第十七話 迷惑コンビ誕生
王立大劇場の舞台は、今や芸術と混沌が入り混じった戦場と化していた。
舞台中央では、凍結された幻影の古代遺跡の残骸と、虹色に光る氷の床の上で、レイラとミストの二人の魔族が、互いを罵倒し合っていた。
観客たちは恐怖と混乱のあまり、悲鳴を上げながら凍結された座席にへたり込み、誰もがこの悪夢のような状況を理解できずにいた。
「この、美学の欠片もないストーカー女! 貴様の醜悪な氷が、私の完璧な幻術のロジックを物質化させた! 私の芸術を汚すな!」
ミストが、優雅な顔を怒りで歪め、舞台を踏み鳴らした。
「黙りなさい、ロジック狂! アイリス様への私の神聖な献身を、貴方の悪趣味な幻影で邪魔するな! 私の氷上のバレエは、貴方の三流オペラなどとは格が違う!」
レイラは、青白い魔力を全身に纏い、劇場全体をさらに冷やし込んだ。
二人の魔法の衝突により、舞台を覆うマナ通信網のノイズは限界を超え、アイリスの脳内に響くノクトの通信も、途切れがちになっていた。
(神様、どうしたらいいでしょう!? 二人の魔力がぶつかり合って、劇場全体が崩壊しかねません!)
アイリスは、劇場の入り口から、何とか状況を報告しようと試みる。
『新人! 落ち着け! まずは戦闘態勢に入れ! あの二人が衝突している今が、唯一のチャンスだ! 奴らの目的は、結局のところお前だ。お前が舞台に上がれば、奴らは一時的に戦闘を停止する!』
ノクトの声は、雑音混じりではあったが、それでも冷徹な戦略を示していた。
しかし、アイリスが舞台に上がろうとした、まさにその時、ミストの幻術が、舞台と観客席を隔てる空間に、巨大な幻のゴーレムの幻影を出現させた。
「醜い幻影でアイリス様の視線を奪わないで! 貴方こそ、私の愛の舞台の邪魔だわ!」
レイラが叫ぶと、ゴーレムはたちまち氷の破片を全身に纏い、その幻影に物理的な質量が加わった。
ミストは、舞台に現れたレイラの凍結魔法を見て、ふと冷静になった。
「待て……。その氷。その冷徹なまでの精度。貴様、まさか、私のロジックの欠陥を突いたのか!?」
ミストは、レイラの魔法が、自分の幻術を物理的に固定させたという結果に、ゲーマーとしての興味を刺激された。
「何を言っているのかしら、ロジック狂? 私はただ、アイリス様への愛を表現しただけよ! 私の愛の力の前では、貴方の醜悪な理屈など、通用しないのよ!」
レイラは、あくまで「愛」が自分の力の源だと主張する。
ミストは、そのレイラの「非合理性」と「狂気」こそが、自分が王都でのゲームで負かされたアイリスの攻略速度を打ち破るための、究極のスパイスであることを、この瞬間、悟った。
「フフフ、そうか! その非合理性! 私の幻術のロジックと、貴様の凍結魔法の非合理な物理現象! この二つが結びつけば……」
ミストの顔に、病的な笑みが浮かんだ。
彼は、敗北を喫した相手への復讐という新たなゲームの構想が、一気に加速するのを感じた。
レイラもまた、ミストが自分の「愛の舞台」を汚したことへの怒りから、一転して、ミストの存在が「アイリス様を独占する」という目標にとって、意外な「道具」になり得ることに気づき始めた。
「貴方の薄汚い理屈は理解できないわ。でも、私の凍結魔法と組み合わせれば、王城全体を、より大規模な『愛の美術館』へと変貌させられるかもしれないわ……。私一人の力では、王城の結界の一部しか凍らせられない。でも、貴様の幻術で結界を歪曲させれば……!」
二人の利害は、この瞬間、「アイリスを独占(または対等に遊ぶ)する」という一点で、完璧に一致した。
「……貴様、私のロジックを理解できたのか?」
ミストが、疑いの眼差しを向ける。
「貴方の薄汚い理屈は理解できないわ。でも、アイリス様への愛という、唯一の共通言語は理解できる。貴方も、アイリス様という究極のプレイヤーとの勝負を望んでいるのでしょう?」
レイラが、冷徹な目でミストを見据える。
ミストは、扇子を取り出し、優雅な仕草で一礼した。
「実に素晴らしい。私たちが互いを罵り合った時間は、この究極の共闘を導くための、崇高な前奏曲だったのだ! 貴様の非合理性は、私のロジックを破壊する力となる。そして私のロジックは、貴様の狂気の愛を、世界規模の舞台へと昇華させるだろう!」
レイラもまた、氷のヴァイオリンを掲げ、冷たい笑みを浮かべた。
「フフフ……王城を舞台にした氷と幻のワルツ。それは、アイリス様への、史上最高の贈り物になるわ!」
ここに、ノクトの安寧を完全に破壊する、史上最悪の迷惑コンビが誕生した。
その時、劇場の入り口付近にいたアイリスの脳内に、ノクトからの、通信が復旧した。
『新人! 今すぐ、劇場から脱出せよ! 奴ら、互いを罵倒しつつ、魔力を結合させやがった! 最悪の事態だ! 奴らが手を組んだら、俺のゲーム環境は完全に破壊される!』
ノクトの警告は、あまりに遅すぎた。
ミストとレイラは、アイリスの存在に気づくと、舞台の中央で、まるでオペラの主役のように優雅にポーズを決めた。
「アイリス様! 新しいゲームの、開幕ですよ!」
ミストが、優雅に扇子を広げる。
「フフフ……愛しいアイリス様。次の舞台は、貴方への究極の愛の証明よ!」
レイラが、冷たく微笑む。
二人の魔力が、劇場全体を包み込み、観客も、舞台装置も、全てが氷と幻影の中に固定されていく。
劇場は、彼らが次なるゲームの舞台へと変貌させるための、巨大な「繭」となった。
アイリスは、劇場を脱出するのが、もはや不可能であることを悟った。
彼女に残された道は、史上最悪の迷惑コンビが仕掛ける、次の理不尽なゲームに、ノクトの駒として挑むことだけだった。
王立大劇場は、二人の魔族の個人的な私怨と執着によって、混沌の監獄へと姿を変えたのだった。