幕間6 予感 side.クリスティア
ここは、世界樹の足元に広がる『精霊の森』。
その一画。森の中の小路を抜けたところに建つ簡素な一軒家。
机の上からゆったりと身を起こすと、窓から差し込む光に目を細めた。
「……む、もう朝か」
変な姿勢で寝ていたせいか、微妙に節々から痛みを感じる。
凝り固まった身体をほぐしながら、椅子から立ち上がる。
机の上に視線を落とすと、書き散らした紙の山が目に入ってくる。
そのどれもが精霊や魔法、恩恵に関するもの。
だが、あまりにものたうち回った文字列は、自分が書いたものとはいえ読みづらいにもほどがある。
「はぁ、ひとまず飯にしようか」
本当は食事など忘れて研究に没頭したいのだが、どこぞのバカ弟子のせいですっかり習慣づいてしまった。
『師匠! 食事・睡眠・運動! この三つぐらいはしっかりしてください!』
いつぞや弟子に言いつけられたことを思い出す。
……本当に厄介なクセをつけさせられたものだ。
肩をすくめながら、食事をとるためにリビングへ。
先ほど突っ伏していた机同様に乱雑極まるキッチンを見て辟易していると、不意に窓の外から精霊のひとりが飛んで入ってきた。
『きんきゅー、きんきゅー!』
「ん、どうした? やけに急いでいるじゃないか」
基本、精霊という種はのんびりとした性格の者が多い。
それがこうも取り乱して大慌てなのはかなり珍しい。
『ひと! “だいじゅかい”のなかにいっぱい!』
「……む、ここに人が? それは見たことのある者か?」
『う~ん、わかんない……。でも、しらないにおい、いっぱい』
彼らが知らない匂いということは、おそらくは知らない人間だということだ。
……にしても、この大樹海にどうして精霊が見たこともない人間が?
ここは普通の人間が立ち入れるような場所ではない。
それも“いっぱい”というのは、なかなかにきな臭い。
……嫌な予感がする。
「仕方がない、私が出るとしよう」
そう告げると、棚に常備していたパンを適当に掴み、ひと齧りしてから足早に家を出た。
精霊の森と大樹海を隔てる結界を抜けてからは、少し慎重に歩を進める。
ここから先は“死の樹海”。
凶悪極まる魔物がはびこる文字通りの魔窟。
いかに『双魔』と恐れられた者とはいえ、単独では相手をしたくない魔物もここには多く存在している。
「こんな厄介ごとを持ち込んだやつには、文句のひとつでも言ってやらないと気が済まないな」
せっかくの研究時間を奪われたのだ。それぐらいの腹いせぐらい許されるだろう。
「それにしても、いささか静かすぎるか?」
魔物がはびこる樹海にしては、物音が少なすぎる。
いつもなら多少静かだったとしても、魔物どもが息をひそめる気配ぐらいは感じられるのだが、今はそれすらも一切ない。
「やはり異常事態というわけか」
これはやはり、こんな面倒ごとを持ち込んでくれた輩には全力で歓待しなければならないだろう。
いや、そうしなければ私の気持ちが一向に収まらない。
「あいつがいれば、こんな面倒ごとなど投げられるのだがね」
精霊の森を出て以降、とんと連絡が来ない。
あいつは弟子である自覚があるのか、と問いただしたくもなる。
……思い出したら少し、苛立ってきたな。
次に会った時には、いつも以上の特別訓練をつけてやらねば。
そう心に決めて、視線を再び前へ。
気持ちを切り替えつつ、手元に双剣を喚び出しておく。
いくら静かだとはいえ、魔物が襲ってこないとも限らない。
もしくは、謎の襲撃者が現れる、なんてこともあるかもしれない。
……まあ、こんな物騒な樹海の奥を訪れる自殺志願者など、滅多にいるものではないがな。
とはいえ、警戒はするべきだ。
木の幹や地面など、丁寧に視線を配りながら樹海を進む。
そうしてしばらく経った頃、ついにひとつの痕跡を見つけ、足を止めた。
見つけたのは、複数人の足跡。数は、だいたい四、五人ぐらいだろうか。
ひと際大きなものが一人。あとは一般的なものが一人に、判別がつきづらい小さめのものがおそらく二、三人といった感じだ。
このあたりは、すでに大樹海の中でも半ばを超えて、普通の人間ならば立ち入ることすら困難な場所。
そこに複数人で立ち入った痕跡が残っているというのは、なかなか奇妙な話だ。
……それに、比較的新しいな。
足跡はくっきりと残っており、上から別の痕跡に上書きされている感じも、薄れている感じもあまりない。
「闖入者はまだ近くにいる、ということか」
せっかくここまで足を運んだのだ。
その顔ぐらいは拝ませてもらおうではないか。
ようやく手がかりらしい手がかりに出会えて気分が高揚しているようだ。
自然と口の端が僅かにつり上がってくるのを感じながら、見つけた足跡の続く先を辿ってゆく。
少し進むと、野営の跡のようなものまで見つかる。
焚火をしていたのか、焦げた枝葉がそこら中に転がっている。
「ふふっ。こんな場所で野営とは、なかなか胆の据わった奴らのようだ」
こんな物騒な場所に不釣り合いな光景に、つい堪えきれない笑い声が漏れてしまう。
元々、あまり乗り気ではなかったが、少し興味が湧いてきた。
どんな連中なのか顔を拝むだけにして帰ろうと思っていたが、気が変わった。
詳しく話を聞かせてもらわなければ、私の気が収まらない。
つい口元が緩む。
これも研究者としての悪い性だ。
興味があれば、すぐのめり込んでしまう。
……さあ、何が出てくれるのやら。
踊る胸の鼓動を感じながら、さらに森を進み続ける。
そのとき、微かな音を察知し、足を止めた。
何やら、話し声のようなものがする。
それにこの気配は――。
そこまで考えた瞬間、すでに私は口元に三日月を描き、双剣を握りしめながら疾走を開始していた。
一息。たったそれだけの刹那にも等しい時間で、彼我の距離を殺す。
そして、思い切り跳び上がると、眼下で呆けた面を晒している闖入者へ向けて双剣の一撃を振り下ろしてやった。
すんでのところでその一撃を防いだ闖入者と、視線がぶつかる。
その顔を認めた瞬間、心は歓喜に打ち震えていた。
「――……ッ! 相変わらず無茶苦茶ですね、師匠……ッ!」
双剣を受け止めながら悪態をつく小僧は、しばらく見ない間に少しだけ大きくなっているように思えた。




