7 ひれ伏せ、者共!
大神官長が震える手で『鍵』を掴み、誰の目にも見えるように空に掲げれば、広場に言葉にならないどよめきが広がった。
皆の目が『鍵』に向けられる中、リリアムの声が静かに響く。
「わたしは、神殿の主になるつもりはありません。
お披露目が終わった後は、神殿に来ない、来れない、遠く離れた地に住む方々の元へ、旅立つつもりです。
その決意の証として、『鍵』を捧げました」
厳かな声音で語られるそれは、まるで託宣。この地――神殿を後に、立ち去るという意思が、告げられる。
連続して投下される衝撃に、誰もが反応できずに固まってる隙に、アンダロが周囲に響き渡る声で号令をかけた。
「リリアム様に忠誠を誓わない神殿騎士など、神殿騎士として存在する価値はありません。
敵はハイトップ=ダンリダ総騎士団長。
総員、抜剣!」
「アンダロ、リリアム嬢でなくて癒し手様、な」
第二王子の小さな訂正は、小さすぎて誰にも気に留められなかったが。
アンダロの――癒し手専属護衛騎士の号令に、少数ではあったが、王家筋の者や総騎士団長の息のかかっていない者たちが、即座に従い抜剣した。
比べて、総騎士団長の背後、大聖堂前に整列した騎士の多くは、狼狽え、柄に手を遣っては手を離し、周囲を見回して、という有様で。
「今、剣を抜き、切っ先を総騎士団長に向けている者に告げる。
今、抜剣せず、剣を鞘の中に入れて鈍らのままに腐らせている者は、仲間に非ず、神殿騎士に非ず、ましてや、守り従う者に非ず。
すなわち、神殿にいるべき者に非ず。
速やかに排除せよ」
アンダロはそう宣言し、自分の腰から鞘ごと剣を抜き取り、流れるように第二王子に差し出した。
第二王子が躊躇なく柄に手をかけ抜剣し、聖堂前の私兵と成り下がった騎士たちの前に足を進め、堂々とした態度で切っ先を向ける。
次に、アンダロは自分の腕から腕輪を抜き取り、淀みない動作でロサ嬢に差し出した。
ロサ嬢が嬉々として受け取って自分の腕に嵌めると、風を掴むように腕を空へ伸ばして呪文を紡いぐ。
枯れた藁色の髪をした騎士――ソーンパスは左手を前に突き出し、総騎士団長、そしてそれに付き従う大勢の騎士たちに向かって、五指を広げた。
「癒し手様を守るが神殿騎士の勤め。
いかに罪に塗れ、正道から外れようと……癒し手様に憧れた、成れないのであればせめてお役に立ちたいと思った、あの日の願い。
騎士団に入ったあの日の自分、それだけは裏切りたくない」
一本の剣と、左手の中指に嵌められた威力向上の指輪一つを武器に。
神殿騎士として大敵に相対する。
それでも、数では劣勢ではあったが。
癒し手ヒーラリオが、彼を護衛してきた神殿騎士たちに、命令を下す。
「何をしている、癒し手を守るのだ、国は違えど神殿騎士であろう。
そして、我が専属護衛騎士に告げる。癒し手……いいや、ロンギフロラム様を守り、敵を討て。
護衛など要らぬ、私など捨て置いていてかまわぬ」
「ヒーラリオ様……!?」
思いもよらない言葉に、リリアムや神殿騎士たちが驚愕の声を上げた。
癒し手ヒーラリオは上がった声に構わず、リリアムに一歩近づき、そしてその手を押し頂くように両手で包んだ。
「我らは、二代目様が記された始祖たる初代――『愛し子様』を存じております。
我らは二代目様に学び、見て、識りました。そして、神より愛されるその在り様を見て、そうありたいと祈り、願い、倣いました。
我らは人を慈しみ、救いの手を伸ばします。なぜなら、それが神の目に留まるからです。
時折、貴女様のように、神殿に足を踏み入れたことさえない者が、神の目に留まることがあります。
死に物狂いで倣う我らを嘲笑うがごとく、易々と神に愛でられるのを見て、妬ましくないとは言いません。
しかしながら。
神が自ら目を留め、愛でられた御方のその在り様は。
まさしく我らがそう在りたいと祈り、願い、浅ましくも倣った、真なる愛し子様そのものなのです。
なってみればわかる、わかってしまうのです。
神殿で祈り一つ捧げずとも、ただただ自ずからその身を削ることによって、神の目に留まり愛でられた『愛し子様』。
