『伊通、不遇により牛車を焼き、権大納言に任じられた上プレスマンを許されること』速記談2081
大治五年十月五日、源師頼、藤原長実、藤原宗輔、源師時の四名が、権中納言、中納言に任じられた。去る保安四年以来、中納言が次々と他界したのを補充していなかったためである。この四人に漏れた藤原伊通は、参議を辞し、大宮皇子で牛車を焼いて抗議したという。三年後の長承二年九月二十一日、伊通は、権中納言に任ぜられた。十二月五日には、速記官以外でプレスマンを胸に差すことを特に許された。
教訓:昇進が認められなくて抗議するなどということが許されたというのが信じられない。