【3】
パレードの到着場所は、花祭りのメイン会場でもある中央広場だ。中央広場は幾つかの公園も併設しており、広くて見晴らしが良い。あの辺りは、商店街が近いのでいつも人で賑わっていた。
青い空に、メイン会場と思われる方角から花火が上がった。パレードの先頭グループが到着したのだろうと思われた。
「…………」
友人の乗る女神の花車も、中央広場にほど近い司教座聖堂の前を通り過ぎるのが見えた。アストリッドは、少し離れた場所からその様子を確認すると、再び街角をあちこち見回した。
しかし、当然の事ながら、闇雲に探し回っても簡単に見付かる相手でもなかった。
その時だった…。
「ロウェル…!」
人混みの中では聞き逃してしまいそうな頼りない声音の、それでも精一杯の大声なのだろう……アストリッドを呼ぶ声が耳に飛び込んで来た。
アストリッドがハッとして振り返ると、そこに立っていたのは自宅へ戻った筈のベアトリーチェだった。
「どうした?」
彼女の顔色からただごとではない気配を察し、アストリッドはベアトリーチェに駆け寄った。
「私……やっぱり……、やっぱり…ダメ……」
口元をガチガチと震わせながら、彼女は声にならない声を絞り出している。
「落ち着け……、大丈夫か?」
アストリッドがベアトリーチェを落ち着かせようと、その肩に両手を置いて顔を覗き込んだ。少女の眼鏡の奥の藍色の瞳が、何かに酷く怯えている。
「い…行かせてはダメ……アシュリーを……そんな気がするの……。──…だって……私、声を聞いてしまったから……」
「声?」
息を呑んだ彼女に、言葉の続きを促す様にアストリッドが問う。
「アシュリーの叔父様の……、声」
ベアトリーチェが答えた。
「レジー様の声、同じだったの。あの時……ね、教会の地下で聞いた声と……、同じだった!」
「…………!」
それだけを何とか口にすると、ベアトリーチェはその場にへなへなと座り込んでしまった。
アストリッドは、背筋がゾッと粟立つのを感じた。
白い悪魔と相まみえた嵐の夜、アストリッドとベアトリーチェは北の領地の教会の地下に監禁されていた。そこでは、言うまでも無く多くの信者達の声を聞いた……が、彼女がわざわざそれを伝えに戻って来ると言う事は、それなりに重要な人物の声の主が、レジー・ウィングフィールドだと気付いてしまったからだ。
あの場で声を覚える程に印象的な人物……つまり、荒れ地で仮面の教団を率いていたリオンの〝ご主人様〟が、レジー・ウィングフィールドだと推測するのは容易な事だった。
「それは、確かなのか?」
アストリッドが念を押すと、ベアトリーチェは頷いた。
「ええ……。それに、アシュリーの叔父様、お顔に大きな傷があったわ……。古い傷には見えなかった」
ベアトリーチェの言う事が正しければ、おそらくその傷は、黒豹が付けたものである。ならば、ジェイクがレジー・ウィングフィールドの顔を見れば、直ぐに白黒ハッキリする筈だ。
「行って、ロウェル……私は大丈夫だから。カーター保安官ならきっと、信じてくれるよね?」
「ああ……たぶん」
アストリッドは頷いた。
問題は、朝からアリーの姿が何処にも見当たらない事だ。助手がバッヂを着けて彷徨いているのだから、彼女も今日は仕事をしている筈である。
「とりあえず、ジェイクにこの事を知らせに行くよ。ベル、ありがとう」
「気を付けてね……」
脱力しているベアトリーチェをこの場に残して行くのは少し気が引けたが、お礼の言葉もそこそこに、気が付けば、アストリッドは駆け出していた。
* * *
パレードに近付くと、楽隊の奏でる音楽の賑やかさが一層増す。
「ジェイク……」
大声を張り上げようとも、アストリッドの声が親友の耳に届くとは思えなかった。
それに……。
声が届いたとしても、一体、何をどう説明すれば良いというのか……?
