第十二話 神の攻略法
アイリス・アークライトは、走っていた。
王城の時計塔へ向かう回廊を、まるで魔力を纏った矢のように駆け抜ける。
その足取りには、聖女としての優雅さも、騎士としての冷静さも、今はなかった。
あるのは、脳内に響く絶対的な命令に従う、一つの駒としての純粋な機能美だけだ 。
彼女の脳内を支配するのは、ノクトの、冷徹で無駄のない声だった。
『新人。速度維持。呼吸は四歩に一度、魔力の流れに沿って吸え。階段は三段飛ばしでいけ。あの時計塔の歯車は、魔力的に安定した場所に配置されている。そこに到達するためには、五つ目の隠し転移魔方陣を起動する必要がある。三番目の柱の、裏側のレリーフに、光輝魔術師の紋章を押し付けろ』
ノクトの指示は、王城の構造、仕掛けられた隠し魔術、そしてミストの幻術の特性、その全てを把握しているかのように正確だった。
アイリスが指示通りに柱のレリーフに手を触れると、微かな光と共に、足元に隠された魔方陣が起動した。一瞬の光に包まれ、彼女の体は、次の瞬間、時計塔の内部へと転移していた。
アイリスは、ノクトの指示に従い、迷うことなく巨大な歯車が組み込まれた機構へと登っていく。
そこには、ミストが仕掛けたと思しき、精巧なレーザーワイヤーの罠が張り巡らされていた。
『新人。無視しろ。レーザーは全て幻影だ。物理的な障壁ではない。ただし、幻影に触れれば、ミストのプライドが満足する幻術的なペナルティを受ける。絶対に触れるな』
アイリスは、ノクトの言葉を信じ、幻影のワイヤーをすり抜けていく。
もしノクトの解析が間違っていたら、彼女の体はレーザーで焼き切られていただろう。
だが、ノクトは間違えない。彼の解析は、常に完璧だった。
彼女が三番目の歯車に辿り着き、ノクトの指示通りに特定の小さな突起を押すと、その歯車の隙間から、二つ目の鍵である「光の紋様が刻まれた銀色のコイン」が出現した。
その瞬間、アイリスの脳内に、ミストの幻影が、苛立ちに満ちた声を上げた 。
「馬鹿な……! 時計塔の構造を把握していると? 私の幻術は、内部の魔力残滓を隠蔽しているはず! なぜ、たった三分で第二の鍵を!?」
ノクトは、そのミストの焦燥を、鼻で笑い飛ばした 。
『フン。ロジック狂め。奴は、自分の謎解きが完璧すぎると信じている。だが、奴の幻術のロジックには、ある致命的な欠陥がある』
ノクトは、アイリスに聞こえるように、あえて独白のように語りかける。
『ミストの幻術は、あまりに精巧で緻密なため、王都全体をゲーム盤と見立てた場合、彼の計算領域が王都の物理的構造に過度に依存する。つまり、王都の構造そのものが、彼の幻術の「保存された情報」として機能している。俺はその保存された情報を、王城の結界を通して完全に解析した。奴の幻術が作り出す「幻の壁」も、俺にとっては、座標情報に過ぎない。古典的な謎解き? 笑わせるな。これは、俺にとっては、ゲームのセーブデータ解析に過ぎない』
ノクトの攻略は、まさに「神の攻略法」だった。
ミストが「芸術」として仕掛けた複雑なロジックパズルを、ノクトは「ゲームのプログラムコード」として捉え、裏側からハックしているのだ 。
アイリスは、ミストの仕掛けた三番目のヒントを受け取った。それは、暗号化された古代文字の詩だった。
「王家の血を引く者が、かつて愛した、夜に咲く花々の名を、数えよ」
この詩の解読には、本来、王立図書館の古代文献を数時間かけて調べる必要がある。
だが、ノクトは、即座に答えを導き出した。
『新人。その詩は、ノクト王子の母親が愛した花園の品種の数を指す。五種類だ。そして、答えの五を、王城の南側にある、風見鶏の羽の数に、一秒間に五回の速度で、魔力を込めて叩きつけろ。それが鍵だ』
アイリスは、ノクトが国王の実弟であることを知らない。
しかし、彼の指示に従うたび、彼女は彼が王家の秘密や王城の構造の全てを知り尽くしているという、常識外れの真実に直面させられていた。
(神様は……本当に、この世界を創造した神なのだわ。そうでなければ、こんな内密なことまで知っているはずがない!)