祈り、縋り、倣い、足掻きに足掻いた我ら神殿の『癒し手』。
模しただけの我ら神殿の『癒し手』より、神が自ら愛でられた『愛し子様』の方が尊いのは当然でありましょう」
羨望に妬心、そして声にならない哀哭を滲ませて語り終えた癒し手ヒーラリオは、改めて自分の専属護衛騎士に命じた。
「癒し手とて、矜持はあるのです。
始まりの方と同じ、『愛し子様』に仇なす敵を疾く切り捨てよ。癒し手が許す」
二十年もの間、唯一の癒し手としてあった、聖人としても名高いヒーラリオからの、討伐命令。
それは、神殿騎士として否定されたに等しい。
もはや総騎士団長の私兵と化してはいたが、それでも名だけは神殿騎士のつもりではあったのか。
聖堂前に整列する形だけは神殿騎士の姿をした烏合の衆の間に、動揺が走る。
ダンリダ総騎士団長は思いもよらなかった宣告を受けると、討伐を命じたヒーラリオではなく、リリアムを睨みつけた。
「先の欺瞞のせいで、私の名誉は地に落ちた。貴様が、名乗り出なかったせいだ。
大人しくその身を差し出しておれば、私が勿体なくも貴様の専属近衛騎士になってやったというのに!」
憤る心のままに叫ぶ総騎士団長の、怒号が広場に響き渡る。
「何より、神殿で騎士の血混じりの泥を舐めたことも、騎士の靴裏を手で受け止めたこともないくせに、癒し手を名乗るとは烏滸がましい」
長年、癒し手不在の神殿、神官を、守ってやったのは神殿騎士団の長たる自分だと、ダンリダ総騎士団長が傲然と告げる。
「輝かしき神殿騎士団の団長となり、専属護衛騎士として神の代理人たる癒し手をも守る席を手に入れた。
地上の名声、天上の栄華、私こそが最も尊い存在になったというのに……一度手にした栄光は、幻と消えた!
そして農夫の娘は、私からの専属護衛騎士の申し出を、事もあろうに断った!」
怨嗟に満ちた視線が、リリアムに――ダンリダ総騎士団長を専属護衛騎士に選ばなかった癒し手に向けられた。
「これほどまでに辛酸を舐め、艱難辛苦を重ねた私こそ、神の目に留まらぬはずがない!
なるほど、これが、神の試練であったか。
ここで貴様を神に捧げ、今度こそ、本物の栄光を手に入れようぞ!」
運命の不正を嘆く悲憤慷慨の騎士が、天に届けとばかりに吠えた。
アンダロが視線を遮るように、リリアムを背後に庇う。
「癒し手を守る為に、権威と権力を求めたのが、神殿騎士団の始まり。
今では逆に、権威と権力を得る為に癒し手を求めるようになりましたか」
「そうだなぁ、武でもって聖を守り神に仕える志を、とっくの昔に忘れてしまったか、あるいは、元より持っていなかったか、だな。
癒し手目指して、神官殿たちは真面目に有象無象、区別なく人に献身を捧げてるが。
神殿騎士は将来、神の目に留まる「癒し手」を守ることで、あわよくば一緒に神の目に留まらないかって狙ったわけだ」
第二王子とアンダロが話しながらも牽制していると、ロサ嬢が魔法を完成させた。轟音を響かせて湖から水流が巻き上がり、聖堂の前にいる烏合の衆の上空で渦を巻く。
見上げれば空でなく、広場の上空一面に渦を巻く水流が目に入るという、ありえない事態に誰もが呆気に取られて、動けない。
そんな中、いまだ剣さえ抜かず、右往左往している者達に最後通牒を突き付ける、明るい声が響き渡った。
「落として凍り付かせて、一網打尽ね!」
捕縛も兼ねてちょうどいいでしょ、とにっこり笑うロサ嬢に、第二王子が称賛の声を上げる。
「腕を上げたなぁ、ロサ! 大技も制御できるようになったか」
「そうなの! 腕輪があったら、暴走しなくなったわ!」
えっへんと胸を張るロサ嬢に、誰もが、え、じゃあ、腕輪が無かったら? と怖い考えになった。
一拍置いて、アンダロが口を開く。
「ロサ嬢、神殿に来る時は、必ず腕輪をしてきてください。
武装ですが、癒し手の専属護衛騎士権限でそれだけは許可します」
「待て、アンダロ、そっちだけズルイだろ。
ロサ、俺も父上に話を通しておくから、王城に来る時もな!」
上空の大渦を見ながら、賑やかに深刻な暴走事故対策が練られる。
