第48話 堕ちゆくフ女子は何を願う 11
「ふぁ~あ……ん? 今悲鳴が聞こえたような……?」
翌日早朝。
疑問を抱きながらも僕はモップを手に取り、なるべく音や埃を立てないように床に滑らせる。
確か昨夜胡桃さんはメイさんに一緒に寝ようと部屋に連れていかれたはずだけど、やっぱり何かされたのだろうか。
などと考えていると、廊下の向こうから喧騒が近づいてくる。
「わぁああ~ん……!」
すると間もなくはだけたオーバーサイズのパジャマからブラの肩ひもを覗かせた胡桃さんが泣きながら全速力で僕の横を通過した。
「クルミ、待つヨ~」
そしてそのすぐ後ろをメイさんが、まるで逃げた猫でも追いかけるように狼狽えた様子で通り過ぎる。
その格好を見れば、さっき通過した胡桃さんと色違いのお揃いパジャマ。
「チィ……仕方ない」
メイさんはそう言って爪をひと噛みすると、翼を広げてふわりと浮かび上がる。
そして瞬間移動の如き速さで一気に胡桃さんとの距離を詰めて彼女の前方へ回り込んだ。
「は~な~せヘンタイ~!」
「コラ、ウチの話をちゃんと聞くヨ」
そして体を揺すり駄々をこねる胡桃さんの両肩をがっしり押さえつけ彼女の目をじっと見つめる。
すると胡桃さんはメイさんに魅入って大人しくなった。
……まあ、こんなでも白磁の陶器のような絶世の美人だから。
「とりあえずまだクルミにエッチなコトは何もしてないヨ」
「……じゃあ、さっきのは……?」
メイさんに見惚れながらも胡桃さんは懐疑的に口を尖らせる。
「おはようのチュー」
「ほらやっぱり!」
「チョまて、未遂だっただロ……それより、イイ夢は見れたカ?」
「!!? えまってなんで?」
メイさんの手を振り解こうと再び暴れ出した胡桃さんだったが、その言葉を聞くと驚いてぴたりと動きを止めた。
それを見たメイさんは得意げに話し始める。
「ウチは夢魔。相手に望みの夢を見せて深層心理を探ることくらい文字通り朝飯前ネ」
僕が以前、ひろしくんの夢の中に入った時と同じだ。
きっと胡桃さんが心の奥に隠した転生の動機を夢を通じて探ったのだろう。
「じゃあ、あの夢……ボクのこと全部、見られちゃったの……?」
「黙ってやったのは悪かったヨ、でもウチもクルミのことや事情も知りたかったし……」
メイさんの弁解中にも胡桃さんの大きく見開かれた瞳のダムは結界寸前だ。
誰だって秘密にしたいことを勝手に覗かれたら傷つくし、彼女に死を決意させた程の大きな心の傷なら尚更だ。
「あ、安心するネ、湊徒には話さないでおいてやるから、ナ?」
間もなく嗚咽を始めた胡桃さんにメイさんは狼狽する。
しばらくあわあわおろおろした後、取った行動は。
「!?」
力強く抱きしめていた。
僕は無意識に心の中で感嘆を漏らしていた。
「心配するナ、ウチたちが全部受け止めてやル。辛かった人生はクルミの次のステップを必ず後押ししてくれるはずヨ」
胡桃さんはメイさんの腕の中で静かに泣き続けていた。
僕は物音を立てないように、そっとモップをもって立ち去った。
■□■□
「うむ、いい香りだ。豆の挽き方も一段と上手くなったようだね」
「えへへ、そうですか? ありがとうございます~。三人の好みのちょうどいい中間地点探るの苦労したんですよ」
「フン、調子に乗ってキモ……ずず──アチチッ!」
「お天道様は魔族にも天罰をお与えになるようです」
社長は朝食のブラックコーヒーをひとくち含んでその芳香に目を閉じ、理子さんは曰くこだわりのトーストを三人分運んできた。
あの後僕が掃除を終えてオフィスへ行くと、胡桃さんは落ち着きを取り戻してソファにひとりで座っていた。
ひとまず騒動は収まったので、いつものとおり朝食の準備に取り掛かった。
「胡桃さん、アイスそれじゃなかった?」
トーストをかじりつつ胡桃さんを一瞥すると彼女はアイスに手を付けていなかった。
買ってくる商品を間違えたのか気になって尋ねてみると彼女は静かに首を左右に振る。
「ううん合ってる……ボクもみんなと同じの、食べようかな……」
そして小さな声で、そう言った。
「うむ、朝のエネルギー補給はその日の活力を生むからね。いい判断だよ」
「じゃコレ食え。ウチの一枚やる」
「コーヒーはポットにあるのですぐ注いできますね」
それを聞いた社長のひとことでメイさんと僕が同時に動きだし食卓に活気が生まれた。
たったこれだけのことで雰囲気が明るくなるから不思議だ。
「砂糖とミルクは?」
「いる。いっぱい」
僕は来客用のカップにコーヒーを注ぐと、シュガーポットとミルクを添えて胡桃さんの前へ並べる。
同時にメイさんもトーストの乗った皿を彼女の前に移動させ、もう一人分のモーニングプレートが完成した。
「~♪」
すると胡桃さんは徐にトーストの上に球状のアイスを二、三個乗せ、適度に溶け始めたところで美味しそうにかじり始める。
「あ~! ウチもそれやりたい! デカチチもう一枚」
「ご自分でどうぞ」
「あ、いいですよ僕が焼いてきます。というか僕もそれやってみたいけどいいかな?」
「……うん」
胡桃さんは小さく返事をしてアイスの袋を『みなさんもどうぞ』という感じで全員の手の届く所に置いた。
相変わらず目を合わせてはくれないけど、少しずつ打ち解けてきているのかな。
「ほう。甘いが……この甘さがトーストの塩味と不思議なマリアージュがあるね。それに──この琥珀の苦みを一層引き立てる」
準備ができると意外なことに真っ先に手を出したのは社長だった。
しかも結構な絶賛ぶりだ。
「なんか、クセになりそうネ……」
「あーなるほど、こういう感じなんだ。
理子さんは試してみないんですか?」
「リコは結構です」
「そうですか……うん?」
ふと胡桃さんを見ると、食べるのを中断して顔を伏せていた。
耳が燃えそうな程に紅潮している。
社長に食べ方を褒めてもらったからだろうか。
そういえば昨晩ちゃんと食事を摂ってくれたのも社長のひとことがきっかけだった。
もしかして胡桃さん、社長のこと──。
「!!?」
そんなことを考えていたら、突き刺さるような視線を感じて背筋が寒くなった。
顔を上げ見渡すと、メイさんが僕を睨んでいる。
……え? どういうこと……?
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