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神さまの創り方  作者: 夜野友気
右腕
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右腕 -4-

彼女の朝は一枚のパンから始まる。


そう少し構えて表現したところで、パンはパンであり、ただの朝食に過ぎないのだが。


まだ少し眠たそうに目を擦りながら、つい先程目を覚ましたであろう桃模は、寝間着のままリビングを歩いている。

動作はゆっくりとして瞼も閉じかけてはいるが意識は一応あるのか、パンをトースターにしっかりとセットして今度は冷蔵庫に向かった。

中から半分ほど減った牛乳を取り出して、用意したコップに注いでいく。

パンと同じように桃模の朝の飲み物は牛乳と決まっていた。

ちなみにパンを食べるのはご飯よりパンの方が好きというわけではなく、単純に楽だからとそれだけが理由のようである。

同様に毎日牛乳であることにも理由があり、身長を伸ばしたいが故のチョイスらしい。


がしかし、ここ数年で身長は伸びも縮みもしていない現状を見るに、その努力は実っていないことが分かる。

それでも飲み続けているのは習慣か、或いは執念か。

どちらにしろ虚しい努力だった。

ちなみに骨はそこそこ丈夫になっているようだが、いらぬ情報だろう。


そこまで準備を終えて、リビングをあとにし自室へと戻ると、寝間着のボタンを外して着替え始めた。

脱いだ服をベッドに投げて用意した制服に着替えていく。

その行動にも慣れているのか、着替え終わるのと、リビングでチンッという音が鳴るのはほぼ同時だった。


しかし、そこまでしても眠気は払えていないのか、足取りは変わらない。

ちなみに言うが、洗顔は起きて真っ先に行われている。

冷水では眠気は払えないようだ。


さておき、朝食も変わらずに取って片付けを終え、歯磨きも終わり出掛ける準備は万端だ。


いざ、玄関のドアを開けると薄暗い空の向こうで太陽が少しだけ顔を見せていた。

直接目にしても眩しくはなく、光はまだ届いていないようである。

現在時刻、五時少し過ぎ。

彼女の朝は早い。




篠宮市内、西の地区に数年前建設された、比較的新しい白色の高層マンション。

桃模はその十二階の一室に住んでいる。

一人きりで住んでいる。


篠宮学園からそう遠くなく、徒歩でも十分に通える距離で、基本徒歩で行動する桃模にとってその場所はとても都合がよかった。

買い出しに向かう商店街も、量販店も、学校までの距離も、程よい遠さなのだ。

近過ぎず遠過ぎもしない。

歩くのに丁度いい距離であり、歩くのが好きな桃模にとって、そこは絶好の位置どりなのだった。


ちなみに歩くのが好きなのだが、散歩趣味というわけではないらしく、目的なく歩くことは極力避けているようだ。

解釈が難しいかもしれないが彼女なりの基準があるのだろう。


朝の通学路。

とは言っても、まだ日が昇って数十分しか経っていない現在時刻では人通りも車通り極めても少ないのだが。


季節にあわない冷たい風を受けながら、学園に歩いていく姿が一人。

言わずもがな桃模である。


時折、犬の散歩をする人や、早朝ランニングをする人とすれ違うのもいつものことで、互いにぺこりと軽く会釈をする程度には面識をもってしまっていた。

さすがに学園につくころには太陽の光は強くなり、気温もそれなりには高くなっていたが、それでも学園内は静まりかえっている。

時間帯的に、人がいたとしてそれは警備員くらいなものだろう。

それを暫く眺めていた桃模は、はぁ、と一息吐いて門を通り過ぎた。


来た道からさらに進んで学園からどんどん遠ざかる。

およそ三十分ほど歩いて到着したのは、臙脂色のマンション前。

怪死体が発見された、あのマンションの前である。

今でもその一室には人が入ることなく、立ち入り禁止とされているが、桃模は唯一、その場所に立ち入る人物だった。

無論、無断でではない。

桃模だけが唯一立ち入ることを許されているのだ。


合鍵を手に、その部屋の扉を開ける。

玄関で靴を脱ぎ、鞄を落とすようにその場で離して一直線に現場へと向かった。

リビングに通じる扉を開けて、部屋の真ん中まで歩く。

さすがに部屋の中は綺麗に掃除されているが、体が覚えているのか、その懐かしい部屋に思わず目を閉じた。


ギュッと右腕を握る。