彼女は、ノクトへの疑念を、より強固な信仰へと昇華させながら、王城の屋根へと転移した。
風見鶏の羽に、五という数字をノクトの指示通りの速度と魔力で叩きつける。
カチッ、という機械音が鳴り、風見鶏の腹から、三つ目の鍵である「赤く輝くガラス玉」が出現した。
ミストは、もはや混乱を隠しきれなかった。
「あり得ない! その詩は、王家の内輪の歴史を知る者にしか解けないはず! そして、風見鶏の仕掛けは、このゲームの全ロジックの三割に相当する複雑な魔法だ! なぜ、一瞬で突破される!? 私の完璧なゲームが、まるで誰かに反則されているようだ!」
ノクトの攻略速度は、ミストのゲームデザインの前提そのものを破壊していた。
ミストは、プレイヤーが、一つ一つの謎に頭を悩ませ、王都を駆け巡り、制限時間をギリギリまで使うことを計算に入れていた。
それこそが、彼の「美学」だったからだ。
だが、アイリス(ノクト)は、ミストが想定していた時間の百分の一にも満たない速度で、次の鍵へと進んでいく。
『フン。反則だと? 違うな、ミスト。俺にとっては、お前のゲームこそが、不具合だ』
ノクトは、心の中でミストを嘲笑う。
『貴様の幻術は、世界をゲーム盤に見立てるあまり、自らをプレイヤーとして認識できていない。お前の謎解きは、全てがデータベースに依存している。俺がそのデータベースを読み解き、最短ルートを叩き出せば、お前のロジックは単なる手続きに過ぎない』
ノクトは、さらに次の鍵のヒント、そしてその攻略法を、アイリスに送信する。
王立図書館の、閉鎖された古文書室の、特定の文献の中。
騎士団の食堂の、隠された地下の食料庫。
テオのファンクラブ本部から程近い、裏通りの排水溝の中。
アイリスは、ノクトの指示に従い、王都中の「裏側」を、超絶スピードで駆け巡った。
王都を駆け巡るアイリスの姿は、衛兵たちには、まるで神に憑りつかれたかのように映った。彼女の動きは、人間離れしていたからだ。
「な、なんだ、今の光は! 聖女様が、まるで空を飛んでいるかのように…!」
「何故、あんな場所から宝石が…!?」
アイリス分隊のメンバーも、この異常な事態に気づき始めていた。
ギルは、アイリスの異常な移動速度に興奮し、「姉御の剛力が、ついに覚醒したであります!」と叫び、テオは、アイリスが向かう場所が「金になりそうな場所」ばかりであることに気づき、後を追いかけようと画策し始める。
ミストの幻影は、すでに優雅さを失い、焦りと怒りに顔を歪めていた 。
「ぐっ……もうやめろ! これは、知性の遊戯だ! そんな下品な方法で、私の芸術を破壊するな! 貴女は、一体、何者だ!?」
アイリスは、ノクトの指示に導かれ、七つ目の鍵がある場所へと到達した。
ノクトの攻略は、完璧に、ミストのプライドを踏みにじり続けていた。
そして、この圧倒的な攻略速度は、ミストのプライドに、燃えるような異常なライバル心を植え付けたのだった 。
ノクトの攻略法は、ミストが仕掛けた全てのロジックを無力化する、ゲームの神による、一方的で、そして圧倒的な暴力だった。