表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薔薇は満月に咲かない  作者: Rii
第1幕

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/22

第15話 観測不能の星

満月が近づくにつれ、城内の空気はわずかに張り詰めていった。──血が、夜に引かれている。月は、血を持つ者の奥を静かに揺らす。


セラフィオンから静かな申し出があったのは、そんな午後のことだった。


「月齢と血流の相関を観測したい。立ち会っていただけますか」


合理的な理由だ。王族として断るほうが不自然で、ローゼリアは迷わず頷いた。


研究塔は王城の北端、夜空に最も近い場所にある。塔へ向かう石畳の回廊は静まり返り、傾きはじめた夕暮れの光が長い影を引いていた。


首元の詰まったドレスを選んだのに、布の下の熱は消えない。無意識に襟元へ触れかけて、ローゼリアはすぐに手を離した。


隣を歩くセラフィオンは、一定の距離を保っている。触れれば届くが、触れなければ永遠に届かない距離。


セラフィオンの周囲には、いつも少しだけ冷えた匂いがある。ジュニパーベリーの青い静けさ。乾いたインクとホワイトティーが静かに重なる、情緒を置き去りにした“記録の匂い”。それは人肌の温度を拒む、静かな結界みたいだった。


「満月は二日後です。王族の儀式にとって、最も安定する周期──」


淡々と告げる横顔を見ながら、ローゼリアは思わず問いを投げた。


「反対しないの?」


セラフィオンはわずかに首を傾ける。


「合理的かどうかで言えば、反対です」


正直な答えに、ローゼリアは小さく笑った。


「でも、止めないのね」


「あなたが選んだ未来なら否定はしません」


夕暮れの光がセラフィオンの横顔を柔らかく縁取り、その瞳に淡い群青を落とす。感情を滲ませない男なのに、その声はほんのわずかに低く、深い。冷えた香りの奥で、シダーだけがほんのわずかに体温を含んだ気がした。


研究塔の最上階、観測室へ出ると視界が一気に開けた。開閉式の硝子天井は今夜は開かれ、群青へと移ろう空が広がっている。淡い星がひとつ、またひとつと灯りはじめ、涼やかな風が頬を撫でた。


「……綺麗」


「湿度が低い。観測条件は良好です」


ロマンを数値に変換する男に、ローゼリアは小さく笑う。


「星を見ても、ときめかないの?」


セラフィオンは夜空から視線を外さないまま、静かに答えた。


「あなたは“揺らぎ”が少ない」


褒め言葉なのか、検査結果なのかわからず、ローゼリアは少しだけ顔を顰めた。


「星は軌道を外れません」


セラフィオンは続ける。


「一度選んだ道を、揺らがず進む光です」


それがローゼリアのことを言っているのかどうかは分からない。ただ、その言葉は静かに胸に落ちた。理性の声で語られるのに、どこか温度がある。セラフィオンは夜空を見上げたまま、言葉を重ねた。


「……どうして、契約を急ぐのですか」


「……守りたいから」


「あの騎士を?」


「ええ」


風が吹き、髪が揺れる。セラフィオンの指が一瞬だけ動きかけ、止まった。許可のない接触はしない。その徹底した節度が、逆に意識を強くさせる。


「王族性を分けるということは、あなた一人の問題ではなくなるということです」


「わかってる。それでも」


迷いはない。夜は深まり、星は増えていく。


「あの騎士との契約を成功させたいのでしょう」


「ええ」


「ならば共鳴を安定させる必要があります」


「方法は?」


「私と契約してください」


「愛人契約の儀式をするってことかしら?」


「はい。私にも王族性を持つ血が流れています。共鳴の安定には有効でしょう」


「……そうかもしれないわね」


「……共鳴は、ただの形式ではありません」


「小指に刻まれた薔薇は、生涯消えません」


静かな視線が、ローゼリアの指先へ落ちる。


「それでも、私を受け入れてくれますか?」


低い声だった。青い瞳が、わずかに揺れる。逃げ道を与えるような問いのようで、逃げ道なんてないかのように青い瞳に吸い寄せられる。


「……不思議ね」


ローゼリアは夜空を見上げた。ひとつの星が瞬く。胸の奥で何かが引かれる。理屈ではない。血の奥が静かに疼いた。


「本当は、あなたを遠ざけるべきだと思うのに」


セラフィオンは黙ったまま、ローゼリアの視線の先を辿る。


「どうしてかしら」


小指に咲く紫の薔薇へローゼリアの視線が落ちる。そこにはもう、ルカリウスとの契約の証が刻まれている。セラフィオンの視線も、紫の薔薇を辿る。


(ルカは──怒るかしら?けど、これがルカのための選択となる気がする)


「あなたと契約するのが、間違いだとは思えないの」


「合意……と受け取ってもよろしいですか?」


ローゼリアは応える代わりに、セラフィオンの前に小指を差し出した。


セラフィオンは距離を詰めなかった。ただ右手だけを差し出す。互いの腕が静かに交差し、指先だけが近づいた。触れ合う小指の熱だけが、やけに鮮明だった。


小指を口元に近づけたまま、青い瞳だけがまっすぐ翡翠の瞳に向けられた。ローゼリアは先にセラフィオンの小指に牙を刺した。翡翠と青の視線が強く絡み合う。


ローゼリアに続こうと、牙を沈める直前、セラフィオンが一瞬だけ止まる。まるで、これ以上近づけば均衡を失うと知っているみたいに。息を吐くとセラフィオンもローゼリアの小指に浅くゆっくり牙を刺した。


光が滲む。赤とも青ともつかない淡い輝きが、二人の指先を包み込んだ。右手首の奥が、熱を持つ。一瞬、紫の奥へ青が静かに滲んだような影が現れた気がした。


ローゼリアの小指には、紫に寄り添うように青い薔薇が咲く。セラフィオンの小指にも赤い薔薇が咲く。契約した相手の色を受け継ぐように。


セラフィオンが静かに口を開く。


「私も……愛人となりました。愛称で呼ぶ許可をいただけますか」


ローゼリアは少しだけ考えて、頷いた。


「いいわよ、フィオ」


ほんの少しの沈黙のあと、セラフィオンは小さく息を吸う。


「……リア」


──その呼び方だけが、観測ではなかった。


理性の仮面の隙間から、はにかんだような表情が一瞬だけ覗いた。


「あなたがあの騎士を選ぶ未来が、合理的でないとしても」


セラフィオンの声色がわずかに変わった気がした。


「それでも私は、その未来の隣に立てる位置にいたい」


青い瞳が、初めて観測ではなくローゼリアだけを見ていた。


「……選ばれなくても構いません」


そう言いながら、その視線だけは少しも逸れなかった。その言葉は静かすぎて、優しいのに痛かった。


それでも星の下で並ぶ距離は、不思議と心地よかった。胸の奥で最初に響くのは、あの騎士の名前だけだったとしても。


夜空をひと筋の光が横切る。流れ星だった。


セラフィオンは願わない。願いは理論ではないからだ。けれど、指先が熱い。流れ星が消えても──隣の星からは、視線を外せなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