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四月。とうとう、この日が来た。
僕の初出勤の日。そして、アニティドロームの生徒たちと初めて顔を合わせる日。
二月に高校へ挨拶に行ってからというもの、色々準備するものなどに追われて気付けばもう四月になっていた。
あの日からずっと僕の心臓はドキドキと跳ね続けている。元気いっぱいな心臓だ。
鏡の前に立ち、身なりを確認する。……ちゃんと、教師として見てもらえるだろうか。
「……もう少しダイエットするべきだったかなぁ………」
はち切れんばかりに丸々としたお腹をさすり、少しの後悔を嘆く。
でもしょうがない。体質上そう簡単に痩せられるわけじゃないのだから。
深く息を吐いて深呼吸をする。そしてぐっと拳を握り自分を鼓舞する。
「……よしっ、行ってきます!」
鏡の中の自分に向けて挨拶を残し、足早に家を出る。
道中は桜並木に溢れて、視界全てがピンク色に染まっていた。
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学校へ着くと、教師陣は入学式の準備に追われ慌ただしくしていた。
先生たちの俊敏な動きに乗り遅れた……と落胆していると、斎藤先生がトコトコと僕の元へやってきた。
「大八木先生、おはようございます。今日はとうとう入学式ですね。どんな生徒が先生の元で学びに来るんでしょうか、楽しみですね!」
相変わらず今年で一年目のまだまだ新米教師には見えない貫禄に僕は圧倒されそうであった。
ぐっと狼狽えるのを堪え、斎藤先生のようににっこりと微笑みを返す。
ある程度、生徒たちの事前情報はもらっているとはいえ……やはり初めて顔を合わすことに対しては緊張は拭えずにいた。
「……大丈夫ですよ、大八木先生朗らかでいい雰囲気を出してますからきっと生徒たちに慕われること間違いなしですよ」
「で、ですかねぇ………ははは…」
冗談だと思うが、僕を励ますために言ってくれたのだろうと斎藤先生の言葉を心に仕舞う。
さぁさぁ、行きましょう。と斎藤先生に連れられる形で体育館へと向かう。
まだまだ生徒が集まるには時間がある。張り切って入学式の準備をしないと。
「ある程度は、在校生たちが新入生のためにと準備を終えてくださってますので、椅子の数だったり装飾品が外れてたりしていないかの最終チェックを私たちでやっちゃいましょう」
そう言い、斎藤先生は壁に貼られている装飾品たちをチェックし始める。
僕は椅子の数を数えるとしよう。
ひぃ、ふぅ、みぃ……と数えていると体育館の隅の方にパーテーションで仕切られた場所があった。
不思議に思い覗くと七つの椅子が縦に並べられていた。
どうしてここにだけ七つの椅子が……?と考えを巡らせているとふと気付く。
このパーテーションの奥に、アニティドロームの生徒たちが座る席を設けているんだ。
式の最中奇異の目で見られないように、隠すように。
その事実に僕の心は少しだけチクリとした。
「………あっ!大八木先生………その、ここは……」
「……大丈夫です、分かってます。生徒たちに配慮をして下さったんですよね?ありがとうございます。きっと生徒たちも、まだまだ状況に慣れていないでしょうし、こういった対応は助かると思います」
精一杯に笑って見せた……つもりだった。
でも斎藤先生は申し訳なさそうに、ちょっぴり悲しげな表情をしている。
あくまでも、生徒たちに不快な思いをさせないための配慮。
先生たちの優しさで行われる行為なのに、なぜ僕はこんなにもチクリと心が痛むのだろう。
「………大八木先生………。あぁ、ほら!もう少しで生徒たちが集まってくる時間です。私たちも最後の準備をしましょう!」
僕よりも遥かに小さな手が僕の袖を掴み先導してくれる。
………大丈夫、不安になんてならなくていいんだ。きっと生徒たちも安心して学校生活を送れるだろうと信じて今は、立派な教師になることだけを考えるんだ。
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中庭には沢山の生徒で溢れかえっており、皆新品の制服に袖を通して浮き足立っているように見える。
その中でもやはり視線を浴びて、落ち着かない様子の一部分の生徒が特に目に入る。
……動物の耳と尻尾が生えて周りとは確実に違う異質な存在たち。
両親たちに隠されるような形で固まって集まっている彼らに僕はいても立っても居られず駆け寄っていく。
「は、初めまして!僕は今年から教師になったまだまだ未熟な大八木椈と申します!そして、お子さんたちを責任をもってお預かりし、教育をしていく立場……担任になります!」
アニティドロームの子たちの両親はギョッとした顔で僕のことを訝しげに見つめる。
分かる。僕も耳と尻尾が生えた異質な存在だから。
「……畠中、です。貴方のような教師にうちの子を安心して預けられるか不安でたまりませんが?」
「ちょっと、お母さん……」
「凉は黙ってなさい」
細身で小柄な女子生徒が不安そうで、落ち着かなそうで、お母さんの後ろに無理やり隠される形で立っていた。
三角の耳に長い尻尾……彼女は猫に影響されている畠中凉さん。
事前情報があったとて……やはり僕でも驚く。
「大八木…先生でしたっけ?貴方もアニティドロームとお見受けします。まだ……症状を緩和出来ていないようですけど、そんなあなたにアニティドロームの子たちの世話をやれると言うんですか?」