ベアトリーチェは、アシュリーを行かせるなと言った。
──何処へ?
それは中央広場だ。レジー・ウィングフィールドの待つメイン会場へ、アシュリーを行かせてはならないと、彼女は言ったのだ。
──それは一体何故なのか?
あの恐怖を体験した、ベアトリーチェの予感がそう言わせた。
「…………」
アストリッドは、今朝からの様々な出来事を思い返しつつ女神の花車を追った。花車には、追い付けそうで、なかなか追い付けない。
花車の側面……中段に当たる足場に立って、妖精役の子供達が周囲に花びらを撒いていた。その上の最上段では、アシュリーが見物人に向かって愛想良く手を振っている……。
花火が上がった。
ついに、祝福されるべき女神の花車は、公園の敷地内へと進入した。
花吹雪……見物人の歓声……賑やかな音楽……途切れることのない極彩色と騒音に、少し目が回りそうだった。
アストリッドは、人垣をすり抜けて公園の芝生を横切り、近道をした事で漸く女神の花車へと近付けた。公園の敷地内は足場が悪いからか、花車はとてもゆっくりと進んでいる。
「あ……、ちょっと、君!」
花車に乗り込もうとしたアストリッドを目ざとく見付け、警備員が駆け寄って来た。
「ロー!」
その時、頭上からジェイクの声がした。
見上げると、ジェイクが自分の花冠をアストリッドに投げて寄越すところだった。
ふわりと降って来た花冠を、アストリッドが受け取った。
「いいでしょう?」
それをかぶって警備員にニコリと微笑む。すると警備員は、「仕方が無いなぁ……」と口にして困った様に笑うと、ヒョイと身を引いた。
「ありがとう!」
そう言って、アストリッドは急ぎ足で花車に飛び乗った。
荷台の内部は、外見と同様に高さのある空間だった。頑丈そうな骨組みの合間を縫う様にして、狭くて急な階段が造り付けてある。中は意外と静かだった。外の雑音を、四方の木の壁がよく遮断している様だった。
「ロー、どうしたの?」
荷台から、ジェイクがするりと降りて来た。
「ジェイク! ロウェルを連れて来て!」
上からアシュリーの声がする。
「それがさ…──」
アストリッドが手早くベアトリーチェの話を伝えると、ジェイクの顔色が変わった。
「それ……本当?」
「たぶんな。お前がレジー・ウィングフィールドの顔の傷を見れば、ハッキリするかと思って」
「そうだね……」
「何か気になる事でも?」
少し眉根を顰めたジェイクにアストリッドが問うと、彼は一つ頷いた。
「うん。アシュリーのアミュレットの事なんだ」
ジェイクの答えに、アストリッドはハッとした。
「あれ、オジサマのプレゼントだったな」
「うん…、僕……もしかしたら、あの真ん中の石と同じ種類の宝石を、本で見た事があるかもしれない」
アストリッドは、アシュリーの胸元で輝いていた、不思議な光を湛えた宝石の姿を思い起こした。石は球体で透き通っており、その中心には核の様な塊が沈んでいた。発光しているのは、主にその核だった。
「もしかしたら、あれは〝竜葬石〟という名の魔法石かもしれない。見た目からじゃあまり分からないけど、その正体はドラゴンの眼球の化石でね……あの大きさだし……とても強力な魔力を秘めている筈なんだ」
ジェイクの言葉に、アストリッドは驚いた。
「え……? そんな危ないもんを一体何に使おうって……──」
「ちょっと……二人共! いつまで私を一人にしておくつもり? 絵面的に有り得ないんだけど!」
再び、頭上の荷台からアシュリーの声がした。
「女神がお呼びだ」
「ロー、静かに」
「え?」
「何か聴こえる」
「…………」
不意にジェイクが言ったので、アストリッドは黙って耳を澄ませた。しかし、特に変わった音は聞こえない。強いて言うなら、花車を形造っている骨組みが、ギシギシと大きく軋む音が耳障りなくらいだった。
しかし…──アストリッドは思った。先程、花車に乗り込んだ時には、骨組みはこんなに軋んでいなかった。
「道が悪いからだ。荷台が随分、揺れている……」
二人は、内部の空洞をグルリと見回した。するとその時、何処からともなくパキパキ…と、小さな断裂音が聴こえた。
「骨組みが……」
次の瞬間、バキッ…! と、明らかに、何処かで木材がへし折れる大きな音がした。
「マズい……、花車が崩れるかもしれないぞ」
バキッ……バキバキッ……!
