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外道料理人(4)


案内されたのは、湿気とカビのにおいのする薄暗い部屋。

申し訳程度にある竈と、備え付けの棚には萎れた香草や変色した油、麻袋の底に僅かに残った硬い豆があるばかりである。


「随分と酷い食事事情のようですが」

「聖女ともなればその身の内の神力で水や僅かな糧のみで何年も生きられる。これも、あの方への刑の一つなのだ」


裏切りの聖女を殺してしまうわけにはいかない。けれど欺かれた、たばかられた、何か酷い仕打ちをしてやらないと気がすまないと、そういう結果らしい。


「グリジアさん……ザリウス公爵様は先代聖女様によく差し入れをされているのですか?」

「周囲の目もあるから、そう頻繁にはできないがね。せめて七日に一度くらいは肉や魚を食べて貰おうと牢番を買収している。今夜がその日だ」


しかしこの半年ほど、いつも出るドロっとした濁った水で作った豆のスープと硬いパンを一口か二口食べるだけで、まるで食欲というものを見せなくなってしまったらしい。


あれこれと珍しい果物や体にいい薬を持ってきてもエルジュベートさんは受け付けず、しかし体は神力によりやせ細ることが無いままだという。


「おばあさまには色々現在の症状を聞きましたけど、頭痛と、吐き気がして食べる気になれないってことでしたね」

「無論、医者には見せた。聖女の体に何かあってはまずい。最高位の医術者に体の異常がないかを確認させたが……体の内には問題がないそうだ」


病や怪我の類ではない、というが、私は食欲不振の原因に見当がついている。


「単純に虫歯だと思いますが」

「ムシバ……?」

「歯の病気ですよ。見たところ歯磨きが出来る環境ではなさそうですし、歯の間に詰まりやすいパン屑や豆類、トロみのある水分では口腔内に残渣が残ります」


料理人にとって虫歯というのはとても身近な病気だった。


何しろ仕事中ずっと口腔内には食べ物がある。味見を四六時中するので、そのたびに歯を磨いている時間などない。


歯は宝だ。


噛み合わせが合っていないだけで頭痛や内臓の病気にも繋がるし、乳歯でない歯は抜いてしまえばもう生えてこない。再生治療が私の前世では研究されていたが、前世の私の生きていた時代では『歯は失えばそれまで』であった。


しっかりと硬いものを噛むことであごの力が強化され、脳の活性化にもつながる。

食事を楽しむにあたり、丈夫な自分の歯があることがどれほど素晴らしいことか、あえて言う必要がないくらいだ。


そして、その歯が失われる可能性のある虫歯はとても恐ろしいものだ。


まず単純に、痛い。


寒いのや暑いのは我慢しようと思えば出来る。叩かれたりするものは一瞬で済む。しかし、虫歯……歯の、神経が直接痛む、というのは大の大人であってもとてつもない激痛である。


虫歯の菌によって認知症が進行したり、原因になったりする、という研究もあるほどで、ボケずにいつまでも元気でいたい方は口腔ケアをしっかりしたほうがいいと私は思っている。


この世界の口腔ケアはうがいと舌のケアがメインのようだった。舌を掃除する小さなヘラのようなものがあって、それを使う。平民であれば塩水、貴族や金持ちになると殺菌効果がある薬を溶かした水でうがいをする程度。


歳を取れば歯は朽ちるもの、悪い歯はそのうち抜ける、という認識らしくあまり虫歯の治療法は研究されていない。


虫歯を放って置くと肺炎になったりもするので治療方法はあったほうがいいと思う。

いいのかそれで、と学校で習ったときは突っ込みたかったが、まぁ、それは今はいいとして。


「虫歯による頭痛や吐き気はあとでお医者さんになんとかして頂くとして、はい、そんなことより、レッツクッキングですよ!!」


原因がわかれば、きっと誰かがなんとかするだろうとその辺りは私は丸投げする。


「さて、何を作りましょうかね! ザリウス公爵様は誰が食べても美味しいと思う料理、とかそういうふざけた注文で、おばあさまはスレイマンの好きな料理ですね! えぇ! 面倒くさいオーダーも私はにっこり承りますよ! はい、私に不可能はありません!!」

「……ここへ来る前と、顔つきが違うようだが」


さて、と持参した前掛けをつけて魔法のテーブルクロスを広げればグリジアさんが妙なものを見る目で私を見た。


「おばあさまと話したら、なんかちょっと、こう、思うことがありまして」

「ほう。スレイマン・イブリーズを蘇生させるという件か?」

「それは公爵様には関係ないですから答えませんよ」

「関係はある。あの男に殺された前宰相こそ、グリジア・ザリウス。私の弟だ」


がっしゃん、と私は棚を漁っていた手を滑らせて、何も入っていない鉄製の小鍋を落としてしまった。


「今、その情報言います?」

「弟の仇を打てる機会があるのかないのか、それは知りたいところだ」


私の動揺とは反対に、ザリウス公爵はケロリとしている。


……つまり、メリダさんの言うグリジアさん、というのは、もしかして弟さんの方だったのだろうか?

