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外道料理人(2)



エルザのことを、恨んでいるのか、憎んでいるのか、といえば正直なところミシュレは答えに困った。


恨んだり憎んだりするのは得意だ。


なにしろその執念だけでなんの素質もない小娘が魔女の娘として何度も何度も自分という人格を保ったまま生まれ変わった。


それであるからミシュレは、なるほど自分という存在は随分と性質の悪いもので人を恨んだり憎んだりすることで存在を許されるような、そういうものなのだろうと、そう考えてすらいた。


だというのに、何がどうしてか縁が結ばれてお互いにお互いの前世の一生までまるっとそっくり実体験した相手。ミシュレにとっては間接的な仇ともいえるエルザを、どうにも自分は憎んでいないのではないかと、そう思えるのだ。


「そうですねぇ、とりあえず、竜次郎シェフの魔術工房に見学に行こうかと」


転移者の工房に行きたい、と簡単にいうエルザの言葉に、ミシュレはただただ呆れた。


「付き合いのある工房主への依頼なら手紙を出したり、呼び出したり、相手に来てもらうものだけど、付き合いのない工房への、それも見学ってなると、紹介状が必要だと思うけど、あなた、紹介状を貰えるようなツテあるの?」


小さな魔術工房であった頃なら、平民が簡単に出入りできる気安さもあったろうが、現在の規模と、そしてエルザは落ちこぼれだろうと魔術学校に通う「聖女候補生」である。


身分を考えればアポなしで行くというのはあまりよろしくはないだろう。


「紹介状、ですか」


王都に身一つで来たエルザに懇意にしている聖王都の貴族はいない。


そもそも、順番からしておかしいのだ、とミシュレは思う。


あの男が死んだ。殺された。そして王都へきた。魔術学校に通って聖女様を目指す、というエルザ。間にもっと挟むべきだったのだ。たとえば、混乱するクビラ街をきちんと収めて、あの男がそう狙っていたようにルシタリア商会をエルザの財源にし、ザークベルム家に傀儡の当主を立てて操り後ろ盾とする。


そしてエルザとあの男の家のあるドゥゼ村の近くにあるトールデ街をエルザの思い描く外食産業のあふれた街に変え、それをモデルケースとして徐々に発展させ、聖女の功績とし王都へ乗り込む。


そういう、たとえば物語であるのならそのように、順序立ててエルザは歩んでいけばよかったのだ。


だというのに、何も考えずただ聖女科に通って知識を得られるようになって、そしてあの男を生き返らせる方法を見つければいいと、そう飛び込んだ。エルザは自分の身の周りをしっかりと固めよう、とはしない。


ただ進む、進んで、元いた場所に戻れなくなっていても構わない。そういうことを考えていないのだ。


「学校で仲のいい子がいますから、その方のご実家に書いてもらうとか」

「ご主人様、ジュリエッタ聖女候補生は小国の伯爵家の御令嬢ですが、元々は平民です。聖女の素質があると見いだされ、養女にされた方ですので……その伯爵家が競い相手であるご主人様のために便宜を図ってくださるかどうか……」


ミシュレの優秀な息子アゼルはエルザが知ろうとしない情報もしっかりと把握しているらしい。

うんうん、とミシュレは一人満足げに頷く。普通はこうだ。普通は、自分の周りを取り囲むものや、自分の目的のためにあれこれと知ろうとするものだ。


あれこれ話をしながら、とりあえず思い付きで工房見学を口に出したもののエルザの現状では尋ねるだけでまたあの異端審問官に魔女認定されそうだ、と落ち着いた。


エルザは工房に行けない、ということに残念そうにはしたものの「まぁ、仕方ありませんよね。私は聖女候補生ですし」と、らしくもない事を言いながら、これまたらしくもないことに、あっさりと引き下がったのである。





+++





「私の屋敷に来て、料理を振る舞ってはもらえないだろうか」


久しぶりにやってきた、メリダさんの上客であるグリジアさんが唐突にそんなことを言い出した。夕暮れ、月が空に低く見える頃合いの、見世の客は徐々に増えていくという比較的静かな時間帯だ。


私は学校から帰ってきて、いつものようにメリダさんの夕食を作り、見世の雑用(主にメリダさんの部屋の片づけや衣装の手入れなど)をしていた所で、店主さんから直々に呼ばれなんだろうかとひょこひょこついて行ったら、かしこまった様子のグリジアさんがそう切り出してきたのである。


どうも、こんばんはからこんにちは、野生の聖女エルザです。


「……と、言いますと?」


この言い回しを私はよく使うが、これはとても便利なものだ。

情報が少な過ぎる時や相手にこちらがどう考えているのか、現時点では知らせず、相手がどう理解して欲しいと考えているのか、次の答えでこちらは知ることができる。


相手によってはこの返しは無礼だと感じる人もいるので、使う相手はきちんと見極めるが。


「ふむ、其方の作る料理はとても美味いとメリダが常々申しているし、私も以前食べた卵料理をとても気に入った。家の者にいくつか作り方や、その料理法の考え方などを伝授してもらいたいのだ。もちろんきちんと謝礼を払う。其方にも、其方がいるこの見世にも、だ」

