第67話 立ち止まる者と立ち向かう者
耳をつんざく轟音に、思わず耳を塞ぎ顔をしかめる。
「あれは……竜……? ですが、突然どこから……!?」
袋小路。大勢の騎士たちに追い詰められていたわたくしたちが仰ぎ見た空で目にしたのは、夜の闇を纏ったかのような漆黒の竜。
かの竜が咆哮の主と考えて間違いはないだろう。
この世すべての憎悪を凝縮したような双眸が、不意にこちらへ向かう。
その瞬間、背筋に走った悪寒に、身体中から冷や汗が噴き出していた。
「ヒィッ……!?」
悲鳴をあげそうになる衝動を無理やりなけなしの理性で抑えつけていると、背後から短く悲鳴があがり、そちらを一瞥。
わたくしたちを追っていたはずの騎士たちはひとり残らずこちらを向いておらず、その場で黒竜の姿を仰ぎながら瞳を絶望に染めていた。
「な、なんなんだ……あれは……?」
「し、知らねえよ! 俺は通報があったって聞いたから駆けつけただけで……」
「話が違うぞ! 罪人を捕らえるだけの簡単な仕事じゃなかったのかよ!」
阿鼻叫喚。もう誰も彼も冷静さの欠片も持ち合わせていない。
すると、その喧騒の中、どこからか規則的に流れる力強い足音が耳に届く。
直後、頭上からひとつの人影が落ち、わたくしの目の前へと着地した。
「……無事か、二人とも」
土煙の奥からやってきた声は、先ほどはぐれたはずのドラグ。
彼の立つ地面には、着地の衝撃のせいか放射状のヒビ割れが刻まれ、その周りには瓦礫が散乱していた。
「兄さん兄サン、つかぬことを聞いてもええか?」
「……手短にな」
「兄サン、どっから来たんや……?」
その質問に、ドラグは無言でわたくしたちの頭上。壁のようにそそり立つ家屋のさらに上――屋根を指さしてみせた。
「なんちゅうか、えらい頑丈やなぁ……」
それには完全に同意だ。
とはいえ、今はその並外れた頑丈さに感心している暇はない。
「ドラグさん。あれはいったい何が起こったのか、ご存じでしょうか?」
「……ああ。それを伝えるために来た」
そう前置きして、ドラグは静かな声音のままもうひとつの騒動について話し始めた。
「なるほど。突然現れたファクティス教徒。彼らの行った儀式によって召喚された、謎の黒竜。そちらではそんなことが……――」
ドラグの口から語られる騒動のあらましに、次第に眉間に力がこもってしまうのがわかる。
……まさか、この町もろともわたくしたちを葬り去ろうと企むとは。
人の道を踏み外した行為だ。
それを天啓と称して神が教徒たちに指示しているのだとすれば、それは神の行いではない。
――邪神の所業だ。
「……黒竜は今、レオンが抑えている。こちらはどうする?」
「わたくしたちは避難誘導を担当いたしましょう。こんな馬鹿げたことで誰ひとり、無辜の民の命を奪わせるわけには参りません」
「せやけど、肝心の騎士連中は……――」
イヅナの言葉に、チラリと今まで自分たちを追い回していた騎士たちの様子を窺う。
誰ひとり、先ほどまでの覇気はない。それどころか、その瞳には絶望しか映し出されていない。
……騎士たちの手を借りられなければ、住民たちの誘導は難しいかもしれませんね。
自分たちは、この町では完全に外様。
誰ともわからないわたくしたちの言葉を聞くより先に、目の前の黒竜の恐怖から我先に逃げ出してパニックを起こす可能性が高い。
そうなってしまえば、余計に全体の避難に遅れが生じてしまう。
それでは全員を救うことは叶わない――。
だから、彼らとも馴染みの深い騎士たちに協力してもらえれば……なんて考えていたのだが。
……皆、この世の終わりを見たような顔をして、目の前の理不尽を受け入れ、抵抗するつもりなんて微塵もないように――。
立ち止まって、滅びを待つようにただ空を見上げる者ばかり。
そんな状況に歯噛みしていると、黒竜の鎮座する空から新たな動きが生まれた。
「……厄介な」
ドラグのつぶやきとともに目を凝らす。
黒竜の周囲に生まれたのは、無数の黒く小さな点。
そのうちのいくつかがこちらへ向けて飛来すると、その輪郭が徐々にはっきりと映ってくる。
「子竜、ですか……!」
黒竜よりも遥かに小さな体躯ではあるが、その全身から溢れ出る禍々しいオーラは確実に黒竜と同種のもの。
それが何十体と、町の至るところへ向けて飛び立ってゆく。
「ドラグさん! イヅナさん!」
「……わかっている!」
「任せときぃッ!」
咄嗟に二人に呼びかけ、同時に二人も地面を蹴って駆け出す。
その間に、こちらは未だ呆然としてその場に座り込んでいる騎士たちに駆け寄り、全体を見下ろしながら告げた。
「立てる者は、皆立ちなさい」
「……は? 何を言って――」
「早く立ちなさいと、そう言っているのです」
わざと威圧的な口調で、騎士たちに言い放つ。
「見なさい。今、どういう状況なのかを」
どこからともなく聞こえてくる悲鳴と、家々が潰されたような破砕音。
遠くの空からは竜の咆哮が轟き、無数の子竜を相手取って精霊竜とレオンが大立ち回りを繰り広げている。
さらには、近くに子竜が落ちる音や、イヅナの叫び声も耳に届いてくる。
この場だけが、諦めを内包した静寂に包まれている。
「あなた方は何者ですか?」
「そ、それは……騎士、だが……」
「『騎士』、ですか。本当にそうでしょうか?」
「何……っ!?」
見渡し、わざと嘲るように鼻で笑ってやる。
「今、目の前の脅威に立ち向かっているのはいったい誰ですか? 守るべき民の盾にも剣にもならず、この場で恐怖に足がすくんで座り込んでいる腑抜けはいったい誰ですか? あなた方の使命は、『たった数人の女子どもを追い回した挙句、目の前の脅威に腰を抜かせてへたり込むこと』なのですか?」
「ち、ちが……っ!」
まくし立てられ、騎士たちは返す言葉を失う。
「では、『騎士』の使命とはなんですか?」
「そ、それは……!」
「自らの犠牲すらいとわず、危険から無辜の民を護るために立つ者ではないのですか? もしそうであるならば、今この場に『騎士』を名乗れる者は子竜の脅威から人々を遠ざけようと奔走するドラグさんとイヅナさん。そして、単身黒竜と対峙し、死闘を繰り広げているレオンさんしかおりません」
そこで区切り、もう一度重ねて問いかける。
「改めて問います。あなた方は何者ですか――?」
わたくしの問いに、騎士たちはその場で身をすくませつつもごくりと喉を鳴らした。
「誇りを持つ者は、立ちなさい! 恐怖を押し殺してでも、立ち向かって見せなさい! あなた方が真に『騎士』だと言うのであれば、その肩書きと誇りに恥じない働きを見せなさい!」
思い切り肺に息を吸い込み、全力で言葉に変えて吐き出す。
騎士たちを叱咤するように。「前へ進め」と、その背中を思い切り蹴り飛ばすように。
「――立って、行きなさい。この町とそこに住まう民を、そしてあなた方の騎士の矜持を守るために!」




