第46話 堕ちゆくフ女子は何を願う 9
「ゆき……!! なんでなんでなんで……」
胡桃はベッドから飛び起きてパジャマのまま部屋を飛び出したが一転、踵を返してデスクの椅子に掛けてあったパーカーを頭からかぶって再び走り出す。
袖を通したらフードが視界を遮る。後ろ前だ。
階段を駆け下りながら正しくかぶり直す。
そして玄関を飛び出してまだ開店前の和菓子屋の前を通過すると、裏口にある玄関のインターホンに飛びついた。
「ゆきっ! ゆっ! きっ……!」
応答を待たずに連打しピンポンが二十回ほど鳴ったころ、徐に扉が開けられた。
そこにはまだパジャマ姿で眠そうに目を擦る幸が。
「くるみ……? なにまだ早い──」
「これっ!!」
胡桃は幸の胸ぐらを掴んで起こすように引き寄せると、クラスチャットの画面が映ったスマホを彼女の目の前に突き出した。
「なんで!? なんでゆきがこの絵アップしてんの?」
「んん……、ああこれ……バレちゃった?」
胡桃は幸の想像以上に軽いリアクションに怒りの感情が困惑へと変わるのを感じていた。
「最初はさ、私も胡桃みたいに描きたいなって練習したんだけど全然上手くできなかったから、こっそり体育の時にコピーしちゃった……え、ごめんごめん、そんな顔しないで」
「…………」
幸の言葉のトーンから罪悪感は全く感じられない。
ではなぜそんな真似をしたのか問い質したい、そう思っていても胡桃はそれが上手く言葉にできず、もどかしさで唇を噛む。
「……ゆきも……イラスト描きたいの……?」
「ん~、最初はそう思って胡桃の絵上からなぞったりもしたんだけど、線てきれいに引くの難しいのね……胡桃すごいわ」
「だったら……教えてあげるから……」
『もうボクの絵を盗むのはやめて』
胡桃はその一言が言い出せず、歯切れの悪い言葉しか出て来ずにいた。
「私はいいかな。なんか才能なさそうだし。それよりさ、せっかくならもっと発信していかない?」
「……え? なに言ってんの?」
次第に目が醒めて来たのか、さっきよりもハキハキと喋り出す幸。
いつの間にか胡桃の方が押されている。
「だってこんなに上手いんだからもっとアピールしないともったいないよ。フォロワーたくさん集めて収益化目指そうよ」
幸は困惑しきりの胡桃の両肩をがっしりと掴んでまっすぐ見つめてくる。
彼女はどうやら本気のようで、長い付き合いだからその目を見れば言葉に嘘偽りがないことは分かる。しかしだからこそ余計に胡桃の困惑は強まるばかりだ。
そんな胡桃の心境を他所に、幸は一気呵成に捲し立てた。
「私、前から思ってたんだよね~、街の和菓子屋じゃなくてもっとみんなにすごいって言われることがしたいって。胡桃だってそう思うでしょ? 将来プロだって夢じゃないよ」
「……は?」
「んも~、鈍いなぁ。絵師アカウント作ろうって言ってるの。それでぇ、人気者になってぇ、メディアで取り上げられて……」
完全に幸は妄想モードに入ってしまった。
なんでも知っていると思っていた彼女が、今の胡桃には初めて会った他人のように見えていた。
「いいよ、ボク、そういうの苦手だし……」
胡桃は幸から視線を逸らすと無意識に俯く。
内緒で作ったアカウントでもメッセージのやり取りなどは一切しておらず、コミュニケーションは一方的なものだった。
そもそも胡桃は他社との交流を求めている訳ではなく、単に絵を見てもらえさえすればそれで満足だったからだ。
「じゃさ、私が窓口やってあげる!」
幸の狙いすましたようなその言葉に胡桃は耳を疑った。
胡桃の絵で自分が人気者になりたいという狙いが明白に感じられたからだ。
「あ、その顔。だーいじょうぶよ、ちゃんと胡桃が描いたって宣伝するから。胡桃は自由に、思う存分イラスト描けばいいよ。私はそれをアップして運用もやってあげる。それならいいでしょ?」
あくまで裏方っぽい言い回しだが、きっと彼女の立ち位置はマネージャーよりプロデューサーに近いものだろうと直感した胡桃は即座に幸の手を振りほどいて否定的な態度を取った。
「あ~、そういうなんかヤダ的な食わず嫌いはよくないぞ。それに絵ってね、誰か他人に見せた方が上手くなるんだって」
幸はどこぞで拾ってきた断片的な知識を尤もらしく語るが、そのことは胡桃もとうに承知していることだ。
「ねえ、やろうよ胡桃~」
幸はそう言って顔を伏せたままの胡桃の肩を揉みながら甘えるように顔を寄せる。
それでも目を合わそうとしない胡桃に、幸は奥の手と言わんばかりに話題を変えて来た。
「胡桃さ、獅子戸先輩のこと……好きなんでしょ?」
「なっ!? なんでいまそんな話すんの!?」
驚いて顔を上げてしまった胡桃は直後に幸と目が合いハッとする。
幸はその隙を見逃さず別角度から斬り込んできた。
「胡桃さ、あんなに上手く先輩描けるんだから、似顔絵描いて先輩にプレゼントしようよ、それを私と胡桃の活動一発目の記念にするの、どう?」
こんな提案を胡桃がじゃあいいよ、と態度を翻して認めるはずがないのだが。
「先輩が気に入ってくれたら胡桃だってがんばっちゃうでしょ? もし公式絵師に指名してもらえたら学校のポスターとか描けるかもしれないし」
幸の狙いは獅子戸麗香を味方につけることだった。それなら頑固な胡桃だって動かざるを得ないだろう。
しかし真の狙いは麗香についた大勢のファンたちにあった。ネット媒体に於いては数は絶対の力だからだ。
説得成功の手ごたえを感じている幸に対し、胡桃はただ黙って床を見ていた。
この駆け引き、幸の勝利で終わるかに見えたがそうではなかった。
「……ごめん。ボク、そういうのじゃないからホントに、ごめん」
胡桃は静かに、しかし強い力で幸の腕を掴むとゆっくりと引き剥がした。
「え、あ……まってく──」
今まで胡桃にこんなに強く腕を掴まれたことが無かった幸は気圧されてしまい、先程まであんなに饒舌だった口が上手く回らないでいる。
そんな彼女の顔を見ることもなく胡桃は踵を返すと、重い足取りで幸の家を後にする。
昇り始めのまっすぐな陽光が瞑った瞼を突き抜けてくるので堪らず下を向くと、そこで初めて自分が靴を片方しか履いていないことに気付いた。
胡桃はそれを自嘲気味に鼻で笑って今しがた歩いてきた玄関を振り返る。
すぐ近くの筈なのに、なぜかとても遠くにあるような感覚を覚えていた。
帰宅した胡桃は汚れた足もそのままに布団を頭から被る。
頭痛は治まっていたが今は誰にも会いたくなかった。
「…………!」
そのまましばらく経って弾かれたように起き上がると、今度は机から鋏を取り出して姿見の前に立った。
「……うぅっ、ひっく、う……」
ジジジジジ……と繊維を断ち切る音と擦れ合う金属音がして、床に黒い塊が散乱する。
憧れだった幸を真似して伸ばしていた髪が泪と共に落ちていく。
『体調がすぐれないので本日欠席します』
クラスチャットにそう残して、その日から胡桃は不登校になった。
最後までお読みいただきありがとうございます。
評価、ブックマークなど頂けましたらとてもうれしいです。




