外道料理人(3)
砂の聖女、エルジュベート・イブリーズについては現在公開可能になっている情報はあまりにも少ない。
元々は結界制度を用いていない聖王国側からすれば異端の国で生まれ、その土地が泥に沈んだために流浪の民となった後に各地を回る異端審問官に保護されたと言われている。
褐色の肌に真っ赤な瞳、漆黒の髪の美しい女性。
これまでの職業聖女たちと違って、ただ大人しく神殿の奥に引っ込んで聖王国が指示する時に指示する場所へ歌うだけではなく、自ら政治に関わり情勢を知り、一年中各地を飛び回って活動していたという。
彼女の聖女としての評価は活動時期の前半と後半で大きく分かれる。
幸い、私に歴史を教えてくれたのは偏見の少ない教師だった。
彼曰く『前半は、確かに模範的とはいいがたい振る舞いだったがしかし彼女が歴代職業聖女達より劣っていたということはなく、寧ろ進んで時間の可能な限り各地を巡られたお陰で、聖女という存在を遠い存在とぼんやり捕えていた僻地にまで、知らせることが出来た』と、そして政治参戦することで聖女自ら発言権を持ち、後ろ盾の貴族の都合の良い操り人形ではなくなった、と高く評価した。
そして『後半は、神やその代理人であらせられる聖王様、大神官様を欺き、聖女の役目として産んだ魔王を野に放った大罪人』とし、世間では彼女の評価は限りなく最低ラインまで下がったと話しながらも、その教師はこうも続けた。
『もし、スレイマン・イブリーズがその力を人間種の為に使い、人生を正しく歩いていたのなら、砂の聖女は人類の味方となった偉大な英雄を生んだ聖女である、とその人生を讃えられただろう』
しかし現実には、スレイマン・イブリーズは聖王殺害を企み、聖王を庇った当時の宰相を殺害して白亜の大神官により追放された。
いや、砂の聖女は裏切りの聖女としてその前に火刑台に上げられ灰となったのだから、スレイマン・イブリーズのクーデターの動機はそこではないのか? あるいは、事前にその情報を聞きつけた聖王国側が牽制として聖女を焼いたのでは? と、その定かではなく、私が魔術学園に入学して近づいてきた魔術師たちの何人かは『スレイマン・イブリーズはなぜ国を裏切ったのか』とそれを知りたがった。
どうも、こんばんはからこんにちは、野生の転生者エルザです。
目の前に、授業では火刑に処されて亡くなったと習った人物がいて、混乱していますが、相手の方は自分が幽霊扱いされているとわかっていても、面白そうに笑うのみです。
笑うと目尻の皺が寄って、それがとても魅力的に見える。
「あなたが、スレイマンのお母さん」
「あの子に母と呼ばれた事は結局一度もなかったけどね、まぁ、そういう性分の子だから仕方ない。それで、あんたはあたしの息子に育てられて、そしてあの子はあんたを庇って死んだんだろう?」
砂の聖女エルジュベートさんは一つしかない椅子を私にすすめ、自分はベッドに腰かける。
座って良いものかと迷ったが、後ろに控えているグリジアさん、ザリウス公爵……ってこの国の今の宰相の名前じゃなかったか。
驚く事が多すぎて混乱する私はありがたく椅子に座り、まじまじとエルジュベートさんを見つめる。
「息子に似てるかい?」
「えぇ、とても、そっくりです」
「そりゃあ良かった。顔を忘れちまいそうだったが、これからは鏡を見て思い出すようにしよう」
「あの……貴方は、亡くなったはずでは?」
不作法だとは思ったが、とにかくそれを聞いた。
自分が経験したからわかる。異端審問局というのは魔女を許さないし、なにより彼女の行いは多くの人間の人生を変えてしまった。処罰がそう簡単に覆るとは思えない。
「うん? あぁ、まぁね。そりゃ、焼かなきゃならないだろうさ、やつらのメンツとしてはね。でも焼いちまってその後はどうするんだい? 次の聖女が決まるまで、誰が歌い続ける」
それは、そうだ。
