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入学してからしばらく経ち、それなりに学校生活も慣れてきたと感じ始めた頃。
友人……とまではいかないけど、同じアニティドロームの子たちとはちらほらとお話をするようになった。
その中でも最近良く話すのは、明灯希望花ちゃん。
「ののん、この前教えてくれたののんが描いた絵が載ってる画集、見たよ!めっちゃ綺麗だった!!」
「おぉ〜、まじ?やったぁ」
ケラケラと笑うののん。ののんの瞳には、ああやって綺麗な景色が写っているのかなと思うとののんの瞳が羨ましく思える。
でもそれを望んだとて、もゆには関係の無い話。
「ていうかもゆり、うちの隣の席なんで空席か知ってる?」
「え?えーと……黒場……つきと、つきひと?くん?」
「うん、黒場月人。もう四月も末になるけど、まだ一回も登校してないよね」
そう、入学してから一度も顔を見たことの無い人。
くま先生も別に触れるわけじゃなくて、だからみんなも自然と触れないようにしている。
ののんは隣の席の人のことをすごく気にしているみたいだった。
「まあでも、そのうち来るでしょ。アニティドロームだらけの学校なんで他には無いんだしさ」
「そうだといいけどね〜。うちは来ないに一票」
「じゃあもゆは来るに一票ね〜」
なんて他愛ない会話をして、もうすぐ授業の時間のために自分の席へと戻る。
四月の空はぽかぽかと陽気な日差しで、油断をすると眠くなってしまう。
ましてや高校の勉強はとても難しくて、もゆには着いていくのが精一杯だった。
「えー……では、この部分来月のテストに出ますよ〜」
ひなちゃん先生が怖いことを言っている。
……来月?テスト?もう!?
まだ入学して一ヶ月も経っていないっていうのに、もう来月のテストの話!?
もゆの脳内キャパはオーバーしそうだった。
でもそんなことも言ってられない。
机の中で、一枚の紙を見つめる。
そこには、大手事務所のアイドルオーディションについての詳細が書かれた紙。
未成年なので受かった場合、両親の許諾が必要になるけど……。きっと今から言っても受けさせてなんてくれない。
だからもゆは、ひっそりとこっそりと受けて、万が一にも受かった時は、その時にお母さんとお父さんに言おうと決めた。
それに、いつまでもこうしてたら……全然前に進まない。
夢は諦めないと言いながら、なにも行動しないなんて……そんなのもゆじゃないしね。
「はい、ではここ………水守さん。答えてください」
「ひ、ひゃい!」
突然の名指しに慌てて教科書を広げる。
ひなちゃん先生の方から、小さなため息が聞こえる。うぅ……。
「……ここだよ」
ぽそっと、隣の席の早崎林檎くんが教えてくれる。
えーと……この式は……、こうだから…えっとこうで………。
「答えは……2です!」
「………惜しい!えーと、正解は……畠中さん、答えてください」
スッと静かに、優雅に席を立ち答えをビシッと当てる。
席に座る直前に畠中さんはもゆの方をじろりと睨みつけて、すぐにまた視線を黒板へと戻す。
……やっぱり、あの子苦手だ。
なんでああいう気の強そうな子ってもゆみたいな子に当たりが強いんだろう。
……バカだと思われてるのかな。まあ、確かに?勉強は苦手だけど……できないわけじゃないし!
ちゃんと学びも得てるし、難しい言葉だって少しは分かるし……。
自分の中で、勝手に言い訳を繰り広げている自分に恥ずかしさを覚える。
お父さんも畠中さんみたいに、もゆをじろりと睨みつけては大きなため息をついて、小言をこぼし始めるんだろうな。
……っていうことはだよ?畠中さんってお父さんみたいだから苦手なのかな!?
