたくない。えぇ、えぇ、ギャーギャー言う。仕方ない。子供は怪獣だ。仕方ない。
だから、お母さまたちは工夫した。
お肉が臭くないように、一生懸命野菜を炒めて甘さを出した。牛乳でやわらかくしたパン粉を混ぜることで、肉汁を吸わせてふっくらと、食感も優しいものにしてくれた……
味付けだって、ただオシャレなソースをぶっかけるだけじゃない。
子供が好きそうなケチャップに、ちょっと特別感を出してあげたいとマヨネーズを混ぜて「オーロラソースよ♡」なんて、オーロラ? 子供にわくわくと期待感を抱かせてくれる。
付け合わせに彩野菜を加えるのも、見栄えだけの話ではない。
お肉が苦手な子なら、一口食べてお野菜を食べれるし、お野菜が苦手な子でも、ジューシーなハンバーグを食べたら自然とお野菜に箸が向くという不思議な傾向もあった。
そしてハンバーグに、えぇ、チーズや目玉焼きなんぞ乗せてしまえばもう、狂喜乱舞だろう。ふわっふわハンバーグにトロットロのチーズ、または半熟卵!!なんだそれ、最高か!ありがとう世界!!
チーズインハンバーグ。インっていうかオンじゃないのか。まぁいいか!
ありがとう全国のお母さま! ありがとう、日本の優しい食文化!!
ハンバーグは母が子を思う心で出来ている!!!
「と、いうわけでハンバーグを作りますので、宰相閣下、このお肉をひき肉にしてください」
「……君が何を言っているのか、まるで理解できないのだが」
私は両手を上に上げて神々や日本全国のお母さまに感謝の祈りをささげ、そしてくるり、とザリウス公爵を振り返ると、公爵は頭でも痛いのかこめかみを抑えている。
「つまり、歯が痛くて咀嚼能力も低下している、高齢のエルジュベート様でも美味しく食べれるお肉料理を作ろう、ということです。食が細くなってる方にいきなり肉? と思わなくもないのですが、あの方の内からあふれるエネルギッシュさ……大人しくパン粥とか召し上がってはいただけないでしょう」
「……まぁ、それは確かに。しかし、私は料理などしたことはないぞ」
「魔術が使えるなら大丈夫です。公爵家の方ってことは、そうとうな魔力をお持ちの……優秀な方ですよね?」
こう、お肉を魔術で一気にミンチにしてほしいと説明すると、宰相閣下は嫌な顔をした。
「……崇高な魔術を、そのようなくだらないことに使うなど、私の貴族としての矜持が許さない」
「できないんですか?」
「したくはない、のだ。魔術とは選ばれた者が使える優れた特殊な能力。それを、誰にでも出来る料理如きに、容易く使うなど……」
不遜極まりない、と顔を顰めて不快を表現してくれる宰相閣下の寝言を聞きながら、私は『スレイマン、早く復活して貰わないとなぁ』とじんわり思う。
私は魔法のテーブルクロスを広げ、そこにお皿とお肉の塊を置く。
「すいません、それじゃあちょっとここに、魔力込めて貰えませんか?」
料理の依頼をしたのは自分である、という自覚はあるのだろう。それくらいなら、と、ザリウス公爵はテーブルクロスに軽く魔力を込めてくれた。
そして発動する、スレイマンの魔術式。
「っ!!? なん、なんだ!!? この、バカげた規模の魔術式は!!!!?」
一気にミンチになって綺麗に一塊になるお肉はお皿の上でキラキラと輝いている。それを見てグリジア公爵は顔を引きつらせ、尻もちをついた。
「何って、調理器具ですけど……」
「瞬時に対象物を選別し、皿には一切の傷をつけず目的のものだけ細かく切り刻み、しかも殺菌もしている……時間が経過して劣化せぬように時間魔法まで付随させている……だと!!!?」
がばっ、と起き上がったザリウス公爵はテーブルクロスをひっつかんで、その刻まれた魔術式をガン見し始めた。
「その他に……せ、聖なる炎が……こんな布きれで発動できるようになっている……!!!? 神聖なる水も!!? どうなっているのだ!!!?」
「スレイマン、すごいっ、とってもべんりなんですよー!」
わぁいっ、と私は子供らしい無邪気な笑顔を浮かべてみる。
「……これは、魔王の遺物か」
「ちなみに以前私から私物を奪ったチンピラがいたんですけど、スレイマンが私にかけてくれたセコム、防衛魔術が発動して腕が切り落とされました。今も治ってません」
「……」
ぎらり、と公爵の目に欲深な色が浮かんだので私は念のため、トールデ街での被害者の話をしておく。
「……ぐ……では、君から私に、貸す……というのはどうだ。売ってくれれば望みの金額を支払おう」
ザリウス公爵はもっとテーブルクロスを調べたいらしい。
レンタル料として提示された金額は確かに魅力的だ。具体的には、私の借金にあてるとか。
「調理を手伝ってもくれない方に大事なテーブルクロスを貸すのはちょっと……っていうか、無理です」
しかし、私は貸す気はないし、手放すなど持っての他だ。
これはスレイマンが私に作ってくれたものなのだ。
きっぱりと否定して、調理に戻る。
硬くなったパンはポロポロと指で砕けるようになっていたし、玉ねぎさんはこんな苛烈な環境の中でも無事だった! さすが強い食材!
