第45話 堕ちゆくフ女子は何を願う 8
──み、胡桃。
「あ、え……?」
「スカーフがよれてるわよって言ってるの」
「は?」
言うなり少女は胡桃の前へ回り込むと、胸の結び目を解く。
(ボク、またこの制服着てる……なんで?)
濃紺のセーラー服に深緑のスカーフ。
この伝統の制服は地域の女子なら誰でも憧れる名門女子高のものだ。
「よし、きれい♪ もう、いつも言ってるけど身だしなみはきちんとしなよ?」
慣れた手つきでスカーフを結び直した少女は満足げに胡桃の肩口をポン、と叩く。
「胡桃、どうかした?」
「あ、ううん……なんでもない。ありがと、ゆき」
「そう、ならいいけど。早くしないと遅刻しちゃうよ」
「ごめん、じゃ急ごっか」
胡桃に『ゆき』と呼ばれた少女は『小野寺 幸』。
幸の家は代々続く和菓子屋を営んでおり、胡桃とは家も近所で同い年だったことから小学校の頃から仲が良かった。揃ってこの学校への入学が叶った時は抱き合って喜び合ったものだ。
頬骨の辺りで垂直にカットされた前髪に腰までまっすぐ伸びた美しい黒髪は、時々店先に立つ際の着物姿をより際立たせている。
「あれ、まだ髪が長いや……」
胡桃は風になびく先が散ったまとまらない長髪を視界の端に捉えると、幸の黒髪に憧れて自分も髪を伸ばしていたことを走りながら思い出していた。
■□■□
次第に校舎が近づくにつれ、胡桃たちと同じ制服を着た女生徒が目に留まるようになる。
皆一様に歩く歩幅も小さくお淑やかな物腰で、笑うときなどは口元を出て隠したりしている。
胡桃と幸はそんな所謂お嬢様という言葉がぴったり当てはまる女生徒たちを横目にスカートの裾を乱し、ソックスも片方がずり下がったまま走って追い越していった。
もしかしたらそのうちの誰かにはひそひそ陰口のひとつも言われているかもしれない。しかし今の胡桃と幸にはそんなことはどうでもいいことだった。
「とうちゃ~く!」
立派な煉瓦造りの門柱に挟まれた正門の敷居を胡桃はジャンプで飛び越し、姿勢も完璧な満点着地で両手を揚げる。
「負けたぁ~胡桃速い~」
一方、すぐ後ろを走っていた幸は膝を支えに前屈みで息を切らしている。
胡桃も運動はできる方ではなかったが、幸はそれに輪をかけて身体を動かすこと全般が苦手だった。
「ボクだって別に……あ」
「胡桃? ……ああ、ちょうど登校時間に当たっちゃったみたいね……相変わらずモテモテですこと」
胡桃と幸の視線の先。校門と昇降口の中間位置にある中庭に人だかりができている。
それはひとりの生徒を取り囲むもので、ここでは恒例行事だ。
「それにしても獅子戸先輩、遅刻ギリギリなんて珍しいわね。キングレイ様も寝坊するのかしら、なんてね」
人だかりの中心にいる女生徒は『獅子戸 麗香』。
水晶の如く透き通る肌に後ろで一つに束ねられたブロンドが美しい容姿学力スポーツ、そして家柄全てが完璧な生徒会長だ。
もちろん全校生徒の憧れの的であり、恋愛対象に於ける頂点に君臨している。
「胡桃もお近づきになりたい?」
その様子を遠巻きに黙って見ているだけの胡桃の顔を幸がニヤニヤしながら覗き込んできた。
「まさか。いつも混むのが嫌だからこの時間を選んでるんだから」
胡桃はわざとらしく興味のない素振りを見せるように、ぷいと鼻先の方向を変える。
すると幸が胡桃のお尻を撫でて走っていった。
「知ってる。幼児体型の胡桃に恋愛はまだ早いもんね~」
「わっ!? も~、ゆきのバカ!」
胡桃と幸は人だかりを避けるように普段と違う昇降口から教室へ向かうのだった。
■□■□
欠伸を噛み殺しながら壁の時計をちらり見る。
しかし何度も見たところで針は急に速く動き出すことはなく、暗号のような講義は胡桃を眠りの世界へ容赦なく手招きしてくる。
退屈な時間ってなんでこんなに長く感じるんだろう……そんな時決まって胡桃はタブレットを取り出す。