いや〜。やっぱ美人って腹黒いっての本当だったんだなぁ。
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「えーと、今日の授業はここまでです、皆さんお疲れ様でした」
一日の全ての授業を終えて、クラスからは疲れたーという声で溢れる。
もゆもその一人で全然勉強が分かんなかったことに机に項垂れた。
……あと最近お父さんがやたらと早くに帰ってくるから、あんまりお家に帰りたくない。
このまま学校に住んじゃいたいくらい。
「水守さん〜、この後お時間良ければ、甘いものでもいかがですか〜?」
ぽてぽてと近寄ってきたのは白鷺ヶ丘美舞ちゃん。名前が長いので、みまたんって呼んでる。
やっぱりこの子のお家はすごくお金持ちで、最近は放課後にみまたんと一緒に買い食いをすることが増えたんだけど、みまたん………見た目通りというかものすごく食べる子なんだよね。
もゆは大体一食で済むところを、みまたんは三、四食は必要とする。燃費の悪い子だと思う。
「うん、いいけど……もゆ今日はあんまりお小遣いないから、一緒に歩くだけとかになると思うよ?」
「あらあらまあまあ、気にしなくてもいいんですのよ〜。みぃがお支払い致しますので〜」
「えぇ!?で、でも……」
みまたんのご好意に甘えたくなる自分がいる。でもダメダメ。友達と呼べるほどまだ仲良くないし、友達だったとしてもあんまりそういう奢り、奢られっていうのはなぁ……。
ぐぬぬぬ、と唸っているとみまたんが微笑む。
「水守さん、お優しいのですね〜。それにしっかりとしてらっしゃいます!これはみぃのご好意だけに留まらず、お小遣いが有り余っている富豪の戯れだと思ってください〜」
な、なんという広い懐……!流石は名家のお嬢様、というだけはあるかも。
それに……そんな風に言われて、やっぱりダメ!行かない!っていうのは、多分だけどみまたんに失礼だと思う。
でも無理に買わせたりとか奢らせたりにならないように、ほとんどはみまたんの後ろに着いていくだけにしよう。
学校を出て、みまたんの付き人さんが運転する車に一緒に乗る。
まあまあ広い車。車種とかわかんないけど…多分いいやつ。
「ふふふ、みぃ…最近水守さんとこうして、放課後にお出かけするのとても楽しみにしているんですよ〜」
「ぅえぇっ!?な、なんで?」
突然の告白にもゆは目を見開いた。
ただ本当に買い食いをして、美味しいね〜と言い合うだけの仲なのに……。
「水守さんはみぃに唯一声をかけて下さった方ですよ?お父様にもそう、お話をした際に『水守さんはとても素敵な人なのですね』と言ってくださいました〜!」
……みまたんのお父さんから、そんな風に言われるなんて。
ただ、本当に興味本位でみんなに喋りかけてるところはあるんだけど……。
「なので〜、今のアニティドロームの子たちみんな、水守さんに救われてるところがあると思うんですよ〜」
「そんな……大袈裟な……」
「ううん、大袈裟なんてものじゃないですよ〜。水守さんがいい人で良かったから、放課後のこの時間が楽しみになって、早く放課後にならないかなと考えるんです〜」
ぽやんとした笑顔で言葉を紡ぐ。
まさか、そんな風に思っていてくれてるとは……。
実際に畠中さん以外の子達とはそれなりに打ち解けて、こうしてあだ名のように名前を呼べる。
それもこれも、みんな思っているよりも心優しい人たちばかりだったから。
……もゆは、案外自分のことしか考えて無いんだなって、自覚しちゃったところでもあるんだけど。
目的地へと向かう最中、みまたんとはたくさんお話をした。
お腹をかかえて笑っちゃうくらいに。
「……そういえば、水守さんのアイドル活動の件、順調に進んでおりますの〜?」
「あ〜………、はは。えっと………」
鞄の中にしまい込んであるオーディションの詳細の紙について、頭を巡らせる。
順調……なんてもんじゃない。全然、順調じゃない。
まだ一歩も踏み出せていないのに、どう答えればいいか……。
「……あの〜、ミニスタにてモデルのような投稿をされてみるのは、いかがでしょう〜?アイドルの事前活動、みないな〜」
「ミニスタ…」