左手で、強く握り締める。


「ねぇ、覚えてる?」


独り言のようにポツリと言葉を溢した。

辺りには誰もいない。

誰に向けられたのかも分からない言葉。

それでも意味があることのように言葉は続く。


「私は、覚えてるよ」


一言ひと言を噛みしめるように、しっかりとした口調で発していく。

何を思い、どうしてそんなことをするのか、他者が見ても分からないその行動に、どんな意味があるのか。


「だって、家族だもん」


家族。

それは家族に向けられた言葉、なのだろうか。

もう既に亡くなっている両親に対する言葉なのだろうか。


当時、この部屋で発見された怪死体がニ体。

それは紛れもなく、霜上桃模の両親。

霜上辰男と霜上花の二人だった。


通報者は桃模本人。

駆け付けた警察に保護されて、事情聴取を受けたが、彼女は一言も喋らず結局事件は迷宮入りとなってしまった。

真っ先に疑われたのは生き残った桃模だったが、その惨状はとても人間に出来ることではない、と疑いはすぐに晴れたのだ。

生身の人間に道具もなく人体を木っ端微塵にすることなど、出来るわけがない。

警察にとっても不本意だっただろうが、迷宮入りとする他に事件を片付ける方法がなかったのだった。

暫く何かを考えるように、或いは何かを待つかのように、その体勢で止まっていた桃模だったが、諦めたように一息吐いて踵を返した。


玄関に戻って鞄を拾い上げて肩にかけ、早々に部屋を後にする。

鍵をきっちりと掛け、握り締めたままもと来た道を戻り始めた。

結局、その行動にどんな意味があったのかは謎のままマンション入り口まで出てきたところで。


「あれ? 霜上さん?」


掛けられた声に隠すように左手の鍵をポケットに突っ込んだ。

そして、声のした方に視線を向ける。


「おはよう。朝、早いんだね」


そう言って笑顔を向ける心がそこにいた。

現在の六時十五分という時刻を見れば心もかなり早い部類に入るだろう。


「おはよう。そう言う心ちゃんも随分早いんじゃん」

「あははっ、そう言われればそうかも」


桃模の側まで歩いてきた心が臙脂色のマンションを見上げる。


「霜上さん、ここに住んでるの?」


その問いかけに桃模は少しだけ考えるような仕草を見せて、首を振った。


「今は住んでないよ。ここに居たのは昔の話」


そう言って真似るようにマンションを見上げる。

ただ心とは違い、視点は明確な一点に真っ直ぐに向けられていた。

そして、癖のように左手で右腕を掴む。

まるで何かを耐えるように。


「腕、痛いの?」


その様子を見て、心から心配するような声が上がった。

視線は桃模が強く握っている右腕に向けられている。

少しだけ昔のことを思い出した。

今と同じように腕を握り締めていると、同じように心配してくれた女の子のことを、思い出していた。

下心も何もなかったであろう、ただ純真に心配してくれた女の子に対してその時に自分が発した言葉も、桃模はよく覚えている。


「そうなんだ。すごく辛いんだけど、代わってくれる?」


意地悪で、それでいて返答に困るだろう一言。

実際、腕は痛くもないし、何を代わって欲しいとも思っていなかった。

誰かに分かって欲しいとも思わない真実が、そこにあるだけ。

この腕に、宿っているだけなのだから。

記憶と一緒に、腕も封印することにしたのはそのため。

ある条件下以外では二度と使わないと心に決めていた。


「……それは無理かな。私にはその辛さも分からないし、代わってもあげられないよ」


返ってきた言葉に思わず絶句した。

正直で、正論すぎるその言葉に、驚いて目を見開く。


今まで一度として聞かなかった、拒絶の反応。

代わってあげられるなら、などという偽善の台詞を彼女は口にしなかった。

一番言いそうな性格をしていそうなのに、考えてすらいなさそうだった。

思ったことを、思ったまま素直に口にされた気がした。

そしてそれが、たまらなく可笑しかった。


口元が緩む。


笑みが溢れた。


抑えきれない。


「ふはっ……ふっ、くくくっ……あははははははっ」


一度吹き出すと、もう止まらなかった。

どうして身近にこんなに面白い人が二人もいたのに、今まで気づかなかったんだろう。

そんな疑問を浮かべながら、とりあえず笑った。

笑いたいだけ笑った。

本当に心の底から可笑しかった。

愉快で楽しくて、どうしようもなく嬉しい。


「え、えっと……霜上、さん……?」