五指を広げて、悲壮な覚悟で前に立ったはずの騎士ソーンパスは、見たことも無い強大な魔法を前に、所在無げに自分のちっぽけな指輪を見つめた。
そして、聖堂前の者たちは。
癒し手ヒーラリオからの討伐命令、総騎士団長の暴言、上空の大渦。
態度を決めかねる、という段階は、もうとっくに通り過ぎていたという事実を、認めざるを得なかった。
勝ち馬に乗ったつもりが、泥船で、今まさに巻き添えになって文字通り水に沈められようとしているのだと、ようやく理解した。
ただ単に蜜に集っていただけの者たちは、今までがそうであったように、易きに流れた。
ハズレくじを放り投げるかのように、剣を投げ出し。
総騎士団長を見限り、恥も外聞もなく、一斉に投降の意を示した。
そして。
背後からドアノスが。
正面からゲトサゥスが。
示し合わせたかのように、ハイトップ=ダンリダ総騎士団長を刺し貫いた。
断末魔さえも無く、木が倒れるがごとく、音を立てて地に倒れ行く総騎士団長。
「し、神敵を、討ち取ったり!」
「我らは、信仰の守り手たる神殿騎士、団長はそれを統べる者と信じ、その命令に従ったまで。
決して癒し手様を、ましてや神を貶めるつもりはなかったのです!
その証として!
神敵を、討ったまで!」
貫いた剣をそのままにして手を離し、引きつった顔で両手を広げて敵意は無いとアピールする、ドアノスとゲトサゥスの二人。
その二人から、仲間だった者は一斉に距離を取り。そしてまた、倒れた総騎士団長に駆け寄るでもなく――。
「ピポーパー、二人を捕らえろ」
恐慌をきたして暴徒となりかねない雰囲気の中、第二王子が機先を制して、指示を出した。
癒し手に背を向け、大きく振られた旗に従い。形勢不利と見れば、大人しく離れるどころか旗を蹴り倒し、背けた顔に笑顔を浮かべて振り返ろうとする二人に、向けられる目は冷たい。
「他の者は、御咎めなしとはならんだろうが、総騎士団長に命じられただけ、と情状酌量の余地もある。
武装は解除したままで、しばらくの間、自室で待機を」
剣を総騎士団長へ向けていた者たちが、第二王子の指示に従って粛々と行動する。
剣を捨てて投降した者は、良くも悪くも命じられるのに慣れていた為、ノロノロとした動きではあったが、大人しく自室へ向かった。
リリアムとヒーラリオ、癒し手の二人が倒れた総騎士団長に急ぎ駆け寄るも、すでに事切れており。
二人揃って、できることは何もないと、首を横に振る。
呆然と、迷子のような表情をして箱を持ったままの大神官長に、第二王子は語りかけた。
「良かったら、あの流されて命令に従っていた騎士達は、王家が引き取ろう。さすがに、このまま神殿に置いておくわけにはいかんだろうからな。
上級騎士は貴族の子弟が多いから、王家から連絡を取って、それぞれの家に引き取ってもらった方がいいだろう」
「そう……そう、ですね。そうしていただけると、助かります」
大神官長は力なく頷いた後、一度俯き、次に、決然と顔を上げた。
「ここで、挫けるわけにはいきません。見守って、おられると。神はその眼差しでもって、すべて見ておられると。
このようになった一因は、我ら神官の怯懦にもありましょう。改めて、二代目様のお言葉を、胸に刻む所存でございます」
――建物から出て、人に尽くせ、生涯かけて尽くせ。
「至らぬ身であればこそ後進を、と思っておりました。
綱紀を締め直し、神官がこの事件で神殿にて蹲ろうものなら、激励して奉仕の旅へと立たせましょう」
大神官長は長く伸びた白い髭を揺らし、背筋を伸ばした。
倒れた総騎士団長に祈る、奇跡の体現、癒し手の二人を羨望の眼差しで見つめる。
「生涯、見ること、会うことの叶わぬ者もおりました。比べて、我らは奇跡をその目で見るという、僥倖に与ることができたのです。
我らが大願成就の道、ここで途切れさせなど致しません」
大神官長はそう言って、誓いと共に祈りを捧げた。
サブタイを「ものども」と平仮名にすると、すすめ~、すすめ~♪ となりそうなので、漢字にしました(古すぎんじゃね?←うん、自分もネタでしか聞いたことがない)。
八話「君の行く道は」
エピローグ的な話ですので、本日、19:10投稿、完結とします。