「……おっしゃる通りで。僕は信頼に足る存在ではないと思います。僕ですら、なぜ未だにアニティドロームを発症し続けているか、理由も分かっていませんし……」
畠中さんのお母さんは深く溜息をつき、鋭い目つきで僕を睨む。
他のアニティドロームのご両親もまた、僕に視線を向ける。
「…うちの子も、なぜアニティドロームを発症したのか詳細を話してくれません。……正直、ここのアニティドローム専科に通わせて一体何が変わるというのだろう、と思う節もあります」
畠中さん自身は俯き、言葉を発さない。表情は暗いままだった。
他の生徒たちにも不安の色見え始める。
「ですが………この異質な見た目を受け入れて下さる高校がここしかありませんでしたので、今は我慢してうちの子を通わせます。ですが…何かあった際は出るとこ出ますので、そこのところよろしくお願いしますね?大八木先生」
「は、はい!勿論でございます!」
畠中さんからの厳しいお言葉を胸に周りの生徒たちから視線を向けられ続けている生徒たちを早めに体育館へと連れていく。
奇異の目に晒されるのは、いつだって辛いものだ。
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「まだ入学式は始まりませんが、一足先に僕から自己紹介しますね」
席に着いたアニティドロームの子たちに向けまずは僕のことを知ってもらうことから始めようと思う。
どんなに頑張ったって素性を知らない奴のことなんて、信頼しようとは思わないだろうからね。
「僕は先程も言った通り名前は大八木椈です。熊の耳と尻尾が生えてます!熊だからといって、別に乱暴とかそういうことはなくて……昔友人に言われたのはおとぎ話に出てくるような呑気な方の熊だって言われたこともあるくらい、割と………その……能天気です」
その自己紹介に一人だけ、くすっと笑ってくれる。
長く縦に伸びた耳、兎の影響を受けた水守もゆりさん。
確か彼女は……。
「水守さんですよね?アイドルを目指されてるとか……」
「!……なに、くま先生もゆのこと調べたりしてんの?」
くすっと笑ったと思えばすぐに顔つきが鋭くなる。
あわあわと慌てていると、隣に座っていた畠中さんがジロリと水守さんを睨みつける。
「あなた馬鹿じゃないの?先生が生徒の情報知ってないといけないでしょ。誰もがあんたのファンしてると思うな」
……先程はあまり口を開いていなかったから知らなかったけど……結構お口が悪いんだ、畠中さん………。
「はあ!?何よ、ブス!教師の仕事事情なんか知るわけないでしょ!?後々知っていくことになるかもしんないじゃん!あと、全員がもゆのファンだなんて思ってないわよ!」
途端に口論………。
場の空気が一層ギスギスしてる……。
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……っ」
あぁ……手が付けられない……。
自分の情けなさに涙が込み上げてくると、パーテーションの横から顔を出す斎藤先生。
救世主が現れた……!
「大八木先生、もう少しで他の生徒たちも集まってきます。静かにお願いしますよ!あと、喧嘩してるそこのおふたりは席を離してあげればとりあえず解決しますー!」
それだけを言い残し斎藤先生はさっといなくなってしまった…。
でもとりあえずは斎藤先生の言い分を聞き二人の席を端と端にすることにした。
……そう言えば、一つだけ席が余っていたな。
誰か来てない生徒がいるのだろうか?後で名簿を確認しないと………。
何とか入学式が始まった。
アニテイドロームの子たちは既に着席しているため、入場は無いがみんな拍手をしっかりとしている。いい子たちだ……。
僕も生徒たちの一歩後ろで拍手を鳴らす。
ぱちぱちぱちぱち……。
次第に拍手の音が小さくなっていく。……パーテンションがある為、他の生徒の動きを隙間からチェックしていかないと反応が遅れるな…。
舞台上に校長先生が登壇するのが見え、生徒たちも一斉にそちらへ視線を向ける。
『えー……ぉほん、新入生の皆さま、ご入学おめでとうございますね。初めはまだまだ慣れない学校生活になると思いますが、クラスメイトたちと切磋琢磨をし成長していってくださればと思いますね。さて、本校では今年から新しく専科を設けました。皆さまも薄々勘づいていらっしゃるかと思いますが、そう…そちらのパーテンションの内側』
そっと手のひらでこちらを指す校長先生。
生徒たちの肩が一瞬跳ねた。きっと紹介があるとは思ってなかったのだろう。
……パーテンション越しでも伝わる、生徒たちの視線。
この子たちにはまだ…苦しいかな?
『彼らはあくまでも本校の生徒で、君たちとなんら変わりません。少しだけ違うとすれば動物の耳や尻尾が見た目に反映している、ということだけ。決して異質な存在じゃぁありません。きっと皆さまとも関わりがあることでしょう。その際は決して忌み嫌わず、寄り添おうとしてみてください』
よろしくお願いします。と一言添えて校長先生は静かに舞台から降りていった。
この子たちもぽかんと、口を開けて固まっている。
そうだ、この子たちは異質なんかじゃないんだ。
校長先生は彼らを初めから馴染めるようにと、尽くしてくださったんだ。
「……僕も、頑張らないとな」
校長先生や他の先生たちの優しさに触れ、僕の心も暖かくなるのを感じた。