さすがに不安に思ったのか心が声を掛けた。

目の前で爆笑し続ける人物がいれば誰しも不安になるだろう。

心にとっては二度目の出来事だが、今は側に自分しかいないという状況。

余程のことでもない限り、原因が心自身にあることは明白だ。


「あはははははははっ、はっ、はぁ、はぁ、はあぁぁぁ……ふぅ、あ、うん、ごめんね。なに?」


一頻り笑って息を整えて答える。

急に笑われて即座に正され、それがさらに心を困惑させた。


「えっ、いやっ、えっと……急に笑い出したから、どうしたのかなって……」


少し躊躇いながら答える心に、桃模は嬉しそうに笑って答えた。

本当に嬉しそうに、心底喜んでいるかのように満面の笑みを浮かべる。


「だって今すっごく嬉しいんだもん。笑わなきゃ損じゃない?」


返答の意味合いはよく分かった。

その通りだと、心も納得出来るものだったからである。

嬉しくて笑うのは至極当然のこと。

だけどあんなに爆笑したのは何故なのか。

個人差と言ってしまえばそれまでなのかもしれない。


「それに笑うと良い事があるって、ことわざでも言うじゃない。なんだっけ? 笑う角に福はうち?」


豆をまくんだろうか。


「とにかく、人間笑っていられるうちが華だよ。心から笑えなくなったら、もう手遅れだと思うから」


その瞬間の桃模の表情が心の目に焼き付いた。

普段の様子からかけ離れた、日常の彼女では絶対に見せないような、憂いを帯びた伏し目がちな、悲しげな、弱々しい素顔。


そう、素顔だ。

確かにその時、心は桃模の本心を表情として見た気がした。

何が彼女をそうさせたのか心には分からなかったが、それでもその雰囲気に、その表情に、嘘偽りがないことは感じ取るとこが出来る。


「あっ! カレーパン!」

「か、カレーパン?」


唐突に、弾けるように空気が変わった。

桃模の表情もいつもの笑顔に戻っている。

まるで別人にも見える雰囲気の違いのまま、カレーパン、カレーパンと呟きながら鞄の中を探る。

やがて、あった、と表情を輝かせた桃模が取り出したのは。


「カレー……パン?」


世界の辛いパン大全集という本だった。

B5サイズで表紙に世界の有名な建築物や像が散りばめられており、その真ん中でカレーパンを持った成人男性が辛ぇー、の吹き出しとともに火を吹いていて、極めつけに帯に、君も華麗にクッキング!と書いてある。


心は数秒ほどその表紙を見つめ沈黙したが、やがて考えるのをやめたかのように桃模に向き直った。


「カレーパン、作るの?」


この本から想像出来る最大限のあり得そうな話題をなんとか捻り出し、問いかける。

表紙を一見すると旅行という可能性も捨てきれないが、それならば旅行雑誌を買うだろうし、何より学生のしかも学期の真っ只中である現在状況から考えても、そんな時間はないだろう。

桃模が留年してもいいほど辛いものが大好きだというならば話は別だが。


「うん、食べて貰おうと思って」

「食べてもらうって誰に?」

「ヤシロソーに」


笑顔の桃模に言葉を失う心。

昨日の総真を見て尚その言葉を口にした彼女に対して、絶句した。


そこに悪意があるならば彼女がなぜこんなにも爽やかな笑顔なのかが分からない。

そこに悪意がないならば、そもそも何故そんな発想にいたったのかが理解出来ない。

そこに善意があるかないかはまったくもって分からなかった。


それでも総真が苦手と言うならば、いや、好きな人が苦手だと言っていたのだから、理由を聞いて事と次第によっては止めた方がいいだろう。

そう結論づけてとりあえずありそうな方向に話題を進めるとこにした。

率直に申し上げると。


「食べないと思うよ?」


食べるわけがない。

辛いものが苦手と言って、実際に食べられなかった総真が辛いパンを出されて食べると思えない。

もしかしたらここで止めるまでもないのかもしれなかった。


「でも苦手なら克服しなきゃだよね」


返ってきた言葉に再度驚かされる。

それはつまり、子供の好き嫌いを克服させようとする親のような心とでもいうのだろうか。


「苦手だからって逃げてちゃダメだよ。乗り越えて強くならなきゃ。きっと辛いものを食べ続けてたら、いつか普通に食べられるようになる日がくると思う。ことわざでも言うよね、継続はカなり、ってどういう意味かわかんないけど。たぶん蚊だって血ばっかり懸命にすって生きてるんだからお前も頑張れ的な意味かな」