ミニスタンドクラム。現在、自分の盛れた写真だったり、色々な情報が飛び交う若者に人気のSNS。
……もゆも、やってたんだけど……。
「ん〜……ちょっと、過去のトラウマがあって……その、できないかも……」
そう言うと、みまたんはばつが悪そうな表情で俯いてしまう。
慌てて、言葉を付け足そうとしたけど、何をどう言ったらいいのか……。
「……すみません、水守さん。みぃ、水守さんのアイドル活動を応援したくて…」
「わ、分かってるよ!みまたんが、もゆのためを思って言ってくれたって……たまたま、その提案がもゆには出来ないだけで………」
そう告げるとみまたんは、優しい表情で笑いかけてくれる。
お互いに辛い過去があり、今がある。それを理解し合える中だからこそ、みまたんもそれ以上追求はして来なかった。
……ミニスタも、フラッシュバックしないだけマシだよね。
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あれやこれやと、気が付けば目的地に到着。
みまたんは甘いものが食べたいって言ってたけど……どんなやつなんだろう。
「わぁ〜…!着きましたわ〜!現在人気のクレープ屋さん!!」
みまたんは瞳を今までにないくらいキラキラと輝かせてメニュー表を片手にずっと興奮気味であった。
…すごい種類のクレープ。
「えっ!?炭酸クレープって………どんな風なの……」
「あらあらまあまあ!気になるメニューが豊富で、みぃヨダレがとまりませんわ〜!」
じゅるりとヨダレを拭うふりをするみまたん。
ほ、本当に色々食べる気だな……。
チョコバナナクレープや、イチゴの入ったクレープにサラダのような惣菜クレープなど、定番もありつつ、納豆キムチチーズクレープだったり、ブルーチーズ蜂蜜バナナクレープなど、ちょっぴり変わったクレープも豊富。
……こんなのが今の子たちの間で流行ってるのかぁ…。
「えーと……もゆは………。あ、『黒ごまマスカルポーネクレープ』にしようっと」
値段はまあまあなところだし、みまたんに負担はかけない程度のものを選んだ。
そんなみまたんはと言うと、まだ熱心にメニュー表にかじりついていた。
そうして意を決したようにぐっと顔を上げて声たかだかに注文をする。
「みぃ、『レモンバジルはちみつクレープ』と『ほうじ茶あんバタークレープ』、『照り焼きレンコンとたまごのクレープ』、『チョコバナナクレープ』に『明太ポテサラクレープ』の五つをお願いしますわ〜っ!」
言い終わるとふんす、とやりきった顔をしている。
……五個も、食べれちゃうのが凄いよなぁ……。
みまたんは今にも楽しそうに、もゆの隣へと戻ってきて商品がくるのを待っていた。
「……みまたん、よくそんなに食べるねぇ」
「みぃでございますか?うーん……過去の出来事がきっかけかもしれませんねぇ。みぃ……ご飯を食べさせてもらえなかった時期がございまして……」
えっ、と言葉が詰まる。……こんな名家のお嬢様でも、虐待みたいなことあったりするんだ…。
勝手に、お嬢様って両親に愛されて育ってこんなにふくよかに育ったのもたくさんお食べ〜とか、言われて育ったからだと思ってた…。
もっと明るい話になると思っていたのに突然の暗さに少しだけ手に汗が滲む。
「……ひ、ひどい……両親だね…」
「え?………、あぁ!違いますのよ?みぃのお母様、お父様のお話ではないんですの………」
と、言われると幼稚園、はたまた小学校の時にそういういじめみたいなこと……?でもそれだとお家でたくさん食べればいいのに……。
でもこれ以上詮索するとみまたんも困ってしまうだろうし、口を閉ざす。
みまたんも、申し訳なさそうにこちらを見て、にこりと微笑む。
商品が到着するまでの数分、気まずさにお互い空を見上げていた。
しばらくして、やっとの思いで到着したクレープ。
みまたんの瞳はもうキラッキラしていた。
「ふわぁぁあ……っ!お、美味しそうですわ〜!」
もゆは黒ごまマスカルポーネクレープのみだったので、それを手に取り、みまたんはまず何から食べようかと思案していた。
甘いのからいくか、しょっぱいのからいくか……。ぶつぶつと言葉をこぼしながら一つ一つ吟味している。
