【2】
春の女神の衣装は、それは可憐なものだった。
アシュリーは、色とりどりの花で飾られた白いドレスと花冠を身に着け、背には小振りな天使の翼があった。勿論、造り物だ。
「どうかしら?」
彼女が問うと、取り巻きの少女達が黄色い歓声を上げた。皆が口々に、アシュリーの美しさを称えている。
アストリッドとジェイクは、そんな少女達を遠く尻目に出発の時刻を待った。
「お前は着替えなくていいの?」
アストリッドが問うと、ジェイクは頷いた。
「うん。これ、かぶるだけなんだって」
そう言ってジェイクが見せたのは、アシュリーの物より少し地味めの花冠だった。
「君はどうしてる?」
今度は、ジェイクがアストリッドに問う。
「オレは下で見物してるよ。花車に怪しい奴が近付いて来ないか見張っておいてやる……──」
「それは頼もしいね」
するとそこで、二人の会話が途切れた。誰かが近付いて来たからだ。足音に振り向くと、そこに立っていたのはベアトリーチェだった。
「やあ、どうしたの?」
ジェイクが、彼女に明るく話し掛けた。
その時、アストリッドはベアトリーチェが酷く青褪めた顔をしている事に気が付いた。
「ベアトリーチェ、体調でも悪いのか?」
思わず、そう問い掛けた。
「え…、……ええ…──あの、私…少し気分が悪くて。でも、大丈夫よ……」
少女がオドオドと答える。
その時、あちら側でアシュリーの取り巻きの少女達が一際大きな歓声を上げた。
「何だろう?」
「春の女神役に選ばれたお祝いに……って、昼食の後、アシュリーの叔父様がプレゼントを持って来て下さったの……。高価なアミュレットなんですって……きっと、それを身に付けたのね」
「へぇ……」
ジェイクの呟きに素早く答えた後、ベアトリーチェは呼吸を整える様に浅い溜息を吐いた。
「やっぱり私、今日は疲れてしまったみたい……。もう帰るね。お邪魔してごめんなさい……」
「そうか。気を付けて」
「……ええ」
「良い春休みを」
「そちらもね……」
儚げな微笑みを浮かべ、ベアトリーチェが踵を返した。
その頼りなげな背中が校庭の方角に消えるのを見送ると、ジェイクは「さて……」と呟いて腰に手を当てた。
「僕も、そろそろ行かなくちゃ」
「馬車まで見送ろう」
パレードの花車は、春の女神の乗る一台きりではない。
広場には、メインの大きな花車の他にも、何台もの荷馬車が花で飾られ連なっている。それらの荷馬車には、虫の翅らしきものを背に生やし、おとぎ話の妖精になりきった子供達、豊作と豊漁を祈る占者、女神の遣いとして道行く人に花の種を配る乙女達等……花祭りには欠かせない役柄に扮した人々が乗り込もうとしていた。
そして広場のあちこちには、保安官と自警団からなる騎馬警備隊の姿がある。しかし今日は、そこに顔見知りの保安官は見当たらなかった。
「近くで見ると、結構な高さだなァ……」
アストリッドが、女神の花車を見上げながら呟いた。その花車には、ジェイクとアシュリーの他にも、数名の〝妖精達〟が同乗する様だ。
「よろしく、アシュリー」
「……こちらこそ」
ジェイクと握手をするアシュリーの表情は硬い。まだ、ジェイクに対して機嫌を損ねているのだろうと思われた。
アシュリーの胸元には、まるでそれ自体が発光しているかの様な、不思議な光を湛える宝石の首飾りがあった。ひと目で、高価な魔法魔術製品だと認識出来る。すると、アストリッドと同じ事を思ったらしいジェイクが、直ぐに口を開いた。
「その首飾りが、叔父さんに貰ったアミュレット?」
ジェイクの言葉に、アシュリーは驚いた顔をした。
「え……? ええ…そうよ。誰に聞いたの……──ああ、ベル…あの子ね……」
「うん」
ジェイクが頷くと、アシュリーが胸元の光る宝石をそっと手にした。
「そう……ついさっきね、頂いたのよ。実は……だから私、とても安心したの。
それというのも、夕べ、お父様と叔父様が随分と長い時間、言い争いをなさっていて、今日のパレードは観に来て頂けないと思っていたものだから」
