ガイア
宮殿に戻った私は、ハーデスの私室に呼ばれた。
未婚である私へ考慮してのことだろう。部屋の片隅には、女官がひっそりと立っている。
私に用意されている客室よりも、簡素な感じだ。
「ティタノマキアを知っているね?」
「えっと。ティターン族と、オリンポスの神々の戦争のことですよね」
その昔。私の父であるゼウスは、世界を統べていた自分の父であるクロノスに対して反旗を翻した。その戦争の結果、父は天界、ポセイドンは海界、ハーデスは冥界を支配することとなり、クロノスに味方したティターン族はタルタロスに幽閉されることになったのだ。
「そう。タルタロスには、今も敗者であるティターン族が幽閉されている」
ハーデスは苦い顔でそう言った。
「実は、そのことを、大地母神であるガイアは、不満に思っているらしくてね」
「え? でも、先の戦いは、ガイアさまは、父にお味方なさったと聞いておりますが」
「そうだね」
ハーデスは、頷いた。
「でもね、ゼウスや我々が倒したティターン族は、もともとガイアの子だ。ガイアは、ウラノスに閉じ込められた、キュクロプスやヘカトンケイルを救いたいからこそ、私達に手を貸した。もちろん約定は果たされたが……我らが閉じ込めたティターン族も、ガイアの子だ」
「はい。でも」
「そう。ガイアが望むからといって、ティターン族をタルタロスから出すことはできない」
ハーデスは厳しい顔でそう言った。
「ガイアは何もかもが漠然と『ある』事を望む。そこから争いが生まれるということなど、考えてもいない……困ったことに。いや、むしろ、それを望んでいるようにすら、見える」
神々の戦いは、神だけの問題ではない。地上に住む人間も巻き込まれる。もちろん、いくさになれば死人も増え、冥界とて無縁ではいられない。
「ガイアは、タルタロスの番人を欺く方法を常に考え、あの崖を常に見ている……君を見られたのは私の落ち度だ。ガイアが、君を手に入れて、キュクロプスを操ろうとすることくらい予想できたのに」
「でも、番人であるキュクロプスは、ガイアさまの子供で……」
そのために、ガイアはゼウスに手を貸したはずなのでは、と、私は指摘する。
「君を得れば、キュクロプスにとって、悪い話ではない」
ハーデスは大きく頭を振った。
「もちろん、これはキュクロプスが考えていることではない。そこは間違えてはいけない」
「では……私をタルタロスに引き込もうとなさったのは、ガイアさま?」
「おそらくそうだろう。二度とあの崖には近寄らないことだ――タルタロスに落ちては、私の力では守れない」
「ごめんなさい。私、迷惑をかけてばかりで」
なんだか情けなくて、私はうつむいた。
「迷惑とは思っていない。ガイアに目をつけられたとしたら、地上にいても危険だ」
ハーデスは優しくそう言って、私の頬に触れる。
「冥府を嫌う神々が多い中、私を頼ってくれたこと――とても、嬉しかった。君に選択肢がなかったことは知っているけれどね」
「ハーデスさま」
「ガイアのこともゼウスと話さねばならない。デメテルは君が私のところに来たことをゼウスから聞いて、怒り心頭らしいが、それどころではなくなった」
ハーデスの目が厳しい光を帯びる。
それどころではないはずなのに、私の胸がドキリと音を立てた。