【5】
「今度、ジャックに相談してみるよ」
「うん、それがいいね」
アストリッドは、ジャックと初めて出会った日の事を思い出していた。
あの日、彼は怒り狂っていた。
今こうしている間にも、人間が家畜の様に売り買いされている現状を、ジャックが心良く思っていないのは明らかだった。
この春、ジャックは遠く、イーシス連邦共和国の首都に滞在している。アレシスも一緒だ。何でも、新しい事業を始めるとかで、この頃のジャックは落ち着く暇もなく、関係各地を転々と飛び回っていた。
まだ、事業の内容は明らかではないが、相当に大きな計画が企てられている事を、アストリッドはそれに関する資金の流れから予感していた。
いつまでも、落ち込んではいられなかった。
アストリッドは気を取り直して、背筋を伸ばした。しかし……もう、卵探しという気分では無い……ジェイクもどうやら、そんなアストリッドの気持ちを察してくれた様だった。
「もうすぐお昼だし、花束を交換に行って何か食べようよ」
「それもそうだな」
ジェイクの提案に、アストリッドは頷いた。
その時だった。
「ロー、アレを見て」
ハタとした様子で立ち止まったジェイクが、雑木林を指差した。通り過ぎた花を運ぶ人々の姿が、点々と残る木々の間……アストリッドは、一際大きな人影がある事に気が付いた。
人影は、羽織ったマントのフードを目深に被っており見るからに怪しげだ。しかし……──。
「花を運んでるんだろ?」
アストリッドが言った。
人影は、大きな花かごを背中に担いでいる。
「あの大男だよ、顔を見なかった?」
「あんなに遠くちゃ、見えないさ」
「僕には見えた。顔に大きな傷がある。まだ新しい傷痕だ」
「…………」
アストリッドは常々思っていたが、ジェイクは、とても目がいい。
「だから……?」
「僕が付けた傷だ。自分がやったんだ……見れば判る」
「何だって?」
アストリッドはギョッとした。
脳裏に蘇ったのは、冬の事件の時に出会った灰色の半獣人の姿である。
「こっちに気付いていないみたいだ……後を付けよう。君はどうする?」
「お前一人で行かせられる訳ないだろ」
アストリッドは苦々しい顔をしたが、そんなアストリッドにジェイクはニコリと微笑んた。
* * *
二人は、傷の男の後を追った。
傷の男は、花を運ぶ人々の群れと一緒に学院の裏手の門──何台もの花車を停めてある広場へとやって来た。
広場は賑わっている。
あまりに人が多いので、アストリッドとジェイクは、広場に踏み入る頃にはあっさりと傷の男を見失ってしまった。
「あれ? おかしいな……」
「あの辺りで、消えたみたいだ」
「あまり近付かない方がいいぞ。様子を見よう」
「うん」
二人は人混みを少し離れ、積み上げられた花壇のレンガに腰を下ろした。目の前の広場では、見る見るうちに、花車が新しい花で飾り立てられてゆく。中でも一際大きな花車は、地面から座席の位置まで優に大人の背丈の二倍以上あった。
「あれが、女神の乗る花車か? デカいなあ……荷台の下はどうなっているんだろう?」
「骨組み以外は、空洞じゃないかな?」
「へぇ……」
広場の隅では、楽隊がパレードの為に練習や楽器のチューニングを行っていた。他にも、花車を組み立てるノコギリやトンカチの鳴る音、賑やかな話し声、物売りの呼び声にイベントの進行を指示する大声……。
広場はとにかく喧しい。
「お花をありがとうございます! 危険ですのでおさがり下さい! 車の周りを締め切りますー!」
花車の側で、腕章を付けた進行係らしき女性が叫んでいた。
やがて人々が花車の周りからワラワラと離れると、その周囲に立入禁止のロープが張り巡らされた。
「準備が出来たみたいだ」
大工仕事や飾り付けの者を残して、花車の周りから人が居なくなった。
その時である。
「あっ!」
唐突にアストリッドが声を上げたので、ジェイクがキョトンとこちらを見た。
「居た……奴だ」
アストリッドは、背中に籠を背負った傷の男の姿を視界にしっかりと捉えた。男の籠には、まだ花が残っていた。
「あそこ」
アストリッドが身を低くして傷の男を指差すと、ジェイクが頷いた。しかし……──同時に、今度はジェイクが「あっ」と声を上げた。
「ルーアがいる」
「何だって?」
今度はジェイクが指差した方を見ると、傷の男の位置から、二人を挟んで広場の対角線上の屋根の上に兎の耳を付けたルーアの姿があった。つまり、アストリッドとジェイクにとって、追い掛けたい人物が二人、全くの逆方向に現れた事になる。
「どっちに行く?」
「もし相手に見付かったら君じゃ逃げ切れないだろう。僕がお尋ね者を追う」
「じゃあオレは、あそこの愉快な保安官助手に応援を頼みに行って来る」
「オーケー」
アストリッドとジェイクは頷き合うと、互いの行くべき方角に足を踏み出した。
* * *
「ルーア!」
アストリッドがその名を呼ぶと、彼はハタとした様子でこちらを見下ろした。