「これはとてもありがたい申し出だよ。エルザ、断るなんて恩知らずなことをするんじゃあないよ」


私が即答しなかったことがグリジアさんには面白かったらしい。ちょっと眉を跳ねさせて、きちんと、私に理解できる言葉で説明をしてくれる。しかし店主さんの方は私が断るかもしれないと思ったか、こちらは怒ったような、凄む声を出してくる。


恩知らず、と来たか。


確かに衣食住のお世話にはなっているので恩はある……いや、私の食事代やその他必要なものはメリダさんがお金を払っている。店主さんに恩はない。


しかし、メリダさんの上客であるグリジアさんのこの申し出、確かに断ればメリダさんには失礼かもしれない。


私はミシュレに相談したかったが、彼女は「ちょっと出かけてくるわ」と、ぴっちりと体のラインが出る革製の服を着てどこかへ行ってしまったので今は留守だ。噂では花街で働く男衆たちをまとめあげていた男を張り倒し足蹴にし、「姐さん」と強面の男たちに慕われているらしいが……うん、細かく考えるのは止めよう。


「わかりました。お引き受けしましょう」


グリジアさんに、竜二郎シェフの工房への紹介状を書いてもらうという打算も私にはあった。それで、ゆっくりと頷いて承諾すれば、初老の男性は堀の深い顔ににっこりと、人の好い笑顔を浮かべてくれた。


「よかった。それでは行こうか。馬車を待たせてある」


え? 今すぐに?




+++




馬車に乗せられ、向かい合う聖王国貴族の男性を見つめると、灰色の瞳のグリジアさんは困ったように笑った。


「騙されたような顔をしておるな」

「年端もいかないただの子供を、その保護者や騎士が来てきちんとした判断が下される前に慌ただしく連れて行く、というのは、どう考えてもロクなことではないかと思いますが」

「聖女候補生である其方が、ただの子供、というのはどうであろうか」


私の不服そうな顔が面白いらしい。グリジアさんは目尻を軽く動かしながら、ふむふむ、と口元に手を当てる。


「考えたらおかしな申し出ですよね。いくら珍しい料理を作る、とはいえ、こんな子供に料理を教えてくれと、貴族の貴方が頭を下げにきた。そして家人に振る舞って欲しいとも。私が聖女候補生であると知っているなら、なおの事。聖女候補生に料理を作れ、と命じていることになります」

「今更わかっても其方はもう私の馬車の中で、今は騎士もあの大男もいない。その賢そうな顔で語るこの会話に意味はないし、自分が『何も知らない愚かな娘』ではないと主張しようとしているのならそれは悪手だ。むしろ何も知らない愚かな娘のフリをしていたほうがこういう場合は得がある」

「たとえば、聖王国の大貴族である貴方が、私を操りやすいと侮って後ろ盾になってくれる、とかですか?」

「言った傍からこれだ。相手を言葉でやり込めて優位に立とうとするな」


ぴしゃり、と窘められた。言葉は厳しいが、その瞳は妙に優しい。最初から、この人は私に好意的だった、そのことを思い出す。


「……私は誰に料理を作るんです?」

「私の古い友人だ。食が細くなっていてね。メリダを治した其方なら、きっと彼女が食べたいと思う料理を作るだろう」


彼女、ということは女性か。


しかし夜間に押しかけていいものか。いや、グリジアさんは自分の家に招くと言った。その言葉に嘘はないだろう。なら、その女性はグリジアさんの家で暮らしている?


「どんな人なんです?」

「どんな、とは?」


その彼女について詳しく聞こうとすると、グリジアさんは不快そうに顔を顰めた。本気で嫌だと思っているのではなく、こういう顔をすることで詮索するのを止めろ、と暗に訴えている貴族らしい表現だ。


「どんな料理を作ればいいんでしょう。食が細くなっている、というのなら消化に良いものとか、匂いや音、あるいは視覚から食欲を刺激するという方法もあります。なので年齢や現在抱えている病の有無。好きな食べ物やその他のこと、その人を知ることで一番良い料理を考えることができるのですが」


好奇心から聞いたのではない、と私は言外に告げる。


「……美味い料理を作ってさえくれればいい。誰もが美味いと感じ、見るだけで食べてみたくなるような、そんな料理を作るように」


ンな料理あるわけないだろう。


「ンな料理あるわけないでしょう」


あ、思わず声に出てしまった。


あまりにも阿呆なことを言われ、これ以上話はしないとばかりに手を振られてしまったので、私はたまらず突っ込みをいれたが、グリジアさんは私の無礼も相手にしないと決めているのか、馬車の窓の外に視線をやったままである。


