第十四話 意外な景品
王城の旧地下牢。
静寂が支配するその空間で、アイリス・アークライトは、十個の鍵を握りしめて立ち尽くしていた。
ミストの幻術魔法は完全に消滅し、王都の空を覆っていた幻術も、跡形もなく消え去っていた。
しかし、ゲームはクリアしたものの、彼女の頭の中には、景品がどこにあるのかという疑問が残っていた。
彼女の脳内に響くノクトの声は、勝利の雄叫びではなく、満足げな、そして少し呆れたようなトーンが混じっていた。
『フン。これで終わりか。詰まらんな。所詮、ロジック狂の自己満足ゲーム。俺のデータベースの敵ではなかった。……新人。景品の在処だ』
ノクトの最後の指示は、ミストがこのゲームに込めた、究極の景品の在処を示していた。
アイリスは、ノクトの指示に従い、地下牢の隅にある、古びた宝箱へと向かった。
その宝箱は、地下牢の構造に溶け込み、幻術とは関係なく存在していた。
それは、ミストが「最後の仕掛け」として、プレイヤーへの純粋なプレゼントとして用意したものだった。
彼女は十個の鍵を差し込み、重い蓋を開ける。
鍵を差し込む指先には、今度こそ、何か伝説的なアイテムが出現するのではないかという、かすかな期待が宿っていた。
もし、この混乱を収束させた対価として、莫大な財宝や、聖剣に匹敵する魔導具でも手に入れば、国王への報告も楽になるだろう。
しかし、中に入っていたのは、彼女の想像を根底から裏切るものだった。
宝箱の底には、豪華な装飾が施されたベルベットの上に、丁寧に額装された一枚のブロマイドが置かれていた。
ブロマイドには、ミストが幻影として見せた、あの優雅な青年騎士の姿が、最高の角度と照明で写し出されている。
微かに宿る魔力の残滓は、彼の芸術的な執念を物語っていた。
そして、ブロマイドの隅には、流麗な筆跡で、サインが書き込まれていた。
『To My Best Rival. From 幻惑のゲームマスター・M』
その光景に、アイリスは思わず、呆然とした。
「え……? これが……景品、ですか……? たったこれ一枚の……?」
(国家の危機に瀕した騒動の、壮大なゲームの結末が、サイン入りの写真……!? これを国王陛下に、どう報告すればいいのだろうか!?)
彼女の混乱は、すぐに脳内のノクトの、爆発的な怒りへと飲み込まれた。
『新人! 俺の一時間をかけて攻略した結果が、サイン入りブロマイドだと!? 奴は、俺の貴重なプレイ時間を、自分のファン活動のために使わせたのか!? 万死に値する!』
ノクトの怒りは、もはや、地下牢の壁を揺るがすほどの、純粋なエネルギーの奔流だった。
彼は、このゲームを「知性の頂上決戦」と捉えていたが、ミストの目的は、単に「最高のライバル」に自分の存在を認めさせるという、あまりにも個人的で、独善的なものだったのだ。
アイリスは、ノクトの指示に従い、ブロマイドをその場に放置し、地下牢を後にした。
ノクトの怒りは、未だ収まらない様子だった。
その頃、王都の地下深く。
ミストは、自らが用意した幻術の中枢で、膝を抱え、震えていた。
彼の周りには、幻術の失敗によって生じた、黒い魔力の残滓が渦巻いている。
(敗北だ……。私の、私の完璧なロジックが、あんなにも簡単に…! 九時間も残して、クリアされただと!?)
敗北の衝撃は、彼のプライドを木端微塵に打ち砕いたが、その衝撃こそが、彼の精神構造を決定的に変えた。
底知れない絶望の淵から、新たな感情が、彼の心を支配し始めた。
「……アイリス・アークライト……!」
それは、ただの敵意ではない。
自分自身を完璧に打ち負かした、究極の知性に対する、歪んだ憧れと、激しい嫉妬が混ざり合った、新たなライバル心だった。
(貴女は、一体、どれほどの知性を持っているのだ? なぜ、私の美学を、あんなにも下品に破壊できる? ……そうだ。貴女こそが、私が永遠に追い求めるべき、究極のゲームプレイヤーだ!)
ミストの顔に、再び優雅な、だが病的な笑みが浮かんだ。
敗北によって、彼の執着心は、アイリスに対する異常なまでのライバル心へと変貌したのだ。
ミストは、アイリス(ノクト)が、彼のロジックを破壊する圧倒的な処理速度を持っていることを悟った。
彼がどれだけ完璧なゲームを作っても、アイリス(ノクト)は、それを一瞬で攻略し、彼を嘲笑うだろう。
ならば、どうすればいい?
「私のゲームを、貴女が攻略できないほどの『不条理な難易度』に引き上げればいい…!」
彼が次に目指すのは、アイリス(ノクト)の完璧なロジックそのものを破壊する、非合理的なゲームの創造だった。
そして、その非合理性のヒントは、すでに王都に存在する。
レイラの、狂気に満ちた「愛のセレナーデ」だ。
(そうだ。あの、感情的な「不条理」! 私の完璧なロジックと、あの女の完璧な非合理性が結びつけば……あの聖女も、もう攻略できまい!)
ミストは、立ち上がった。
彼の幻術の残滓が、彼の体に集まり、新たな魔力の光を放ち始める。
ミストは、自身の敗北を認めつつ、次なる行動を静かに決意した。
彼の心には、次こそは「究極のライバル」を驚愕させる、非合理的なゲームの構想が、すでに芽生え始めていた。
王都の空は、ミストの幻術が消えたことで、一時の穏やかさを取り戻していた。
アイリスは、地下牢から城へと戻る道すがら、ノクトの怒りの波動が収まるのを待っていた。
(神様が…「万死に値する」とあれほど怒りを露わにされるとは……。やはり、あのブロマイドは、ただの写真ではないのだろうか)
アイリスは、次の厄介事が始まる前の、束の間の平穏を願うことしかできなかった。