第51話 堕ちゆくフ女子は何を願う 14
「あア、もっと素材の良さを生かす方向で」
「チークもつけまも濃ゆい、デカチチ基本ケバいのヨ」
「ちょおま、そこ……マジセンス皆無ネ」
「ちっ……うるさいですね」
理子の自室でドレッサーに向かっているのは胡桃。三面鏡の端にはメイが大袈裟な身振り手振りであたふたしている様子が映っている。
「……もうなんでもいい、早く終われ」
自分の容姿に関心のない胡桃はこの苦痛な時間を虚無の姿勢で受け流そうとしていた。
現実逃避を図るため、鏡に映る自分を見ながらどうでもいいことに思いを馳せる。
胡桃は美容院が苦手だった。知り合いでもない美容師から話しかけられることも、一時間以上自分の顔と向き合い続けることも彼女にとっては拷問とも思えた時間だ。
それでも我慢して通ったのは、楽しそうに、ときに集中して髪に向き合う美容師たちが自分と同じ創作をする仲間のように思えたからだった。
しかし、ついぞ胡桃の方から彼らに話しかける機会は訪れなかった。
今胡桃はそんな意気地のない自分と決別するために転生することを決意した。
この鏡に映った顔ともお別れかと思うと少し名残惜しい気もして、口角が微かに上がる。
「オっ、このリップ気に入ったカ? なかなかイイ色だロ♪ ウチが選んだんだゾ」
それを目ざとくメイが見つけ、ぐいと頬に顔を寄せてきた。
「「じゃま」」
その時発した胡桃の言葉が偶然理子とハモってしまい、恥ずかしそうに俯く。
「ダメヨ、ちゃんと正面向くネ。カワイイお顔が見えないヨ」
「や、かわいくなんか……」
「こら、動かな──」
姿勢を正すメイの手を避けようと上半身を仰け反らせた胡桃だったが、元来の運動神経の鈍さも相まって重心のバランスが崩れてしまう。
「──うぃいいっ……!?」
後頭部から椅子ごと転げそうになり、背泳する風呂玩具の如く慌てて両手をぐるぐると回して耐える。
滑稽な光景だったが、胡桃は必死の形相だ。
あわや転倒かと思ったすんでのところで理子が椅子の後ろへ回り込み、その身でブロックすると。
──ぽふんっ。
「うおぉおおおっ!? ……ぉ、おほぉ♪」
理子の大きなバストが倒れてきた胡桃の頬から頭のてっぺんまでをすっぽりと覆い隠してしまった。
「オイ! チチハラネ!」
「不可抗力です、むぎゅ♪」
「ふぉおおおお……! おふっ!」
メイが騒ぐ一方、なぜか理子は冷静に両手で胸を挟んで寄せ、さらにその密着乳圧(快感)を高めていた。
胡桃はVRゴーグルをはめているようなスタイルのまま釣り上げられた鯉のように口をパクパクさせ、時折鞭で打たれたように身体を反らせて痙攣している。
「クルミ、シャツの上からでよかったナ。チョクなら飲み込まれてるところだゾ」
「人をそんなブラックホールみたいに言わないでくれますか」
「実際似たようなものネ」
「お……おっぱ、ぱぱへへへ……ぽへ……」
「てゆかクルミ壊れそう。早くどかセ」
メイが胡桃の肩を押さえながら理子が後ろへ動いて胡桃の頭部を下乳から引き抜く。
勢いを付けながら引っ張った何回目か、シャンパンの栓を抜いたような軽妙な音がした。
胡桃の上体を起こしながら、メイが心配そうにその顔を覗き込む。
白目をむいて呆けてはいるが、呼吸は確認できる。
「クルミ、生きてるカ……?」
メイがそう言って胡桃の頬をぴしゃりと叩く。
すると胡桃は口は半開きのまま瞳孔が帰ってきたが、その焦点は定まっていない。
「パイ。オッぺーデス」
そういいながら力なくサムズアップする胡桃。
だらしなく開いた口からは涎が筋を作る。
「……ダメそうネ」
■□■□
「うん……? 今なんか変な声が聞こえたような……まあいいか。
えーと、このへんですかね?」
そのころ僕は脚立に乗って、応接室の壁に掛けた額の角度を調整していた。
胡桃さん渾身の一作、なるべく社内で一番目に付く場所に飾っておきたい。
「うむ、いいだろう」
それまで顎を触りながら腕組みしていた社長の表情がようやく緩んだのを確認して、僕は脚立から降りる。
「よっ、と……。なんか肖像画があると一気に社長室って感じしますね」
「ふっ、弊社に社長室はないが、この絵を生かすためにも今後設置を検討しよう」