胡桃がペンを走らせると真っ白だった画面は瞬く間に美しい肖像に彩られた。
イラストを描くのは楽しかった。
タブレットを触ってまず最初にしたことは好きなマンガのキャラクターの模写で、徐々にソフトの使い方から様々な絵画の技法、デッサンまで手を付けた。
そして最近、誰にも内緒でSNSのアカウントを作り気に入ったイラストを投稿するようになった。
たまに褒めてもらえるのが嬉しくて今ではそれがモチベーションや向上心に繋がっている。
おもむろにペンを走らせていると、次第に肖像のモデルがはっきりと現れてくる。
それは、いつも遠くから眺めているだけのあの人……。
どうして彼女を描いてしまうのか胡桃は自分でも分からずにいた。
「え、うそ! うっま!」
「ぎゃあっ!?」
「なんで切るの? 見せて」
「うるさい、なんでもないっ!」
後ろから覗き込んできた幸がタブレットを奪おうと手を伸ばしてきたことで胡桃は授業が終わっていたことに気が付いた。
あれだけ長く感じた授業時間もイラストを描き始めてしまえばあっという間だった。
胡桃は大事そうにタブレットを胸に抱え走って教室を出る。
「う~……今の絶対見られちゃったよな……」
イラストを描いていたことだけなら百歩、いや二百歩譲ってまだ誤魔化しようがある。
しかし獅子戸先輩を描いていたことがもしバレていたらと考えると胡桃の鼓動は口から飛び出しそうになるのだった。
「く~る~み~、待ってよ~」
すぐ後ろを追いかけて来た幸が追い付く。
まったくこういう時はやたら足が速いんだから。
「ねえ、今の獅子戸先輩よね? 誰にも言わないから」
観念した胡桃はタブレットの電源を入れて幸に乱暴に押し付けた。
「へ~すご、まさか胡桃にこんな才能があったなんてね~、びっくり。ね、これゼロから描いてるの?」
胡桃の想像よりも幸はイラストに喰いついてきた。
幸はマンガやアニメに疎く、物語は文庫本をよく読んでいたくらいのものだったため、てっきり軽く流されるものだと思っていた。
「うん」
「どんな感じ? やってみてやってみて」
「うっとおしいなぁも~……」
胡桃は幸からタブレットを受け取ると新規ファイルを開いて適当に指でアタリを取る。
幸はそれを興味深げに覗き込みながらやっぱり聞いてきた。
「胡桃さ、獅子戸先輩のこと、よく見てるよね……あの絵もすごい細かいとこまで見ないで描いてた」
「別にデッサンのモデルにしてただけ。どうせなら美形の方がいいじゃん」
「じゃあ、ホントに好きじゃないの? なんとも思ってない?」
「うるさいな、はいもうおしまい! 休み時間終わっちゃうよ」
胡桃は幸の手を振りほどいて先に教室へ戻っていく。
幸の真剣な眼差しが少し、怖かったから。
■□■□
「う~~……あたまいたい」
その日の朝は最悪の寝覚めだった。
幸にイラストのことがバレて以来、毎日のように質問攻めにあいここ数日はイラストも満足に描けずにいた。
ストレスが蓄積して夜中に目が醒めると今度は朝方まで眠れない日が続いて、今朝はこんな状態。
「……きょう休も……えと、スマホスマホ……」
布団に入ったまま手をあちこちに伸ばし、ベッド脇のチェストの上のスマホを手探りで引き込む。
「……!! うそ! なんで!?」
その画面を見た瞬間、胡桃は布団を跳ね上げ飛び起きた。
胡桃の学校にはアプリで連絡用のクラスチャットが用意されている。
そこでは事務的な連絡だけでなく他愛のない雑談もよく投稿されるが、コミュニケーションが苦手な胡桃は欠席の連絡以外には滅多にログインしないものだ。
そこには胡桃が描いた獅子戸先輩のイラストが投稿され、多くの称賛を受けている。
投稿者は、幸だ。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。
続きも鋭意執筆中ですので、宜しくお願い致します。
ブックマーク、評価など頂ければ幸せです。




