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教室へ着くと、普通に広めの教室に七つの席が一定の間隔に並べてあった。
机の上にはそれぞれ名前が貼られてあり、もゆの席は一番後ろの端っこ。
多分『水守』だから後ろなんだと思うけど。
皆それぞれ自分の席へと着席する。左側は窓で、右側には犬の子が座っている。
……あれ?この子、車椅子だ……。
触れてはいけないことかなと、ちらりと視線をやるだけですぐに黒板へと視線を戻す。
正直、この子だけじゃなくてここにいるアニティドロームの子たちは気になることがありすぎる。
どうして発症したの?とか、なんでその動物なの?とか……。
でも、もゆがそれを聞かれたくないから、もゆも聞かないことに決めた。
「えー……では、三度目になりますが大八木椈です、はは。今日から、君たちの担任です。僕も君たちと同じアニティドロームで、同じ一年生……みたいなものです、今年からの新任なので」
ぽやぽやした先生だなとは思ってたけど、まさかくま先生……新しい教師だったとは。
だから副担任で小さい先生がいるのかな?
小さい先生、若そうなのに貫禄あるから、もう十年くらい教師してそう。
「はい、では私は副担任の斎藤日向です。よく貫禄ありますね、と言われますけど全然です。大八木先生とは一年違うだけなんですよ〜」
ニコッと輝く笑顔で自己紹介をする小さい先生。
……って、えぇ!?こんなに十年くらい教師してます!みたいな顔してて、まだ一年しか経ってないんだ……。
驚いて瞳を大きく見開いてしまった。
「はい、では……君たちにも自己紹介をしてもらわなきゃですね。じゃあ、明灯さんから」
くま先生がすっと、前に座るネズミの子を指して発言を促す。
ネズミの子は静かに立ち上がるも、数秒の沈黙。すっと息を吸う音は聞こえたものの、その後に繋がる言葉は出てこなかった。
「………明灯さん、もう少し大きめの声で…」
「………ぁ、すみません。声を出すの久々だったので……」
す、すごい可愛い声……。でも、声を出すのが久々ってどういうことなんだろう。
不思議に思いつつも彼女の自己紹介を待つしか出来ずにソワソワとする。
「明灯希望花です。趣味、特技が絵を描くこと、美術系に特化してます。普段アトリエに籠って絵を描くことがほとんどなので…あまり会話をしなくて。あ、発症してる動物は見ての通りネズミです、ちゅーちゅー」
最後のは完全に冗談で言ったであろう『ちゅーちゅー』。笑うべきか可愛いと褒めるべきか思案しているとくま先生がありがとう、と自己紹介を締める。
一つの空席を飛ばして次は狐の子。
すっと立ち、その子はぺこりとお辞儀をしたあとノートを手に取り指を指す。
「…あ、小金井くんは喋れませんでしたね。黒板にお名前書きますか?」
くま先生が親切でチョークを手に取り名前を書こうとする。しかし、小金井くんと呼ばれた彼はふるふると首を振り、ノートを一枚めくる。
【小金井裕太、発症してる動物は狐、声は出せるけど発症の原因で声が出せないです、なので会話は極力筆談だったり、スマホのメッセージでのやり取りをお願いします】
すごく丁寧に書かれており、慣れてる感じがした。
なんで声が出せなくなったの?とか……本来だったら聞いちゃうけど聞かない。
ぐっと我慢して次の子の自己紹介を待つ。
ガタッと立ち上がったのはまん丸い子だった。
「初めまして〜、白鷺ヶ丘美舞と申しますわ〜。みぃの発症した動物は羊でございますの〜」
おおう、一人称が自分の名前……キャラ被りしてるなぁ。
……ていうか白鷺ヶ丘って結構有名なお金持ちの名前じゃなかったっけ?
結構珍しい苗字だし……絶対そうだ……。
白鷺ヶ丘さんもぽやんぽやんとしてて、くま先生とは違う柔らかい雰囲気を感じ取れる。
次に立ったのは、畠中さんだった。
「畠中凉です。わたしは勉強しに来ているので邪魔だけはしないでください、青春とか友情とかそういうのいらないので」
淡々と自己紹介を済ませすぐに席へとつく。
やっぱりというか、なんというか。彼女とは相入れる気がしない。
どうしてああも高嶺の花みたいな子って鼻につくんだろう。
次の子は隣の犬くん。車椅子なので立ち上がることはないけど、教壇の前までカラカラと車椅子を移動させる。
「僕、早崎林檎です。こんな見た目ですけど、一応男で。元々陸上部でした。発症した動物は犬で、この足は……トラウマからきて歩けなくなりました」
ぺこりと一礼をして席へと戻っていく。
人数も少ないしみんな結構淡々と話すので一人一人の自己紹介がとても短い。
……まあ、あんまり沢山話そうとすると言いたくないことまで言っちゃいそうだもんね。
「では最後、水守さん」
「は、はいっ」
くま先生に促されるままガタッと大きな音を立てて立ち上がる。
瞬間、視線は一気にこちらに注がれて、緊張すの末唇が震える。
少なからず頭の中で考えていた自己紹介文が全て、吹っ飛んでしまう。
「あ………っ、え……っと………」
口をもごもごとさせていると、畠中さんの方から『チッ』と舌打ちされた音が聞こえた。
なによ!と反論したい気持ちもあるけど、言葉がでない。
だんだん手足の感覚が無くなってきた気がする。
そんな時にくま先生が助け舟を出してくれた。
「水守もゆりさん、アイドルを目指す向上心のある方です、皆さんもどうか仲良くしてあげてくださいね」
優しい笑顔をふわりとさせてもゆの自己紹介を済ませてくれる。
日向先生がもゆの側までやってきて、背中をさすってくれる。
