第49話 堕ちゆくフ女子は何を願う 12
せっかくの和気藹々な空気を一瞬で凍りつかせかねないようなメイさんの鋭い視線が僕に向けられている。
推察するに『今思ったことを口に出したら処す』と言いたいようだけど。
というか口に出さなくてもこんなにわかり易いリアクション見れば誰だって……。
「あ」
そう思い周囲を一瞥すると、普段と何も変わらない空気を纏う人物がひとり。
カップを揺らして満足そうにコーヒーをくゆらせている社長そのひとだ。
知り合ってまだ日が浅いが、僕が見た限り社長は個人的な事情にはほとんど関心を持たないように見える。
このリアクションもそのイメージ通りではあるのだが、いかんせんこの鈍感具合は。
普段のメイさんとの感じから推察するに、泣かせてきた人数もかなりの数に上りそうだ。さすが魔王といったところか。
僕は少し思案を巡らせたあと、理解したよと言う意味でメイさんと理子さんに向けて小さくウインクをしてみせた。
秘密の共有、なんかいい響き──
「チッ」
「キんモ」
(合図返しただけなのにひどいっ!)
僕はノータイムで跳ね返された辛辣さに軽く傷ついた。
■□■□
急ごしらえのダイニングを片付けると、そこはさっきまでの賑やかさから少しばかり無機質で堅苦しい空間に変わる。
社長以下全員は早くもオフィスモードへと表情を変えていた。
僕も業務開始……と言いたいところだが特に業務らしい業務は残念ながら無く、フォルダを空けたり閉じたりしながら有り余るヤル気の持って行き所に難儀していた。
「ん?」
今度は暇を持て余すように椅子の背もたれを前後させていると、視界の端にソファに座る胡桃さんを捉えた。
背もたれに身体を預けたときだけちらりと彼女が見える。それを利用して何度か窺うと、黙々と手元を動かしていた。
「シュイッチかな……? あ、タブレットか」
胡桃さんは時折サイズの合わないメガネのズレを直しながら、画面に真剣に向き合っている。
どうやらゲームではなさそう。動画かSNSか、またはどこかのサイトでも見ているのだろうか。
僕はそんな些細なことが無性に気になってしまい、こっそり画面を覗き見ようと腰を上げた。
オフィスチェアがギッと鳴いてハッとするが、誰も僕を気に留める者はいない。
そして、胡桃さんの視界に入らないように忍び足で回り込み、徐々に近づいていく。
彼女は相当集中しているようで、素人隠密の僕にですら全然気づく様子はない。
(あ、ペン持ってるぞ。絵……かな)
僕はある程度近づいたところで足を止め、タブレットのディスプレイを覗き見ようと亀の如く首を伸ばした。
こういう所作をする際、無意味に鼻の下も伸ばしてしまうのはなぜなのか。
(う、くく……もうちょっと……)
首の筋が攣りそうになり姿勢も限界に近いが、次第に画面全体が見えてくる。
そして彼女がしきりにペンを走らせ色を乗せているものを認識した途端、それはまるで飛び出して来たかのように僕の脳裏に飛び込んで来た。
「うーわうんまっ!」
「ぎゃあっ!? なに!?」
そのせいでこっそり近づいていたことをすっかり忘れ、無意識に感嘆を漏らすという失態を犯してしまう。
僕の突然の大声に驚いた胡桃さんは往年の米アニメのような古典的ジャンプのあと急いでタブレットを胸元へ伏せてしまった。
「今のイラスト? 上手いねぇソフト何使ってるの? これなにかのキャラ──」
僕は湧き上がるパッションの余り諸々全てを失念し、怯える胡桃さんを質問攻めにしてしまった。
直後、首筋に冷たい感触を覚えたことで我に返り、無神経な振る舞いをしていることに背筋が凍る。
「……オイ」
このドスの利いた低い怒声、聞き覚えが……たしか初めてお会い召された時の羽やら角やら全開だった時のモードですよね……。
「あ、あらぁメイさんいつの間に……」
下手に動けば頸動脈が逝ってしまうので振り返ることはできないが、きっと眼光は煌々と緋色に輝いて、首筋に当てられたコレは日本刀より鋭利に磨がれた彼女の爪だろう。
彼女の卓越した戦闘力の前では指一本動かせずなす術もなかった。
「あの、僕はただ胡桃さんがなにをしてたのか気になっただけで……というかめちゃめちゃ上手かったもんでつい大きな声を……」