そして、もしかして、メリダさんが心を病んだ切欠、その腹に宿る筈のない子供、という話……もしかして、本当のグリジアさんの死が関係してたりするのだろうか。


「あ~~~!!! ちょっと、ちょっと待ってください! 今、やめましょう!! 今、この話をするのは止めましょう、今は、おばあさまの為の料理を作るんです。公爵様も、それを望んでいますね?」

「もちろんだ」

「で、あれば、保留にしましょう。えぇ、そうですね、料理です。ハイ……それで、材料というのは何を使えるんでしょうか?」


この場には食材らしいものは殆どない。

しかし私に料理を作れ、と言ってきたからには用意してくれているだろうと問いかければ、グリジアさんは部屋の隅の木箱に視線をやった。


「あの中にあるものは全て使っていい」

「わぁい、って、殆ど傷んでるじゃないですか」

「私が七日前に持ち込んだ食材だ。ここに食料を運び込むのは、そう簡単なことではないのだよ。今回は君をここに連れてくるので精いっぱいだ」


いや、そこは頑張って欲しい。


確かに、質素粗末な食事をさせるのが嫌がらせ……じゃなかった、罰の一つなら、まぁ、監視の目も厳しいのだろうけど。


私は木箱に入っている、萎れて腐った野菜や魚、虫のたかった肉を避け何か使えるものはないかと漁っていく。


ちくしょう、これなら見世からいくつか食材を持って来ればよかった。


「……使えそうなものは、元々あった豆類と玉ねぎ、それに硬いパンに、隙間風に充てられまくって乾燥しまくってる牛肉っぽいもの……っていうか、このお肉……ナッツっぽいにおいっていいますか……あれ? もしかしてこのお肉……」


おや? と私は調理台の上に一塊のお肉を乗せて観察してみる。


表面は黒く変色し、真っ白いカビが大部分に付着している。

触った感触も硬く、臭いは肉のものというよりも、妙に丸みのあるまろやかなとさえいえるもの。


一見すれば腐ってカビのさいた肉だ。

だが、私はこの状態のものにとても見覚えがある。

いや、一週間前だとすれば、記憶にある期間よりも随分短い時間でこの状態になっていることになるから、もしかすると勘違い……なわけがない。


私は母さんの爪ナイフでサクッと肉の塊を割り、その真ん中の部分を薄くスライスしてそのまま口に放り込む。


「っ!? そんな腐った肉を、生のまま口にするのか!!?」


慌てて私の肩を掴み、吐き出させようとするザリウス公爵から身を捩って逃げ、私はぐいっと、天高く両腕を突き出した。


「んんふっふふふふふふっ!!!!!私の幸運値はEXッッ!!!!!!!!!!!」


口の中にじゅわっ、と広がる肉の味。

牛肉の荒々しさはなく、甘さがあり噛めば噛むほど溢れ出るうまみは唾液と混ざり合い、柔らかな肉は口内で溶けるようだった。


美味い、単純に、おいしい。


さすが、熟成肉。


「んふふふっ……!! 本来ドライエイジングという面倒くさい湿度と温度管理で二週間から一か月以上寝かせることで肉のうまみを引き出す……ようは、腐りかけのお肉って美味しいよね!! っていう奇跡が、まさかこんなしみったれた場所で起きるなんて!! さすが聖女様のおわすところ!!! 神はここに降臨していたのですね!!!」


ありがとう聖女様!!ありがとう!! と、私は全力で感謝の祈りを捧げ、熟成肉と化していた奇跡の産物を拝みまくる。


熟成肉、とは、扱い方を間違えれば食中毒まっしぐら♡な、ちょっと危険な食材ではあるけれど、その美味さは……一度食べたらもう普通の肉では満足できない、と言われるほど、とにかく美味い。もう本当、他に表現できないくらい、とにかく美味い。


焼けばナッツの風味だ~とか、生で食べても満足できる~とか味、香り、その印象深さ! などと歌ったところでこのお肉の魅力を真には理解できない。


和牛で、しかも手間暇かけたもの。お安くても一㌔ウン万円だったので個人購入は諦めたが、私の前世の勤めた先は星付きのレストランだったので、えぇ、メインの食材で使っていましたよ熟成肉!! きれっぱしだけでも美味しかった。


「いえ……でも、あの時の……国産和牛、一㌔ンン万円のお肉より……こっちの、放置され続けた奇跡の産物の方が味が濃いし、美味しい……これが異世界!!?」


そもそも牛かどうかわからないが、見た感じ牛肉のそれだったので牛肉でいいと思うが、高位貴族のザリウス公爵が用意した食材だ。


……間違いなく、高級食材だろう。


私の知る和牛を越える肉……異世界、なんて恐ろしいところなんだ。


くらり、と眩暈さえする中、私は未知の食材への出会いに興奮し……あぁ、そうか、と、ここで思い当たる。


クビラ街から、一度星屑さんの泉を経て、この王都へ来て、私は何をしていたのだろう。


折角きた大きな街。大都会。

私は、スレイマンを失ってから今日までずっと、今のように目を開いて料理に取り組んでいなかった。


見覚えのある食材、知っている料理方法を当てはめて、それだけ、それだけ、それまで。


魔術工房や、魔術師がたくさんいる場所で、何一つ、新しい食材や技術を、探そうとしていなかった。

それよりも、自分が聖女としての力をどう使っていけるか、どうすれば、貴族たちの間で上手くやれるか、どうすれば、どうすれば、自分が価値ある人間として見られるようになるか、そればかり考えて振る舞っていたように、思える。


「なんて、もったいないッ!!!」


ガンッ、と頭を壁に打ち付ける。


ちょっと切れたのか、ダラリ、とおでこを流れるものがあったし、ちょっとズキズキ痛いが、死ぬわけではないのでバンダナを当てておくだけにする。


不思議だった。

おばあさまと話してから、自分の中にあった、妙に後ろから追われるような、何か自分らしくないような感情に塗りつぶされそうだったのが、きれいさっぱり消えている。


「それはともかく、さぁ、気を取り直して、えぇ、今度こそ! レッツクッキングですよ! 熟成肉を使った……えぇ! 最高の肉料理を作りましょう!!!」


私は調理器具に使えそうなものをあれこれテーブルクロスから出した聖なる水で浄化しながら、頭の中でメニューを組み立てるのだった。



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熟成肉食べたい。


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