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BLESSED CHILD 【Ⅰ】 星紡ぐ風の荒野  作者: 寿々
プロローグ 灰色の少年
2/37

【1】

 少年は、気が付けばたったひとり、この場所に取り残されていた。


 始めに、父親がいなくなった。父親は僅かばかりの貯えを全て分捕り、何かから逃げるようにこの街から消えた。

 続いて母親がいなくなった。父親が消えて稼ぎ口が無くなって、幼い息子を抱えた女は生きるために身を売った。そうして、やがて壊れて道端でゴミのように死んだのだ。


*  *  *


「うっ……」


 小さなうめき声を上げて、少年は目を覚ました。

 そこは、薄暗い地下の物置部屋だった。

「くそ…っ……」

 独り言をつぶやいてゆっくりと起き上がる。すると物置部屋に積んである、酒の匂いが鼻をついた。


 まだ年端もいかない幼い顔立ち。青い瞳に、明るい灰色の髪の毛。薄汚れた服を着ていて、肌は白くてとても痩せている。


 酒の匂いに吐き気をもよおした少年は、ふらふらと立ち上がると、おぼつかない足取りで地上へと続く階段を昇った。その先は、少年が下働きを勤める小さな酒場のフロアとなる。

 夕べ、悪ふざけが過ぎた客が少年に酒を飲ませた。彼は酔っ払い、地下へと逃げ込んだがそのまま意識を失ったらしい。すでに夜は明け店仕舞いの時間はとっくに過ぎている。店主も家に帰ったようで、店内には人っ子一人残っていなかった。


 ――今夜はこっぴどく叱られるな。

 少年は小さな溜息を吐いて、ねぐらへ帰ろうと酒場を後にした。



 外は明るく、とてもいい天気だった。さらさらと流れる風が気持ちいい。昼間のこの辺りはとても静かだ。時折、野良猫が小さな鳴き声を上げて路地の隅へ逃げてゆく。


 歓楽街の裏にある、みすぼらしい下町。


 道端に倒れている酒瓶を抱えた男が、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 だが、そんなものを気にする人間など、この町にはひとりもいない。少年も例外なく、そこに誰の死体が転がっていようと、大抵は、特に気にすることも無かった。



 町外れの河川敷まで来ると、少年は土手を滑るように降りた。そこから今は使われていない下水道へ入り込むと、奥に少年達のねぐらがあった。


「おかえりアストリッド」

「いたのか、リオン」


 ねぐらへ戻ると、赤毛の少年が埋もれた毛布の隙間から顔を出した。


「頭、痛い」


 灰色の髪の少年……――アストリッドは、そうつぶやいて靴を脱ぎ捨て、赤毛の少年リオンの傍らの、自分の寝床に身を横たえた。


「何か食うものある?」

「何も無い」

 リオンの言葉に、ぶっきらぼうにアストリッドが答える。

 地下で気を失っていたので、店仕舞いの時に残り物を分捕り損ねた。リオンは、そんなアストリッドの持ち帰る食料を毎日当てにしてここに居付いていた。

 少年達は浮浪児だった。別に彼らが特別なものではない。この下町に、そんな身の上の子供は少なくなかった。親が死んだり捨てたられたりと理由はさまざまだったが、大人が一人で生きていくのも大変なこの時代の、ここは極貧層の集まる地域である。

 昔、アストリッドが母親と流れ着いたこの町。抜け出し方もわからない。ただ日々を生きていくのに精一杯で、それ以外を考えることなどできなかった。考えられるほど、まだ少年達は大人でもなかった。


「アストリッド、お前……少し、気を付けた方がいい……」


 唐突に、リオンが背後でつぶやいた。


「何に?」

 ぐったりと横になったまま、虚ろな様子でアストリッドが問い返す。

「ジルが……」


 ジルというのは、この界隈を縄張りにする幾つかの少年少女のグループの、リーダー格である。アストリッドとはどうしても馬が合わないらしく、普段から何かと衝突する。アストリッドは、ジルの事があまり好きではなかった。


「ジルがどうした?」

「何だか分からねぇけど、お前をどうにかするかもしれない。昨日溜まり場でお前の弱みを握ったんだって息巻いてたのを、見たんだ」

「ふぅん……」

「何か思い当たることでもあるのか?」

「別に」

 アストリッドはリオンに、適当な嘘の返事をした。


 リオンの忠告に、思い当たる節は幾つかあった――が、一番の弱みと言えば、勤める酒場の帳簿を改ざんして売り上げをくすねている事だろう。金額にすれば大した額ではない。しかし、店主にバレれば恐らく無事では済まない筈だ……。

 しかし店主は思ってもみないだろう。

 下町の浮浪児で、まだ年端もいかない幼い子供に、読み書きが出来るばかりでなく、帳簿を改ざんする能力まであるなどと。

 誰かにやり方を習ったわけではない。けれど、アストリッドは何故か〝そういう事〟が得意だった。


「そっか。ならいいけどさぁ。気を付けるに越したことはねぇよ」

「そうだな。覚えておくよ」

 リオンに生返事をし、アストリッドは目を閉じた。




 ……それから、どのくらいの時間が経っただろう?