必死に弁解してもまだ首筋に突きつけられた得物は微動だにせず、僕は意味があるか分からないが降参の意味で両手をホールドアップして見せた。
「……大丈夫。少しびっくりしただけだから……いいよ見たきゃ」
するとこの恐ろしいメイさんの姿が認識できているのかあやふやだが、見かねた胡桃さんがそう言って抱えたタブレットをこちらに差し出してくれた。
ようやく首筋から爪が離れて、僕はふぅと安堵のため息をつく。今にも腰が抜けそうだ。
「フン、次紛らわしい事したら切り刻ム」
そう言ったメイさんの声色からマジ度の高さを感じ取り、予想以上にヤバい状況だったことを思い知った。
僕も浅はかだった。死角から突然大きな声をかけられ、それが苦手な男性ときたら叫びたくもなろう。
「ごめんね脅かして……じゃあ見せてもらうね」
「うん……別に」
僕は胡桃さんに頭を下げるとタブレットをおずおず受け取った。
メイさんは角と爪は引っ込めたが、相変わらず怖い顔で僕を睨みつけている。しょうがないけど信用など皆無だ。
「おお……すご」
画面狭しと踊るダイナミックな筆致、遠目ではここまで細かい部分は分からなかったがその緻密さと構図の迫力はかなりの熟練を思わせた。
高く均整の取れた鼻筋、どこか愁いを感じさせる目元、それに妖しく潤いを湛えた唇……それでいて全体はきりりと引き締まっていて艶を見事に覆い隠している。
そしてモデルも最初はなにかのキャラかと思えたが、見れば見る程ある人物に似ていた。
「これ社──」
そこまで言いかけて残りの言葉は飲み込んだ。メイさんの顔を一瞥するとそれで正解ぽい。
胡桃さんはパーカーのフードを深く被って俯いてしまったが、小さく頷いて呟く。
「……二次元よりきれいなんて反則。描き切れないよ」
「これで十分だと思うけどなぁ」
それはフォローのつもりではなくもちろん本心だ。
しかし胡桃さんは俯いたまま続ける。
「ううん、まだまだ。魅力を全然引き出せてない」
彼女のその言葉はあまり初対面の人に使わないので少々不自然だ。
そう思っていると、胡桃さんは徐々に重い口を開いてくれた。
「……知ってる人に似てるんだ」
『知ってる人』に似ている。
これだけの拘りを感じさせる人物がただの知人ではないことは僕でも分かった。
「次はウチを描いてくれるんだよナ♪ ナ♪」
「えなんで?」
「ダメか? ダメなのか……?」
羨ましかったのかメイさんが猫なで声を上げ全身で擦り寄る。しかし胡桃さんはそれを仰け反るようにして避けていた。
さっきまでの僕に対する恐ろしさはどこへやらだ。
「あ、なんか通知入ってるよ」
「ちょま、それダメ!」
ふとタブレットの青い点滅に気付いて画面をタップしてしまう。
反射的な行動だったため胡桃さんの制止が間に合わなかった。
『この動画に映ってるの胡桃だよね!?』
『ご両親に聞いたら部屋にいないって』
『もしかして家出?』
『ねえ教えて、どこにいるの?』
『胡桃!』
『胡桃!』
『おねがい、返信して!』
『相談のるよ、私がなにかしたなら謝るから』
「……え?」
それはSNSのDM画面だった。
並んでいるアイコンは全て同じものだ。
「閉じて! 早くっ!」
僕は胡桃さんの絶叫にも近いその声に狼狽え、訳も分からず急いで画面を閉じてタブレットを胡桃さんに返す。
胡桃さんはフードごと頭を抱えてうずくまってしまい、震える身体をメイさんが慌てて抱き寄せる。
「あのすいません……そんなつもりじゃ」
なにがあったのか、僕が何をやらかしたのか分からないが事態は良くない方向へ向かっていることは間違いない。
「はーやれやれ……毎度面倒なことをしてくれますね。仕事はしないのに。
落ち着いたら会議室へ」
困惑している僕の元へ理子さんが来て嫌味を言う。
今回ばかりは反論する余地もなく僕は頭を垂れるばかりだ。
さっきのDM……誰からのものだったんだろう。
胡桃さんの態度とは裏腹に、とても心配している様子だったのが気になっていた。
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