古くなった油は聖なる火で温めれば色が澄んできたので、これは無事に使えそうだ。
「何か手伝うことはないかね?」
玉ねぎをみじん切りにしてじっくりと炒めていると、そわそわとザリウス公爵が声をかけてくる。人間、現金なものである。馬車の中で威圧してきた人物とは大違いだ。
ありがとうスレイマン! いなくなっても守ってくれて! おばあさまには美味しいハンバーグを出しますからね! と、私は心の中で叫んで、公爵を振り返る。
「それじゃあ……このお肉と玉ねぎをよく冷やしてください」
「そんなことか、それなら氷魔術で容易い」
「といっても、凍らせちゃだめですし、周りの空気が冷やされて水分が含まれるようになったらだめですよ」
氷魔術で氷を作って、それを当てて冷やせば解けた氷の水が入るし、ボウルか何かに充てても同様だ。
真空状態で冷やせ、と無理な注文をしているのである。
「……私はエルジュベート様の所へ行っているよ」
諦めた。
早いな。
スレイマンの布以下だと悟った公爵閣下はとぼとぼと退出し、残された私はちょっと意地悪を言い過ぎたかな、と反省する。
ハンバーグを作る時は、出来るだけ手を冷たくしておく。
肉料理は大抵そうだが、自分の体温で肉の脂がとけてしまわないためだ。
いや、ステーキなんかは焼く前に常温に戻すのが鉄則なので殆ど、というわけでもないか。
私は両手を氷水で冷やし、綺麗に拭いてからよく捏ねる。肉と塩が混ざると粘り気が出てきて、形成するだけならこれだけでも十分だったりするし、THE・肉を感じたいのならこのまま焼く方が確かに良い。
熟成肉のとても良いお肉なので、食べるのが食べ盛りの若者なら私は今回このまま焼いたものを出そうとしただろう。
そこに冷たく冷やした玉ねぎやパン粉を加える。私の得意なスペイン風のハンバーグにするなら、ここで香辛料を多めに入れるところだが、ここは定番のナツメグとシナモン程度にしておこう。
適度な大きさに分け、丸めたものを両掌の間で叩くようにして空気を抜く。
この空気を抜く作業をしないと、焼いている時に割れてしまって折角の肉汁が溢れ出てしまう。
真ん中に窪みをいれ、これで中まで火が通りやすくなるし、周りが焼けすぎてパサパサしないで済む。
ハンバーグの焼き方は中火三分を裏表、あとは強火でフランベ、と言われる。
フランパンは見当たらなかったので、普段スープを作っているであろう鍋(さっき炒め物もこれを使った)を熱し、底にハンバーグのタネを並べていく。
+
「随分と変わった子じゃないか、あの娘は」
「他人事のように言わんでくれ」
隣の部屋から漂ってくる、なんとも食欲をそそられるにおいに目を細めながら、裏切りの聖女、エルジュベート・イブリーズは口の端を吊り上げた。
てっきりあの子供の監視を続けるとばかり思っていた宰相閣下は、ひどく疲れた顔をして戻ってきて、それっきり一言もしゃべらないものだから、エルジュベートは少し意地悪をしてやりたくなったのだ。
「他人事で何が悪い?」
「孫のように思っているのだろう? なら、あの子供の今後に多少なりとも責任を感じてくれないか」
「ははは、そりゃあ、どだい無理な話さね。あたしはここに閉じ込められてる。次の聖女が決まれば殺される。そんな未来も希望もないあたしがあの子に何かをしてやりたいなんて、傲慢に思えるものかい」
「傲慢な思い一つで、白亜の塔の全てから赤ん坊を逃がせたあなたが何を言う」
呆れて言われたので、フン、とエルジュベートは鼻を鳴らした。
そんなこともあった。
思い出すのは懐かしい。
あの頃は、自分は無敵だと思っていたし、世界中のなにもかもが自分の思った通りに行くと信じていた。
泥に浸食されないようにと逃げ延びた先で、家族を助けたいのなら聖女になれと脅され、あれよあれよという前に聖女になった。
誰もに聖女様聖女様と傅かれて、自分は立派なモンになったと勘違いもした。それで、妙に責任感みたいなものも芽生えて、自分が世界を守るんだ、守らなければならないんだと、そう必死に必死に思い込んで、思い込まされて、今思えば、良い様に利用されていただけの小娘だった。
とっくに家族は異端の異民族として殺されていたと知った時、腹には魔王の器を身籠っていた。
「それで、今、外で何が起きてるんだい? 宰相閣下がこの所、あたしなんかのところに足しげく通う。昔の情でも今更思い出すような男じゃない。魔王の娘なんて噂されてる子供を連れ込んであたしの機嫌を窺いたいほど、あたしにさせたいことがあるんだろう?」
閉じ込められて十五年。
それでも時折、星屑たちのささやきは聖女であるエルジュベートの耳に届いていた。問うてみれば、かつてエルジュベートの聖騎士であった男の兄は、その顔に高位貴族らしい誇りと責任のある色を濃く浮かべ、ゆっくりと口を開いた。
「魔族と契約した者が、この王都にいる」
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最近毎晩煮込みうどんです。
寒くなってまいりました。