そして、アストリッドの予想通り、一度崩壊が始まると、事態の悪化は瞬く間であった。
辺りに見物人の悲鳴が響き渡った。
「大変だ!」
「子供が落ちた!」
何箇所かの骨組みが折れたので、荷台の一部が傾いていた。外の足場が不安定になり、中段の妖精役の子供が落ちたのだろうと思われた。
「飛び降りろ……! 花車が崩れるぞ!」
アストリッドが狭い階段を上がって中段の足場に顔を出すと、怯えた様子の子供達の姿が目に飛び込んで来た。
「こっちへ!」
「大丈夫だよ、受け止めるから……おいで!」
アストリッドの言葉を受けて、見物人が駆け寄って来た。警備員も、騎馬警備隊も駆け寄って来て、辺りはあっと言う間に蜂の巣を突付いた様な騒ぎになった。
「きゃあああ……!?」
上から、アシュリーの悲鳴が聴こえた。
「女神が……!」
誰かが叫んでいた。
バキバキバキ…──。一際大きな音がした。
女神の花車の崩壊と、アストリッドと子供達が荷台からの脱出を終えるのは、ほぼ同時だった。
その時、アストリッドは見た。
大きく傾く花車の最上段から、瓦礫を脱ぎ捨てる様に、ふわりと飛び出した影があった。
女神のドレスが、花びらと共に青空に翻る。
ジェイクが、アシュリーを抱えて最上段から飛び降りたのだと、瞬間的に理解した。すると次の瞬間、驚いた事に、ジェイクは彼女を抱えたままで、石畳の地面に軽々と着地した。まるで、猫の様だ。
――これも、魔法印の効果に因るものなのだろうか……?
「ジェイク!」
アストリッドが、二人に駆け寄った。
「ロー、怪我は無いかい?」
「そっちこそ大丈夫か?」
ジェイクの瞳が、金と緑の斑模様に煌めいている。
その表情は、自分の所作が信じられないと言った様子で、僅かだが驚きの色を含んでいた。
「ふ…、あ、あぁ……?」
アシュリーはと言えば、今だジェイクに抱えられたまま、目を真ん丸に見開いて口をぱくぱくさせている。まるで、錯乱状態だ。
アストリッドは思わず視線を走らせた……彼女の胸元の魔法石には、特に変わった様子は見られなかった。
「アシュリー? 大丈夫?」
声を掛けるジェイクと、ハッと我に返った様子のアシュリーの視線が間近でかち合った。
「な……、何をしているの! 貴方はッ!?」
次の瞬間、アシュリーは何を思ったのか、ジェイクの顔面目がけて拳を繰り出した。
「わっ……?」
しかし、ジェイクはずば抜けた反射神経で、その拳を寸での所で受け止めた。
「う、受け止めないでよ!」
「冗談だろう? 気は確か? 暴れると支えきれないよ……君、重たいから、もう降りてくれる?」
「重たい? 今、私が重たいって言った!?」
「…………」
「女神は…大丈夫……そうですね?」
アストリッドの背後から、担架を抱えた救護係が呆れた様子でそう呟いた。
「はい、そのようです……怪我も無いみたい……」
これには、アストリッドも真顔で頷き返すしかなかった。二人共、呑気に喧嘩が出来るなら心配は無いだろう……、そんな事を思いながら。
しかしこの時、アストリッドはまだ気付いていなかった。
人混みを掻き分けて、ツカツカとこちらに歩み寄って来る招かれざる者の影に。




