荒海の舞
灰色の雲が低く垂れ込める日本海で、義経は北の風を感じていた。
蝦夷の水軍から借り受けた船は、和船とは異なる独特の造りをしている。波を切る船首の形状、強靭な舷側の補強、そして荒波に耐えうる船底構造。全てが北の海のために設計されていた。
「殿!」見張りの声が響く。「後方より、追っ手の船団!」
義経は舵取り場所から振り返った。水平線の彼方に、十艘ほどの船影が見える。泰衡の差し向けた追討の水軍だ。
「数で劣るな」
しかし、義経の表情に焦りはない。むしろ、どこか懐かしさが浮かんでいた。
「思い出したよ、弁慶」
「何をでございます?」
「壇ノ浦だ」
荒波を越えて、追っ手の軍船が迫ってくる。しかし、この海には味方がいる。北からの風と、複雑な潮流。
「全船、我が指示を待て!」
義経の号令が、船団に響き渡る。蝦夷の水軍たちも、彼の意図を理解したように舵を構える。
「来たぞ!」
最初の敵船が射程に入る。矢が放たれ、波しぶきを立てて落ちる。
しかし、義経の船団は巧みに舵を切り、波を盾にして矢を避けていく。
「北風が強まってきた」義経が呟く。「ここだ」
「殿、しかし風上は...」
「いや、見ていろ」
義経の船団が、一斉に大きく舵を切る。一見すると無謀な風上への転進。だが、その動きに秘められた意図が、やがて明らかになる。
波が高く盛り上がり、追っ手の船団に襲いかかる。彼らの船は和船の構造。この荒波には適していない。
「我らの番だ!」
風と波に翻弄される敵船を、義経の船団が包囲していく。蝦夷の船は、荒波の中でもしなやかに動きを保っていた。
「殿!」弁慶の声が響く。「嵐が来ます!」
北の空が、より一層黒く染まっていく。
「好都合」義経は静かに告げた。「この嵐こそが、我らの守り手となる」
追っ手の船が、次々と方向を変えて撤退し始める。彼らには、この海の猛威と戦う術がないのだ。
「全船、北へ!」
義経の船団は、嵐の幕の中へと姿を消していく。荒れ狂う波も、北の海を知り尽くした船にとっては、むしろ味方となった。
雨が激しく降り始める中、義経は北の水平線を見つめていた。その先には、新たな運命が待っているはずだ。