そんな投げやりなことわざは嫌だ。

あれがカタカナではなく漢字であるとは思わなかったのだろうか。

思わなかったのだろう。おそらく。

現に、か、と読んでいるのだから。


「そんなわけで、これなんてどうかな?」


どんなわけなのか、ページを開いて心に見せる。

そこにはオーソドックスなカレーパンの画像と作り方が乗っていた。


「桃模さん、お料理出来るんだね」


心のイメージ的に、桃模は料理が出来ない人だと思っていたようだ。

しかし、桃模はきょとんとして当然のように頷く。


「うん、出来るけど。普通じゃない?」

「うーん、どうなんだろ。普通ではない、と思う、けど……」


実際に学生で料理が出来る人となると数も限られてくるだろう。

出来るという幅も曖昧なものだ。

しかし、心も料理が出来る以上、表立って普通じゃないと否定することが出来なかった。

ちなみに心のお昼のお弁当は自作だ。


「あれ? でもお昼休みのお弁当は作ってないんだね」

「うん、面倒だから」


即答だった。

まったく迷いのない、心地よいほどの即答。

その即答が、本心であることと他に理由がないことを如実に表していた。

面倒くさい。

単純であり、これ以上にない、これ以上いらないと言える理由。


「心ちゃんは面倒じゃないの?」

「私は、あんまり面倒だと感じたことはないかな」


確かに朝がだるい時や、体調が優れない時は作りたくないと感じることもある。

けれど、それは桃模の言う面倒くさいとは少し違う気がした。

例えば朝一からパッチリと目が覚めて、元気いっぱいで、準備万端で、他にやることもなく、時間が余っていようとも、面倒の一言でその行動は為されないのである。


「もし私がお弁当を作るときがくるとしたら、どんな時だろ?」


自問するような呟きをこぼす。

聞きようによっては心に問いかけたように聞こえなくもない。

或いは本当に誰かに問いかけていたのかもしれない。


「あははっ、なーんてね。そんな時なんてくるわけないか」


考えかけて、考えることもバカらしくなったのか、桃模は一笑に伏した。


「それより私にはカレーパンを作るっていう使命があるからね」

「命じられてたんだ……」


そんなツッコミも聞こえなかったのか聞き流したのか、とにかく気にせずペラペラとページを捲っていく。

心も内容が気になるのか、止めなければと思いつつも隣から本に視線を送っていた。


だから、桃模がそれに気づいたのは本当に偶然だったんだろう。


ページを捲る時に、左に視線を向け、偶々に視界の先にそれが映っただけのこと。


心に至っては桃模の視線が固まった方向に追うように向いただけだった。


二人の向いた先には早朝から公園でサッカーの練習に励んでいた少年の姿。

辺りに親の姿は見えず、一人で壁に当てて蹴っていたであろうことが窺えた。

二人が目にしたのは少年が蹴ったボールが壁を逸れて公園を抜け、歩道を跳ねて車道に転がっていった瞬間だった。

少年は少し落胆したような仕草を見せてボールを追いかける。


早朝の車通りは少ない時間帯。

それが少年の心に油断を生んでいた。

左右を軽く確認して道路に出た少年は、死角から曲がってきたトラックに気付かなかった。


トラックの運転手も曲がった先の目下の少年に気付ける筈もない。

そのことに気付いたのは第三者。

偶然にその光景を見ていた桃模と心だけだった。


「あ――――」


出せたのは最初の一声だけ。


距離にして200メートル。


衝突まで約三秒。


間に合う筈もなかった。


次の瞬間、心は目を瞑った。

少年の最期を見たくなかったからではない。

突如吹き抜けた強風に閉じざるを得なかったのだ。


「っ――――…………?」


数秒の静寂。

聞こえるはずの衝突音もブレーキ音も響いてこず、ただトラックが走り去っていくエンジン音だけが聞こえていた。

閉じていた目をゆっくりと開く。


「……え?」


最初に視界に入った姿に思わず声が漏れた。

何が起きたのか理解出来ていない様子でキョロキョロとしている少年と、その少し前で本を広げ歩いていく桃模の姿。


驚いてさっきまで桃模のいた方に振り返ると、真っ先に目についたのは一点に力が込められて蜘蛛の巣状にヒビ割れたアスファルトだった。


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