「お父様って……、今日はイアン・ウィングフィールド侯爵もパレードの見物を?」
アストリッドが問うと、アシュリーは頷いた。
「ええ。レジー叔父様とお二人で、パレードの到着場所の貴賓席にいらっしゃる筈よ」
「侯爵と君の叔父様は、普段から仲が悪いの?」
ジェイクの問いに、アシュリーはキョトンとした。
「そうね……、あまり仲が良いとは言えないわ。どちらかと言うと、叔父様がお父様を避けている感じかしら? お父様はお父様で、この頃、叔父様がはじめられた慈善事業がお気に召さないらしくて」
「ふぅん……」
アシュリーが肩を竦めて答えると、ジェイクは曖昧な相槌の後、彼女のアミュレットから視線を外した。
その時、晴れ渡る青空に、パレードの出発を報せる楽隊のファンファーレが高らかに鳴り響いた。
「女神! そろそろ乗って!」
軽やかな行進曲と共に、人の波が動き出す。係りに呼ばれたアシュリーが、「いけない」と呟いて踵を返した。
「アシュリー」
すると、ジェイクがアシュリーを呼び止めた。
「何よ? 早く行かなくちゃ。貴方もよ」
アシュリーが不機嫌に答えると、ジェイクは続けた。
「諦めは付いたの?」
「…………」
ジェイクの言葉に、アシュリーが口をへの字に曲げた。
「貴方ってやっぱり嫌な奴。でも、私もそこまで往生際は悪くないんだから。覚悟を決めなければならないのなら、そうするわ……自分の意思でね。後から誰かのせいにするのは格好悪いでしょう?」
「…………」
ジェイクと一緒に花車に乗るのは、それ程覚悟が必要な事なのか……? ──という突っ込みを、アストリッドは、彼女の心意気に免じて飲み込む事にした。
* * *
パレードの進行は、概ね順調だった。
春の女神が微笑んで手を振ると、通りの見物人から歓声が上がった。「今年の女神役は、本物も舌を巻く美しさだ」などという、愛すべき侯爵令嬢を褒め称える声が、あちこちから聞こえた。
アストリッドは、ジェイクとアシュリーが乗る花車の速度に合わせて、歩道の奥を歩いていた。沿道は人集りなので、花車の側を並んで歩くのが難しかったからである。
時折、青空に色とりどりの花びらが舞う。
その光景は、とても幻想的で美しかった。
しかし……不意にその時、アストリッドの脳裏に、仄暗く淀んだアクシオンの街並みが浮かんだ。
「…………?」
煤けた裏路地の奥の方。そこに、ぽつんと独りで佇むリオンが、恨めしそうな顔でこちらを見ていた。アストリッドはリオンに向かって、「こっちへ来い」と思わず声を掛けたが、彼は首を振って後退った。
リオンは答えた。
「お前がこっちに来るんだよ。アクシオンに帰るんだ。嫌われ者のジルはもういない……だから、きっと愉しいぜ。あの頃みたいに、自由で気儘な野良暮らしへ戻ろう。
もう二度と、誰にも支配されない世界で、オレ達一緒に生きられる! アストリッド──」
『……お前に、逢いたかった……ずっと……』
「…………!」
アストリッドは、ハッとして立ち止まった。
──そうか……何故、最初に気が付かなかったんだろう?
一瞬そんな事を思ったが、自ら直ぐに、その考えを否定した。
そして、いくら何でも気付ける筈がないと思い直した。
先ずは何より、あの夜は視界が悪かった。同時に、非日常的な緊張感の真っ只中でもあった。極めつけは、濃い化粧と女物の服だ。加えて〝あれから〟三年の歳月……声変わりはした様だが、その声は、女性のものとしても違和感を感じない程度に高音域の、いわゆるかすれ声だった。
アストリッドの脳裏で、突然の様に、リオンとドレスの少女の姿が重なった。
華奢な身体。
艶のない赤毛。
瞳の色は、薄茶色。
記憶にある共通点はそれだけだったが、重なった二人の姿はピタリと一致し……〝彼〟は緩やかに微笑った。
つまり、二人は同一人物だったのだ。
「……リオン……、何処だ……!?」
思わずその名を呟くと、アストリッドは足早に歩き出した。
人混みの中に、その哀れな存在を探して。