恥ずかしくもあり、悔しくもあり、色々な感情で泣いてその場を逃げ出したかったけどくま先生が続けて言葉をくれる。
「皆さんには色々と事情があると思います、でもここにいるからには無理せずに、嫌ということは嫌と言ってもらいたいです。もちろん強制じゃないですよ?同じ、アニティドロームだからこそ共感し、助け合える…そんな仲間になれたと僕は思っています」
仲間……確かに同じ発症者でもどこか、仲間という認識は持てずにいた。
でも、そうだよね。おんなじなんだよ。心に傷を負ったもの同士、なんだよね。
「僕は、あなたたちを通して自分のアニティドロームを完治させたい……そう、思っているところがあります。でも決して、僕だけがなんて言いません。皆さんも一緒に、アニティドロームを完治させましょう」
えい、えい、おー!と声高々に宣言をするくま先生。
本当に良い先生なんだなぁ。
視線を浴びるのを怖がってちゃ、アイドルになんてなれないよね。
ぎゅっと両手を胸の前で組み、願掛けのように祈りを込める。
すっと立ち上がり息を深く吸う。何度かそれを繰り返して呼吸を整える。
「………水守、もゆりです。アイドルになるのが、夢で……今も、アイドルになるために、色々やって…ます。発症した動物、は…うさぎ、です……。可愛いと思ったのが、きっかけだと…思います」
途切れ途切れで、拙い言葉だったと思う。
それでも自分の口から自己紹介が出来た。
突然の再度の自己紹介に、くま先生すらもぽかんとしてる。どっと顔に熱が集まるのが分かる。きっと今、顔が真っ赤に染まってると思う。
でもくま先生は笑いもしなかった。むしろ、よく自分で自己紹介が出来たね、と褒めてくれた。
ここは幼稚園か何かかなと錯覚してしまうくらい、優しい空間。
……きっと、そのうち畠中さんとも仲良くなれる。……はず。
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自己紹介が済んだ後、少し早い時間だけど授業もないし帰宅していい、ということになりもゆは一人帰路についていた。
ぼーっと、空を見上げながら家へと向かう。
なんだかまだ現実を帯びていないようで。
あんなに優しい空間は夢だったんじゃないかと、思うくらい。
幸せな時間って、ああいうのを言うのかなぁ……。
家に到着し玄関のドアに手をかける。中には大きな男の人の靴が並べられている。
……お父さんだ。こんな昼間に帰ってくるなんて、どうしたんだろう。
朝のことがあり、お父さんと顔を合わせにくくもゆはそのまま自室へと逃げるように入っていく。
「もゆり?帰ったの?お父さん、今日は早く帰ってきてくれたわよ!入学式だったから、何か美味しいもの食べようって話してたのよ、もゆりは何がいい?」
お母さんは朝の出来事をすっかり忘れているみたいだった。
でももゆは単純だけど、単純じゃないから、朝の出来事をすっぽり忘れるなんてことは出来なかった。
だからお父さんに会わない口実をうーんと考えてみるけど、全然思いつかない。
「…もゆり、高校に入学してすぐにまたそうやって引きこもるのか?何のための高校だって言うんだ」
お母さんの横から、お父さんの声がする。
いつもみたいに少し怒りを含んだ声色で。
その声を聞くと、体が強ばってしまう。まるで、金縛りにあったみたいに。
「はぁ………。いつまでもそんなんだと、将来が不安だな。……まだアイドルになりたいとか言うのか?以前も言ったがそんなものにうつつを抜かす前に勉強をだな……」
「うるさいっ!!!!!」
お父さんに目掛けて抱えていた枕をぶん投げる。
ぽすっとお父さんの腕の中に収まる枕。何が起こったか分からないようで、お父さんとお母さんはぽかんとしている。
だけどすぐにお父さんの顔色はみるみる怒りに満ち溢れて、眉間の皺がぐちゃぐちゃになったいた。
「もゆり!!親に物を投げるなんて一体何を考えているんだっ!!いつまでも子供みたいなことを夢見るんじゃない!!お前はもう高校生だ、三年後には大学生だ、今から勉強をしないでどうするだ!!」
怒りの籠ったお父さんの声は爆弾みたいに耳の奥に響く。
脳が揺れてるみたいに、グラグラとする。
お父さんにこうして怒られるのは何度目だろう。
……幼い頃は、こうじゃなかったのにな。
お母さんも、特に止めてくれるわけでもなくお父さんの隣でこちらを見てる。
味方なのか、じゃないのか。もうわかんないけど。
「………ごめんなさい、勉強は…しっかりやります。でも、アイドルの夢は、諦めたくない……です」
その言葉にカッとなったお父さんはヅカヅカと部屋へ入ってきては、思い切り腕を振り上げてもゆの頬をぶつ。
チカチカと視界が霞む。
「馬鹿なことを言うんじゃないと何度言えば分かるんだ!!現実を見ろ!!お前には無理だ!!」
それだけを言い残しお父さんはどこかへと出かけてしまう。
お母さんは慌ててリビングへと走っていき、数分後には冷えて濡れたタオルを持ってきた。
「もゆり、お父さんの言い分も分かってやってちょうだい。もゆりのことを考えてのことなのよ、ね?お父さんもお母さんも、もゆりの将来のことが心配なのよ……」
何が、心配か。
もゆのことを否定ばかりして……なにも見ようとしてくれないじゃない。
ヒヤリと頬に濡れたタオルを当てられるも、ジンジンと痛んで冷たさを感じない。むしろ、目頭に熱が集まってきて、涙が…溜まるのがわかる。
必死に涙をこぼさないように、瞬きをしないように。
でも大粒の涙は静かにもゆの膝を濡らす。
もゆりの、症状は少しだけ悪化して……足首に兎のような毛が生えていた。