【5】
翌日は、幸いの休日だった。
新月の日だったので、星霊リビティナの復活を祈る月のオーナメントが大聖堂の入り口を飾っていた。
「ロウェル様、お待たせ致しました。主任司祭のニコラスと申します」
日曜日のミサが終わり、人も疎らな午後の司教座聖堂の一角……アストリッドは、声を掛けて来た男を振り返った。
「ブラザー、お手間を取らせてしまって申し訳ありません」
「いいえ、ロウェル様の礼拝に感謝致します。それで……今日はわざわざ何用で……?」
白い法衣に身を包んだ、人の良さそうな初老の男だ。ブラザー・ニコラスは終始和やかな口調で、アストリッドという珍客にそう問い掛けた。
「…………」
アストリッドは少しだけ迷ったが、意を決した。
「あの……、このロザリオが、どの宗派の物か知りたくて……」
そう言って、ポケットから例のロザリオを取り出し司祭に差し出した。ブラザー・ニコラスはそれを受け取って、先端の星十字をまじまじと見つめた。
「これを、一体何処で……?」
ニコラスの顔が、俄に険しさを帯びた。
「拾ったんです」
アストリッドが不思議そうに答えると、司祭は辺りを見回した後、声を潜めた。
「ロウェル様……これは〝聖女の印〟です」
「聖女の印?」
アストリッドがオウム返しすると、ニコラスは続けた。
「太古の昔、この国の始まりの頃……英雄でありながら魔女として処刑された〝聖女ジャンヌ〟の旗印です。これを何処で拾われたのかは存じませんが、手ずから処分なさいますよう。宜しければ私がお手伝い致します」
「あっ……ちょ、ちょっと待って」
「ロウェル様!」
アストリッドは、慌ててブラザー・ニコラスの手からロザリオを奪い返した。
「ごめんなさい! 教えてくれてありがとう!」
「いけません……! お待ち下さい!」
そうして止める司祭を振り切ると、アストリッドは大聖堂を後にした。
* * *
「驚いた……」
路地裏に滑り込み、アストリッドは全速力で走った心臓を落ち着かせようと、深呼吸をした。
(聖女の印か……)
握り締めていたロザリオを一度じっと見つめた後、アストリッドはそれをポケットに仕舞った。
この中央大陸の国々で最も人々の生活に根付く一般的な宗教は、〝星霊信仰〟と呼ばれる、大地の星霊を筆頭に天空の星々に宿る霊に祈りを捧げる多神教だ。街の中心にある大聖堂も、大地と天空の十星霊を祀るものである。
アストリッドは歩き出しながら、考え込んだ。
街へ出る前に北の荒れ地に寄ったが、ジェイクは昼を過ぎてもまだ自宅へ戻っていなかった。
異教徒で、その身に禁じられた呪術とやらを施していた少女の死体は、聖職者達の手によって全ての呪いを解かれ、しかるべき墓地に埋葬されたと言う事だ。
領地に得体の知れないモノが巣食っている可能性に、領民は少なからず動揺していた。
「……あれ?」
その時だった。
不意に顔を上げたアストリッドが、ハタとして立ち止まった。
――此処は何処だ?
路地から反対の大通りへ抜けるつもりだったのだが、慣れない道は意外と行き止まりが多く、又考え事に没頭していた為か、目測を誤ってしまった様である。目の前は、何度目かの行き止まりだった。
アストリッドは、自分がうっかり道に迷ってしまった事に気が付いた。……道に迷うなど、生まれて初めての経験である。
仕方無く、来た道を戻ろうと踵を返した時だった。
アストリッドは、草臥れた帽子を目深に被った、数人の男達に行く手を阻まれた。
「…………」
途端に、アストリッドが不機嫌に表情を強張らせた。
「坊主、オレ達と一緒に来て貰おうか」
男達の一人が言った。
「何か用?」
男達の一番後ろに、マントの下に杖を持った男が居た。魔術師だ。アストリッドは、自分で気が付かない間に、怪しげな術で道に迷わされていたのだと理解した。
「とある偉いお方が、お前をお呼びなんだとよ」
男達の一人が、アストリッドを掴もうと腕を伸ばす。
「触るな」
アストリッドが、男の手を払い除けた。
「お前等のボスに、オレに用があるならそっちから出向いて来いと伝えろ」
アストリッドがぴしゃりと言い放つと、男達の頬がピクリと引き攣った。
「生意気なガキだな」
「おい、魔術師。殺さなきゃいいのか?」
「ああ…。怪我の程度は問わないよ……どうせ死ぬんだ」
「…………っ?」
アストリッドはギョッとした。
随分、物騒な連中である。
アストリッドが、懐の銃を抜こうとした瞬間だった。
「気を付けろ。銃を隠し持っているぞ」
魔術師が、男達に忠告した。
――この場をどう切り抜ける?