先代、砂の聖女以降の聖女はまだ定まっていない。
だからミルカ様が最有力候補でありながら現聖女のようにふるまわれて周囲もそれを受け入れていた。
だが、その間、各地の結界への巡礼はどうするのか。
「公式には次の聖女が決まるまでの、短い間なら聖王様の威光で星屑種たちを従わせている、魔王を隠した女は世界の敵だ、星屑種たちはその説明を受け入れた、とそうなってるようだがね」
「そう習いました。でも、聖王様へのご負担が大きいからって、やはり聖女の誕生は急ぎ望まれている、と」
だから勉強を頑張るように、と教師たちに続けられた言葉を思い出しながら言えば、エルジュベートさんは口を大きく開けて笑い出した。
「あっ、はははは!! 血筋だけでなる聖王にあたしらのような力があるものか! 男連中が星屑たちを宥められるならとうにしてる。それができないから、連中はあたしを死なせることができないのさ。呪われた女だ、災厄の聖女だなんだと罵りながら、自分達じゃ一番小さい結界の一つも守れやしない」
嗤う彼女の目には明らかな優越感と、そして侮蔑があった。こんな粗末な環境に追いやられながらも、そんなことしか彼らは自分にできないのだと、そう嘲る。
こういう所は、スレイマンに似ているなぁと私は懐かしく感じた。
「それで、閉じ込められた元聖女様が私に何の用でしょうか?」
「おや、あたしに会ったら泣き崩れてあの息子の話をあれこれしてくれると思ったけど、可愛げのない子だねぇ。あの子にそっくりだ」
エルジュベートさんは足を組み替え、その赤い唇を不満そうに尖らせた。
「で、息子を生き返らせようとしてるんだって?」
「貴方も無理だと思いますか、おばあさま」
そう呼ばれたがっていそうなので、そう呼べばエルジュベートさんは拗ねていた顔から一変して、嬉しそうに瞳を輝かせた。
「おばあさま、うん、いいねぇ。あの子は嫁も貰わないし、どうせ子供も作らないだろうから諦めてたが、うん、いいねぇ、家族が増えるのはいいことだ」
「家族、ですか」
「そうだよ、家族だ。それで、あんたのおばちゃんからの助言をよくお聞き。あんたはきっと今、自分らしくなく生きてるんじゃないかい?」
「いえ、とても自分らしく我が儘を貫いていると思います」
皆に否定されてるのにスレイマンを生き返らせようとしているし、料理を作って……あれ?
「いえ、そんなはず。私はちゃんと、料理をしてます。えぇ、してます、大丈夫です、私はちゃんと、」
「あんたが料理好きっていうのは聞いてる。だから、わかったんだ。あんた、あの子が死ぬ前のように、ただ楽しんで料理をしてるかい?」
「それは、えぇ、もちろん」
答えながら私は胸の中にひっかかりを感じた。
楽しんで、いる。
楽しみながら、料理を……。
「聞いてるとね、今のあんたはただ料理をしてるだけだ。習慣としてね。やめはしない。そりゃそうだろう、食事ってのは毎日必要なことだからね」
「いえ、でも、料理を使って……いろいろ、しようとしたり、そうです、いろいろ考えて、作ってます。私は、料理が得意だから」
否定しなければならないような気がした。
私は変わってない。料理が好きで大好きで、それが私が楽しいことで、そうすることで私は幸せになれる。
「あの子を生き返らせなきゃならないなんて、思わなくていいんだよ」
ぐるぐると頭の中に自分のこれまでが巡り、瞬きをするしかない私を、エルジュベートさんは見つめる。
「でも、いえ、私は」
「あの子が死んだのはあの子が選んだことだ」
いや、違う。
私の所為で死んだんだ。
もう私の中ではそう決まっている、受け入れていることを蒸し返さないで欲しい。私は首を振り、エルジュベートさんが伸ばしてきた手を払った。
それを咎める顔はせず、先代聖女は目を伏せる。
「息子は自分で選んで死んだんだ。だから、あんたが必死になって生き返らせようとしなくてもいい」