「料理は文化であり歴史です。そして、食べるその人の、その舌こそその人の本音だと私は考えています」

「……」


無視だ。

私は構わずに続けた。


「その人がそれまで食べてきたもの、生きてきた人生、今の体の状態によって、その人が美味しいと感じる味は違うものです」


誰もが美味しいと感じる料理、そんなものはない。


暑い地域で働く人間には塩気の強いものが好まれるが、寒いところではエネルギーにするために糖分の高いものが好まれる。食文化も、その土地で生きて暮らせる食材や調理法で作られ、味付けもその地域によって様々だ。


食材が溢れかえり、流通が便利になっていた私の前世であればそれほど地域での味覚の差はなかったけれど、それでも国単位で考えれば、日本で好まれた料理がそのまま海の向こうでも受け入れられる事はなく、その国の味覚に合うように多少なりとも手が加えられ、そうして食は人に受け入れられるもの。


クビラ街の料理対決で私が作った大量のギョウザにしても、あの街の市場で仕入れられる食材と、あの街の家で女性たちが作っている料理の数々を知った上での味付けをしている。


「その方が望む料理を食べて貰いたいと本気で思っているのでしたら、私の質問に答えて頂けませんか」


大衆向けの料理ではなく、ただ一人のためというのであれば、最低限の情報が欲しい。


頼み込むように言って見ても、しかし、目の前の聖王国貴族は結局馬車が止まるまで一度も私の方に顔を向けなかった。


好意的な様子だったのに、この態度。

私に料理を作らせようとするその心。その相手、との関係。


食が細くなったから食べて貰いたいというそれはわかるし、メリダさんの例を上げられれば納得も出来る。私が微妙な立ち位置の聖女候補生であったとしても、その「彼女」が大切であるので、なんとしても食事をしてほしいと、そう思いやりからの行動であると、私は今そう思うように扱われている。大貴族のわがままなので、そのように、と。


馬車が止まったのは、月がすっかり真上に来ている頃。随分と馬車を走らせたものである。第四区から、もしかすると第一区まで来たのだろうかと思うほど、空気が澄んでいた。


私は目隠しをされ、グリジアさんに手を引かれて歩き出す。


何か甘い花の匂いがしたが、足元は硬いのでいきなり花畑や庭園に連れていかれたということもなさそうだ。


目隠しさえなければ、何か目印にしてどこの区かとかあれこれ推測することもできたけれど、これは無理だ。そんなことを考えながら手を引かれるままに歩いて行くと、コツン、と足の感触が変わった。たとえば、コンクリートから大理石の床に変わったような感じだ。


「ここから先は階段だ。ゆっくりと、進みなさい」


いや、階段とか目隠ししたまま幼女を歩かせないでほしい。


身長差や歩幅の違いだって随分あるので歩きにくいことこの上なかったのが、さらに階段とか、難易度が跳ね上がっていないか。


「……抱き上げていく、という選択肢はないんでしょうか?」

「私が其方を? ハハッ、手を引いてやっているのだから、それで十分だろう」


目が見えないからか、その声は明るく柔らかいものだったのに、これまで気付かなかった僅かな棘に気付けた。


なるほど、私は頑張るしかないらしい。


仕方がないので、見えない、片手を高く上の方で掴まれバランスがとりにくいまま、なんとか階段を降りていく。らせん階段のようで、ぐるぐるぐるぐるとどれほど降りたかわからない。階段は100段を越えたところで数えるのを止めてしまった。


「ここだ。この中に、私の友人がいる」


そしてやっとたどり着いた地下深く。扉を開ける音がして、そしてその奥に進まされた。


「もう目隠しは取って良いですか」


目的地らしいからいいだろうと、答えを待たずに私は目隠しの布を取る。


薄暗い、地下牢のようなかび臭い六畳ほどの部屋の中、粗末な寝台と使い古された椅子にテーブル。そのテーブルの上にはこの場に不釣り合いな程立派な燭台と太い蝋燭が三本煌々と燃えていて、そして椅子に腰かけているのは闇に溶けてしまいそうなほど黒い髪に、褐色の肌。血の様に赤い瞳の。


「……あなたは」


私は彼女が誰か、ひと目でわかった。

彼女は私を見て、その皺だらけの顔を歪めゆっくりと立ち上がる。


「アンタはあたしに会いたいだろうと思って、ザリウス公爵に手伝って貰ったのさ。なんだい、アタシの顔がそんなに、似ているかい?」


からかうように笑う女性、はすっぱな言葉遣いであるがその立ち姿には気品のようなものがあった。凛とした背筋に、化粧気の欠片もない顔の目尻には愛嬌があり、唇はこの薄暗い部屋の中でもわかるほど赤く蠱惑的な形をしていた。


私はただただ目を大きく見開き、彼女を見つめる。


「アタシはエルジュベート・イブリーズ。アンタがアタシの息子の娘だってんなら、アタシはあんたのおばあちゃんってことになるのかねェ」


スレイマンの母、先代聖女は悪戯っぽく笑い、片目をつぶってウィンクをして見せた。




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生きとったんかいワレェ!

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