アストリッドが舌打ちした、その時だった。
「保安官ーッ! こっちこっち! 早く!」
路地の向こうから、子供の叫び声がした。
「ちっ…、誰か来た!」
その声に、悪漢共が狼狽えた。
「早くしろ……! 連れて行くぞ!」
焦った彼らは、一斉にアストリッドに飛び掛かった。
「近寄るな!」
寸での所でアストリッドが彼らをかわす。慌てているので、悪漢共は隙だらけだった。アストリッドは、彼らより小柄な身体を活かし、地面に滑り込む様にして彼らの背後へと飛び出した。
「役立たず共め」
目の前には魔術師が居た。
彼が杖を構えたが、魔術師という者は先ず呪文を唱えなければ何も出来ない事は知っている。アストリッドは、魔術師の横も素早く擦り抜けようとした。
その時、空から何かが落ちて来た。
「…………!?」
ドンッ――……という大きな鈍い音が響いた次の瞬間、魔術師が白目を剥いて引っ繰り返った。
風が唸る。
何が起きているのか分からない。
恐ろしく素早い動きで、悪漢共を蹴散らす者が居た。
「…………」
気が付くと、目の前に赤い髪の青年が立っていた。
青年は仕上げとばかりに、白目を剥いたり泡を吹いたりしている悪漢共を、軽々と道の端に積み上げた。あまりに人間離れした鮮やかな手並みである。
彼の、冴え冴えとした真紅の瞳がアストリッドを捉えた。
身の竦むような眼差しだった。
何者だ……と問う前に、アストリッドは青年の胸元に光る保安官バッヂに気が付いた。
「あ…保安官! 助手がもう片付けちまったみたい…すっげぇ!」
先程、最初に叫んだ子供が路地の先から現れた。それは、アストリッドのクラスメイトであるリュート・スミスの姿であった。
「本当に? わっ…凄い。さすが、西部の保安官は強いなぁ!」
続けて、子供がもう一人顔を出した。同じくクラスメイトの、トリスタン・パーセルだ。
「ルーアくん!」
最後に現れたのは、亜麻色の長い髪を振り乱して駆けて来た、見知らぬ女性の保安官だった。
「アリー。片付いたぞ……事後処理を」
「分かったわ。もー、これじゃどっちが助手だか分かりゃしないんだから。手伝って」
ルーアと呼ばれた赤い髪の青年は、アリーと呼んだ少女と共に、手慣れた手付きで悪漢共を縛り上げた。そして最後に、ルーアが手にしていた剣で、魔術師の杖を叩き折ったのである。
「大丈夫かい、ロウェル」
「あ、ああ……」
いまいち状況が飲み込めないまま、アストリッドはトリスタンの差し出した手を取って立ち上がった。
「リュートが、君が一人で歩いているのを見付けたんだ。その後を付けて行く怪しい連中の姿もね。だから僕達、ふた手に分かれて、リュートは君達を見失わないように後を付け、僕は保安官事務所に人を呼びに行ったのさ……」
「そうだったのか。ありがとう……本当に助かった……感謝するよ」
トリスタンとリュートに礼を言うと、二人はにこにこと笑った。
アストリッドも、釣られて思わず微笑んだ。