「でも、私は!!」
反論しようと立ち上がる私をエルジュベートさんはジロリ、と睨んだ。
睨まれると体が動かなくなる。
なんの魔法や魔術ではない。この女性のこれまでの人生から得た、他人を黙らせることができるだけの強い覇気だ。
「あたしはね、あたしが息子をラザレフと取り換えた事で起きたことを自分の『所為』だなんて思っちゃいないんだ」
「……」
「それはあたしの選択で、その後あたしに起きたことはあたしの責任で、あたしの結果さ。でも、息子が自由に生きたことで誰かが死んだり困ったりしたのは、あたしの所為じゃない。それはあの子の責任だ」
「それは今、関係ありますか」
「あるよ。あるさ。だから話してる。人は皆自分で選んでるし、人格やそれまでの人生の価値観がある。だから、他人がどうこうしよう、どうこうした、だから責任を、なんてのは独りよがりだ」
そんなことを、私はマーサさんに言われた覚えがあった。
マーサさんも、私が何かしてマーサさんが困ったとしても、それは、自分でどうにかすると、自分の事だから自分ができることをするだろうと、そう言っていた。
「筋の決まったお芝居じゃないんだ。誰もが都合よく自分の思った通りに考えて、自分の思ったように感じるわけじゃない。あんたの所為で息子が死んだなんて、あんたはあの子じゃないんだから、決められやしないんだよ」
「でも、それなら、スレイマンを生き返らせたいと思って、それを選んで生きてるのは私の決めたことです」
「あの子が自分で選んであんたを庇ったなら、あの子は自分で勝手に生き返るよ」
はい?
「昔っからそうだった。自己顕示欲とでもいうのかねぇ。あんたの目を見れば、息子があんたをどれだけ大事にしていたかわかる。だから、あの子はあんたの未来に自分がいないことがきっと、ものすごく嫌だと思うだろうね」
いや、でも、死んでますけど……。
突然ぶっこまれた話題に、私は頭がついていけない。
自力で生き返え……れるものか?
いや、そもそも、生き返るのが無理と言われている世界なので、自力もなにもないのだけれど……。
「えぇっと、おばあさま、何か方法があるってご存じなんでしょうか……?」
「いや、知らないけどね」
「じゃあなんでそんなこと……」
「あの子はそういう所がある。黙ってどこぞの、結界外の国ででも生きていけばいいものを、わざわざ大声で自分の正体をばらして生きようとするような子だ。その息子が、自分の命を使ってまで生かしたあんたの未来を見ないでいられるわけがない」
いや、だから、死んでるんですってば。
なんだろう、この矛盾しまくってるのに、妙な説得力のある話は。
「……えぇっと、いえ、でも、だからといって、ただ待っているだけにはなれません」
「そうかい。まぁ、言いたい事は言ったよ。それじゃあ本題に入ろうか」
「これが本題じゃないんですか?」
「ザリウス公爵が言っただろう? あたしに料理を作っておくれよ」
そう言えばそういう話だった。
てっきり口実かと思いきや本気だったらしい。
大口を開けて笑った時に見たが、エルジュベートさんは高齢のためかこの軟禁生活のためか、歯が随分と無くなっている。
怪我や病気は魔法である程度治る世界でも、虫歯の治療や入れ歯の技術というのはそう進んでいないのだろうか。
最近食欲がない、というその話が本当だとすると、体調不良が原因というのも考えられるが……。
どんな料理がいいか、それを問うとエルジュベートさんは何かを思い出すような、遠くを見つめるような眼をしながら静かに答えた。
「うん、そうだね、息子が好きだった料理あんたの料理を一つお願いするよ」
「スレイマンは私の作るものは皆好きなので、そういう注文は困ります」
最近、この小説はもしかするとダークファンタジーなんじゃないかと疑ってます。
近況報告すると、お空でプリキュアになれました。