「………よしっ、まずは無難にチョコバナナクレープといたしましょう〜!」
ぱっと手に取ったのは王道のチョコバナナクレープ。
ぱくっと一口食べたみまたんの表情はみるみるうちに輝きを増していった。
「お、美味しいですわ〜!!な、なんですの、このクレープ!!もっちもちの生地に、バナナがとてもあんまくて、チョコソースは程よい苦味で、相性抜群すぎますわ〜!」
今までにないくらい饒舌になるみまたん。
光の速さでチョコバナナクレープがみまたんの口の中へと消えていく。
そ、そんなに美味しいのか……とゴクリと喉を鳴らさざるを得なかった。
「さて次は………照り焼きレンコンとたまごクレープに参りましょう!!」
照り焼きの甘い匂いが鼻をくすぐって、食欲が湧いてくる。
もゆも堪らず、黒ごまマスカルポーネクレープにかぶりつく。
確かに生地はもっちもちで美味しい。しかも黒ごまの風味がすごくて、マスカルポーネチーズのクリームも美味しい。珍しく当たりのクレープ屋さんだ。
「ん〜〜〜!!こ、これは……!甘く炒られた照り焼き味のレンコンがサクサクとしていて、そこにふわっふわで少し塩っけのあるたまごサラダがまさに、絶妙すぎますわ〜!!」
こちらもまた、みるみるうちにみまたんの口の中へと消えていく。
すると段々ともゆたちの周りに人だかりができ始めていた。
みまたんはそれには目もくれず、目の前のクレープにありつく。続いてレモンバジルはちみつクレープに、ほうじ茶あんバタークレープも立て続けに食べては、とても美味しそうな表情をしている。
そして、端々に聞こえるこちらを見ている人たちの声。
「あそこの子……すごい美味しそうに食べてるね〜」
「めっちゃ美味しそうなクレープなんだろうな」
「ちょっと食べてみない?」
意図せず、クレープ屋さんの繁盛を手伝ってしまってるみたい。
……でも確かに、みまたんのこの美味しそうな顔を見ると苦手な料理もめちゃくちゃに美味しいんじゃないだろうかと、錯覚してしまいそうなほど。
こんなにも美味しそうに食べる子、中々いないよなぁ。
……そんな子が一時期ご飯にありつけなかったことがある?なんて、可哀想な出来事なんだろう。
「あぁっ………!最後のひとつになってしまいましたわ……っ!でも、追加で購入致しますのはこちらも限界ですの……」
そうほんのり泣きながら、最後のクレープ。明太ポテサラクレープを手に取る。
ぱくっと一口。すると、みまたんの瞳はこれまでよりも大きく、そして瞳孔が開いていき、徐々に幸せそうな表情になっていった。
しかし中々言葉を紡がせないまま、一口かじりついて静止してしまっている。
「う………っ」
「う?」
そうして、やっと口を開いたと思えば一言、『う』。
その続きに期待するようにじっとみまたんを見つめたまま、もゆも止まる。
「う………う………、美味いですわ〜!!!」
みまたんが、美味い、と言った……。
いつも丁寧で何事に対しても言葉を崩したりしなかった、あのみまたんが……。
「これ、これ……っ!美味いですわ、考えた方天才すぎますわっ、みぃこれ大好きですのっ!」
ひ〜ん、と涙しながらもりもりと食べる。そして、しれっとみまたんの後ろにいつの間にかいた付き人に何か合図を出すみまたん。
すると付き人さんは足速にクレープ屋さんへと向かい、店員さんに何か話をしてる。数分後には、付き人さんの手元に大量のクレープが……。
「うぇ!?め、明太ポテサラクレープが……いち、にぃ…さん…じ、じゅっこ!?」
「はい♡これだけはお家へ帰っても頂きたく思いましたの!!」
もうみまたんの表情はキラッキラ輝きを失うことなく笑っている。
もうもゆもははは…と愛想笑いをすることしか出来ずにいた。
「それでは、また明日〜!」
手を振り返しみまたんとその場で別れる。
もう時刻はだいぶ遅く、十九時を回っていた。
そっとスマホを手に取り連絡が来ていないかを確認するも、お父さんもお母さんも、どちらも連絡は入っていなかった。
……最近、こういうのが増えてきてて、ちょっとだけ……寂しい。
でも、気にしないようにしないと。
そう心に決めて、帰路へ着く。