縁談
ハーデスは、ひとつきに一度、オリンポスの神々との会合に行くために、我が家のそばの野原を通過するらしい。
あの日から。私は、彼が地上にやってくる日には、必ずあの野原へと出かけた。
目が合うと、彼は優しい笑みで挨拶を返してくれる。ただ、それだけのことが嬉しくて、わたしは、その日がくるのを、指を折って待ち焦がれるようになっていた。
そんなある日。
一人の男性を母が連れてきた。
「ペルセポネ、この方は、ペイリトゥスさま。数々の冒険をなさっている英雄よ」
栗色の髪の毛に、青い瞳。整った顔立ちで、ニコリと笑った口元に白い歯が見える。
「やあ、とてもお綺麗ですね。ペイリトゥスです」
「ペルセポネです」
彼は、私の手を取り、そっと唇を落とす。瞬間、背筋がぞわりとする。笑っているはずの瞳の奥が、とても怖い。
「花がお好きなのだそうですね」
「ええ……仕事でもありますし」
答えながら、私は手を引っ込める。
優しげな笑みを口元に浮かべているペイリトゥスの目が、値踏みするように私の身体を見ているのに気が付き、鳥肌が立った。
「私、お茶を入れてきます」
「あら、お茶なら私が入れるわ。あなたはペイリトゥスさまのお相手を」
その時、私は気が付いた。
これは『見合い』なのだ。
母は、どうやら私がハーデスに会いに行くのを好ましく思っていない。
ハーデスについて聞けば、『仕事熱心で、マジメで、立派な弟』と答えるけれど。
私は世間話をしながら、目の前のペイリトゥスを観察する。
立派な身なりで、世間的にはたぶん『カッコイイ』部類のひとであろう。陽気で気さくな雰囲気。母が、見合い相手に彼を選んだというのは、納得できた。
彼は自慢げに、自分の冒険譚について話し始めた。
「今日はとても楽しい時間を過ごせました。あなたとは、お話もあいそうです」
ニコリ、と彼が笑う……って。私は何も話してなどいない。彼が一方的に話していただけだ。
彼が『次回』を約束して去っていくと、母は、嬉しそうに私を見た。
「どうだった?」
素敵でしょう? と言わんばかりに、母は私の方を見る。
「私……あのひとと合わないと思う」
正直に言って、少しも楽しくはなかった。私の答えは母には不服であったようだ。
「……ハーデスはダメよ」
目をつり上げながら、母、デメテルは私を見る。
「地の底の死者の国に住む、汚らわしい男よ」
「立派なお仕事だって、言ったじゃない!」
あまりといえばあまりの言葉に、私は思わず反論する。
「お前は陽の光に相応しい女神よ。そのことを自覚なさい」
「そんな……」
「ペイリトゥスさまの何が気にくわないの? 爽やかな良い青年じゃない?」
何が不服なのよと、大きくため息をつく。
「とにかく。ペイリトゥスさまとのご縁談は進めておきますから。このことはあなたの父であるゼウスもご承知のことですよ。心を決めなさい」
「お母さま……」
母デメテルは、めったに父の名を出さない。父の名を出すということは、これは決定事項なのかもしれない。
そう思ったら……ハーデスの寂しそうな瞳にとても会いたくなった。