「……ッ!?」


 アストリッドは、突然の衝撃に目を覚ました。


「…ッ……ゲホッ! ゴホッ!」

 咳き込んでいるのはアストリッド自身だ。


「アストリッド!」

 リオンの叫ぶ声がした。

「外に放り出せ!」

 誰かが怒鳴っている。


 アストリッドの身体がフワリと宙に浮き……――誰かに担ぎ上げられたのだろう、次の瞬間には、硬い石畳の上に乱暴に放り投げられた。


「いっ…、てぇ……」

 アストリッドは呻いた。


「ひでぇよ! ジル! いきなり暴力を振るうことはないだろっ?」

「うるせぇリオン、こいつは生意気だからな。最初にこれくらいやらないと喋りゃしない」


「……ジル?」

 アストリッドは痛む身体を庇いつつ、視線を上げた。


 そこに、自分をぐるりと取り囲むようにして立っていたのは、ジルとリオン、そして、いつもジルのケツに魚のフンのようにくっ付いている、彼の取り巻きの少年達だった。

「何…、……か、用?」

 搾り出すような不機嫌な声音で、アストリッドがジルに問う。

「お前に聞きたいことがあって来たんだよ」

 言いながら、ジルは手にしていた小さな皮の袋を、アストリッドの目の前に投げ付けた。

 地面に叩き付けられ、その皮袋の中から金貨が数枚、小気味の良い音を立てて零れ出た。すると周りの少年達は、それを見つめてごくりと物欲しそうに息を呑んだ。


「それは……――」

「さあ、お前。この金を何処でどうやって手に入れたのか、言え。さもなければさっきよりずっと痛い目を見るぞ」


 アストリッドは目を見開いた。


「どこでこれを?」


 その皮袋には見覚えがあった。それはアストリッドが、日々、酒場の売り上げ金をくすねてコツコツと貯め込んでいた、金、銀、銅貨の入った秘密の皮袋だった。

これは確か、誰にも見付からない様、ねぐらの奥の、偶然見つけた壁の穴の中に隠しておいたものである。


「リオンのやつが持っていたのさ」

 アストリッドの質問に答えながら、ジルは傍らのリオンの首根っこを掴むとその場に引きずり倒した。


「乱暴はやめろ……っ!」

 起き上がって、アストリッドがリオンを庇う。すると、ジルは大声で笑った。

「そいつを庇うのか? お前を裏切ろうとしていたんだぜ?」

 ジルの言葉に、アストリッドはフッと嘲笑った。

「リオン、分かってるよ……。盗んだんだろう? 隠し場所を知ってたんだな」

 アストリッドが言うと、リオンは青ざめた顔でこちらを見た。

「アストリッド……」

 彼は小さな声で呟いた。

「俺、見たんだ……。お前が壁の穴にそれを隠しているの。

 ごめん……俺、金が欲しくて……――腹が減って。だから……でも、そうしたらジルに見付かった。お前がどうやってその金を手に入れたのか聞きだせって、脅されて。酒場の仕事だけで稼げる金額じゃねえって……ごめん、アストリッド、俺……――」


 リオンは震えていた。

 罪悪感か、ジルのことが怖いのか、そのどちらかは分からなかった。


「そっか。まあ、別にいいよ。ご想像どおり、まともに稼いで手に入れた金じゃないからな」


「ごめん……」


 別に、リオンに腹は立たなかった。

 最初から、自分の稼ぎを当てにしてくっ付いてきただけの、役に立たない存在だった。何か特別な信頼を寄せていたわけでもない。


「やっぱりそうか。じゃあ吐いてもらうぜ、この金をどこで手に入れたかを」


「教えてやってもいいけど、お前に俺の真似はできねーよ」

 思いっきりの皮肉を込めた笑顔で、アストリッドはジルに言い放った。だがそれが、この凶暴な少年の逆鱗に触れた。



「やめろ! アストリッドが死んじまう!」



 何処か遠い所で、リオンが叫んでいた。


 リンチが始まった。

 骨が軋み、口の中に鉄の味の液体がいっぱいに広がって、喉が詰まる。アストリッドは背中を丸めて縮こまり、嵐が過ぎるのを待つ様に、じっと痛みに耐えていた。

 少年とはいえ、体格はもう大人のそれと殆ど変わらないジルの一味にめちゃくちゃに殴られれば、本当に死んでしまうのではないかと思えた。


 ジルに、服の襟を掴まれアストリッドの足が宙に浮いた。


「しぶといやつ」


 ジルの、夜のドブ川の様な真っ黒い目が、アストリッドを睨みつけた。

 アストリッドは、止せば良いのにと分かっていながらも、せめてもの仕返しと、ペッと音を立ててジルに向かって唾を吐いた。ジルの頬に、赤い液体が撥ねて流れ落ちた。


「このっ……!」

 ジルがアストリッドを地面に投げつけた。

「ぐっ!」

 アストリッドが短い悲鳴を上げる。


 指先がぶるぶると震えた。それでも、この悪魔達から少しでも遠ざかろうと地面を這う。そんなアストリッドの頭を強い衝撃が襲った。


「……ッ!」

 ジルの大きな足が、アストリッドの頭を踏みつけている。

 耳の奥で、ミシッと嫌な音がした。


「ジル、やめて……」


 先ほどからリオンが何か叫んでいるが、ただの一度も、体を張ってアストリッドを助けようとはしなかった。


 アストリッドは、意識を失った。




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