額の設置が終わると、改めて胡桃さんの描いてくれた社長の肖像画を眺める。
沢山の花々を背景に、優しくも威厳のある微笑を浮かべた社長が優雅且つ荘厳なタッチで描かれている。
見事としか言いようのない芸術作品だ。
「……それにしてもいい絵ですね。社長の内面まで滲み出てくるようで胡桃さんホント上手いや」
もちろん僕は『社長の内面』なんて知る由もなく、なんとなく出てしまっただけだ。
しかし社長はそんな『僕の内面』を見透かしたかのように軽く微笑んで続けた。
「それでも『本物より綺麗に描けないなんて二次元の敗北』だと何度も愚痴られたよ。
気分転換になればと衣装を切り替えたら、怒られてしまってね」
社長はそう言っておどけ気味に肩をすくめ、両掌を上に向けるジェスチャーをした。
こんなポーズでさえ決まってしまう社長はやはり二次元を超越しているんだろう。
「そりゃそうでしょ、また描き直しなんだから……考えればわかりそうですけど」
「どうせなら一番彼女が美しいと思うドレスアップがいいだろう?」
「そういうのは最初に決めといてください。実際のところあの指パッチン早着替えを披露したかったとかじゃないんですか?」
「ふっ、なかなか鋭いね。最近弊社に来て洞察力も高まったんじゃないかな?」
「……まあ、ええ。おかげさまで」
とうに見透かされた状態でリップサービスされたところで嬉しくはなかったので、適当に返事を返した。
『ウム、いい……! いいゾクルミ! やっぱウチって見る目あるワ~♪』
そんな話をしていると、壁の向こうからメイさんの大きな声が漏れ聞こえてきた。
きっとさっきの変な声もあちらから発せられたものだろう。
「そろそろ向こうの支度も終わった頃合いのようだね」
社長がそう言うと、入り口のドアが静かに開けられる。
■□■□
「…………」
「湊徒、よだれ」
理子さんにそう言われ我に返ると、慌てて口を拭った。
「よだれなんて垂らしてないじゃないですか!」
「そんな顔してたってだけです。黙っててもいずれ垂らしてました」
実際どうだったであれ、理子さんの言葉は否定できない。
それくらい入り口に立つ胡桃さんが別人のように綺麗だったからだ。
「どうだ、ウチのクルミは本気を出せばこんなもんヨ」
メイさんはそう言って鼻高々だ。
当の胡桃さんは恥ずかしそうに俯いて縮こまっている。
「あ……メガネ──」
「もうイイヨ」
僕が気が付いたことにメイさんが食い気味に言葉を重ねてきた。
僕はそれ以上何も言わなかった。
すると胡桃さんが社長の前に歩み寄り深々と頭を下げる。
急に畏まった態度に一瞬驚くが、それが彼女の覚悟を表しているんだろう。
「……あの、よろしくお願いします」
「うむ、迷いがない良い顔だ。それでは良い旅になるよう私たちも全力を尽くすと約束しよう」
社長はそう言って胡桃さんの礼に応えるように会釈した。
「詳しくは移動しながら説明しますので。湊徒はこふぃ~ちゃんを」
理子さんは一連のエモさを意に介さず、事務的に仕事をこなそうとスタスタと歩き出す。
こういうとき無表情だと輪をかけて冷たく感じてしまう。
僕は理子さんについて部屋を出、一同と途中で別れひとりガレージへ向かった。
■□■□
「よっと……、それじゃ今日もよろしくな」
エクソダスコフィンの座席に乗り込みキーを回してエンジンに火を入れると、独特の軽快な排気音が返事をする。
「よし、調子良さそうだ」
僕はその音でコンディションを確認するとハンドルを握った。
「あれ、まだ誰も来てない……?」
車を中庭まで回してきたところで僕は異変に気付く。普段ならもう契約くらいまで進んでいてもいいはずだ。
所定のスタート位置に車を停めると、ドアを開ける。
するとちょうどこちらへ来る理子さんを発見した。
「遅いですよ、もうこっち準備できてますよ」
「逃走しました」
「……? もう一回」
返事がよく聞こえなかったので聞き返すと、理子さんは僕の方を指さした。
「だから、『そいつ』で撥ね飛ばすと言ったら逃げたんです」
なるほどそりゃそうだ。
ストレートに言い過ぎだよ!
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