第91話 死闘の先に
天に掲げた空色の剣を、一息に振り下ろす。
切っ先は流れるようにユウヤの左肩から入り、右の脇腹へと抜けてゆく。
手に返ってくるはずの抵抗は、ほとんど感じない。
それでも違和感に手を緩めることなく、一度に思い切り剣を振り抜いた。
『がぁァ……ぁッ……ッ!?』
ユウヤ……いや、ファクティスの苦悶の声が洞窟内に反響する。
膝から崩れ落ちる彼女を見下ろして、短く息を吐く。
……もう立ち上がる気力もないか。
切っ先を地面に突き立て、背を向けて歩き出す。
同時、洞窟内に無数に展開されていた剣の群れが、ボロボロと端から崩れ、光へ還ってゆく。
「綺麗……」
呆然とした誰かのつぶやきを聞き流しながら、舞い上がってゆく光の群れを見上げる。
まるで、洞窟内に星空が描かれるかのような幻想的な風景。
それをじっと感傷に浸るように眺めていると、ふと隣に気配を感じて視線を向けた。
「――終わったよ、マリア」
「お疲れさまでした、レオンさん」
視線の先にいたのは、ドラグに肩を貸されて立つマリア。
その少し後ろには、やれやれと肩をすくめるイヅナと師匠の姿もあった。
「レオンさん。もしかして、あの方は……――」
「ん?」
マリアのつぶやきに、首を傾げる。
その悲しげな目の先を辿ると、そこには未だに苦悶の唸り声を上げ続けるユウヤがいる。
……ああ、そういうことか。
マリアの途切れた言葉の先を思い浮かべ、その答えを口にしてやった。
「大丈夫、あのときの約束はまだちゃんと生きているから」
「え……?」
思い起こすのは、マリアと初めて出会った頃のこと。
あのとき、追手から必死に逃れながら確かに約束を交わした。
――必ず、誰も死なせない。殺さない。殺させない、と。
ただの理想論。綺麗ごと。夢物語。
だが、そんなものを追い求めてみるのも面白いと、そう思ったから俺は彼女についていこうと決めたのだ。
だから――。
「うん、大丈夫。まだ生きてるよ。あいつは、ね」
口元を緩め、力なく伏すユウヤへ再び視線を送った。
しばらく様子を窺っていると、横たわったその身体から何やら薄黒いモヤのようなものが立ち昇りはじめる。
そのモヤは空中で“モヤ溜まり”をつくると、次第に人のような形をとってゆく。
……あれは、もはや邪神だな。
邪なオーラを垂れ流しながら、こちらをじっと見据える人型と視線がぶつかる。
『よ、ク……も……、キ……サ、ま……』
声が聞こえる。
ありったけの怨嗟が込められた、低くくぐもった声。
それは明らかにユウヤのものではない。
面影こそないが、きっとこの声は……――。
『ワ、が……セ、かい……ニ……、ふヨ、ウ……な……イ、ぶン、し……ノ……、ブん、ざイ……デ……』
あのモヤの向こうに、あの偽神の影が見え隠れしている。
しばらく、殺気のこもった視線と睨み合いを続ける。
だが、その人型は何をするでもなく、ただ時間とともにその形を保てなくなったように崩れ始めた。
「ふぅ……逝ったか……」
張り詰めていた緊張の糸を緩め、同時に深く息を吐き出す。
「レオンさん、あの影はもしかして……」
ずいぶんと良くなったのか、マリアが俺の隣まで歩み寄ってくる。
「うん、ファクティスの思念……みたいなものだろう」
「……つまり、あのユウヤという転生者は“操り人形”であったと、そういうことなのですね」
彼女の憐れむかのような視線を受けながら、人型は跡形もなく消え去ってゆく。
そして、その残滓が完全に空気へ溶けて消えてしまった頃、倒れ伏したユウヤの身体がピクリと僅かな動きを見せた。
「……っ! 団長!」
その微かな動きを見逃さず、騎士団の面々が皆身体を引きずりながらユウヤのもとへ駆け寄ってゆく。
「……こ、こ……は……?」
騎士たちに背を支えられながら、ユウヤは虚ろな瞳に光を取り戻す。
しばらく焦点を合わせるように視線をさ迷わせた後、その瞳は騎士の人垣の外側にいる俺の方へ向けられた。
が、無言。何もしゃべらない。
騎士たちが生む喧騒の中、俺とユウヤの間にだけ、時が止まったかのように緩やかな時間が流れる。
……そんな時間がいったい何分の間続いただろう。
あまりにも長すぎるように感じる時間が過ぎ去った頃、ようやくユウヤが掠れた声を絞り出した。
「……おわった、のか……?」
「ああ、全部」
短く言葉を交わし、軽く頷く。
それだけを済ませると、ユウヤは騎士たちに支えられながらゆっくりと立ち上がる。
軽く怪我や意識混濁がないかを確認してから、ユウヤは騎士たちとともに俺たちの元まで歩み寄ってくる。
ボロボロだ。全身くまなく傷のない箇所はないほど。
だが、そんな満身創痍な身体とは裏腹に、彼の表情はまるで憑き物が落ちたような実にすっきりとしたものだった。
「……今まで散々迷惑をかけた、すまない」
「ふんっ、今までで一番清々しい顔しやがって」
わざとらしく肩をすくめ、せめてもの抵抗として悪態をついてやる。
すると、ユウヤは一瞬面食らったものの、すぐに嘆息して俺の仕草を真似るかのように肩をすくめてみせた。
「で、身体の調子は?」
「悪くは……いや、最悪だな。あれだけ膨大にあった恩恵の力も感じられない」
「恩恵の力が……」
その言葉を聞いて、ふと考える。
思い返せば、あの空色の剣が触れた武具は、たったそれだけのことで操作を受け付けなくなってしまっていた。
……つまり、あの剣は『恩恵の力を消し去る能力』がある、と。
自分でも無我夢中に発動した力ではあったが、まさかそんな力があったとは……。
しかし、そうなると今度はユウヤの問題だ。
「どうするつもりだ? 恩恵がなくなった今、お前は」
「……そう、だな……」
一度視線を下げ、ユウヤは考え込む。
そして、顔を上げると、彼はゆっくりとこう口にした。
「ひとまず、王都に戻る……つもりだ。何をするかまでは決めていないがね」
その宣言を聞いて、思う。もう大丈夫だろうと。
今のユウヤならば、王都に戻った後もこちらへ刺客を差し向けてくるなんて心配をする必要はないはずだ。
満足げな瞳で、洞窟の外へ歩き出すユウヤと大勢の騎士たちの背を見送る。
そうして、彼らの背も見えなくなった頃、俺は残された仲間たちを順に見渡した。
激戦の痕が見える。服も至るところが破れ、血が滲み、全身に赤い染みを残している。
それはドラグ、イヅナ、師匠、そしてマリアも、皆同じ。
まあ、俺の消耗具合も似たようなものだ。
あまりのボロボロさ加減に、つい笑いをこぼしてしまう。
「じゃあ、とりあえず戻ろうか。『精霊の森』へ――」
「「「応!」」」
声を揃え、同時に歩き出す。
世界樹と精霊たちが待つ、あの森へと。