「どうかしたのか?」
ルーアは大真面目な顔で、そう問い返してきた。まるで、今の自分の愉快な姿を忘れてしまっているかの様だ。
「あ…、あっちに怪しい奴が……」
「怪しい奴?」
すると彼は、屋根の上から音も無く地面に降り立った。
「今日は、保安官連中は総出で花の列を警護する。オレも駆り出されている。話を聞こう」
「ありがとう……花の列と言うか……パレードだろ?」
「ああ……そう言う呼び方をしていた様な気もするな」
ルーアがアストリッドに着いて歩き出した。アストリッドはジェイクの姿を探しながら、ルーアに傷の男の事を説明した。
ルーアは、理解した様子で頷いた。
「さっきの人混みに紛れていたんだな? 急に人間が大勢増えたせいで、気配を感じる事が出来なかった様だ」
「そうか……」
「しかし、あの少年がそうだと言うのなら手配犯の一人で間違い無いのだろう。ジェイクと言ったか……精度の高い変身魔法の使い手だ。余程、腕の立つ彫師と知り合いらしい」
「変身、魔法……」
アストリッドがその言葉を繰り返すと、ルーアは話を続けた。
「そうだ。刺青魔法と併用するのが前提条件の〝失われた魔法技術〟だ」
アストリッドは、自分がルーアの話の半分も、本当の意味では理解出来ていないと感じた。唯一つ分かったのは……以前、ジェイクが自分で言っていた通り、彼の黒豹は〝特別仕様〟なのだと言う事だった。
「ジェイクを見なかったか?」
「あっちに行ったよ」
アストリッドが通りすがりのクラスメイトの何人かに声を掛けると、裏門から学院の敷地の外を指差しながらそう答える者がいた。
「…………」
「外か。参ったな。見失ったかも……──」
そう呟いた時だった。アストリッドは、道端に白い花が点々と落ちている事に気が付いた。それは、傷の男が背負っていた花に似ている気がした……。
「前言撤回。こっちだ」
アストリッドは、白い花の落し物を辿って駈け出した。
やがて、花祭りで賑わう街角に、ジェイクの姿を見付けるのにそう時間は掛からなかった。ジェイクは、手に白い花の束を握り締めていた。
「傷の男の籠から落ちたんだ。目印に丁度いいと思って……君なら気付くと思ってた」
「どうも」
ジェイクは建物の影から、路地の奥を伺っている様子だった。
「この奥か?」
ルーアが問うと、ジェイクは頷いた。
「仲間がいるみたいなんだ」
「ならばオレが探って来よう。お前達はもういい。頼まれてくれるならば、事務所のアリーに言伝てを……」
「分かった」
アストリッドとジェイクは、素直に頷いた。
その時である。
路地の奥から、ガラガラとけたたましい車輪の音が、辺りに響き渡った。
「危ない!」
アストリッドが思わず声を上げた。
路地裏から猛スピードの馬車が、歩行者で賑わう通りに飛び出して来たのだ。
通行人から悲鳴が巻き起こった。
飛び出して来たのは、異様な出で立ちの馬車だった。真っ黒な四頭の馬が引く、巨大な黒塗りの馬車だ。豪奢な飾りは美しいが、それらは祝いの場所に相応しいものでは無かった。何故なら……馬車はどう見ても、霊柩馬車だったのだ。
そんな厳かな筈の乗り物に、何人かの生きた人間が乗り込んでいるのが見えた。御者は、不気味な鳥頭の仮面を付けている。
そして、そこにはやはり…──傷の男。
その時、アストリッドは見た。
傷の男の隣に、赤毛の人物の姿がある。それは何と……驚くべきことに、リオンだった。
リオンの昏い眼差しが、チラリとこちらを見た様な気がした。だが、それも束の間……彼は何事も無かったかの様に、鳥頭の仮面でその素顔を覆い隠した。
それから霊柩馬車は、白い花びらを雪の様に舞い散らしながら、瞬く間に街並みの向こうへと走り去ってしまったのである。
アストリッドは、呆気に取られた儘でそれらを見送った。
例え魔族でも、乗り物でも無ければアレを追跡するのは不可能だろうと思われた。
「……ルーア」
「何だ?」
アストリッドの問い掛けに、ルーアはこちらを振り向き首を傾げた。
「まだ、何も分からないのか? あの時の連中と同じ仮面だった。あいつらは、一体何者なんだ?」
「…………」
少しの間があった。
「さあな。まだ……誰も分からない様だ。〝仮面の教団〟……今の所、報告書には、便宜上の呼び名としてそう記してあった」
霊柩馬車の暴走に、騒然としていた人々が漸く落ち着きを取り戻し始めた街角だった。
通りすがりの子供が一人、まじまじとルーアを見上げていた。
「…………!」
アストリッドはハッとした。
「……お前達、それは少し卑怯だろう?」
ルーアがぽつりと呟いた。
アストリッドとジェイクが二人、同時にルーアの腕を掴んだからである。
「何とでも」
「ハンデは必要さ」
「すっかり忘れていた」
ルーアが肩を竦めながら、頭上の長い耳を取り外した。そうしてその口元に、ほんの僅かだが笑みを浮かべたのだった。




