第65話 絶望との対峙
遥か高みから降下してきたその黒竜は、地面に足をつけることはなく、なぜか俺の頭上でピタリと動きを止めた。
『rrrrrrrrrr……』
さっきの対象へと根源的な恐怖を刻み込むような激しい咆哮ではなく、今聞こえてくるのは低く静かな唸りのみ。
あんなに誇示するように広げていたその双翼も、降下とともに身体を包み込むように折りたたまれていって、今はどこか姿を覆い隠す外套のようにも見える。
……なんていうか『孵化前のサナギ』みたいだな。
産声を上げた黒竜だが、実はまだ完全なる覚醒には至っていないんじゃないのか。
そんな考えが頭をよぎる。
「なら、今叩くべき……だよな……?」
ためらいがちにそう口にするが、本当にその推測が事実だとするならば、あまりゆっくりもしていられないだろう。
今はその推測を事実だと信じ、腹を括って、腰の長剣を抜き放った。
「行こうか。さあ、竜退治だ――」
自身を無理やり奮い立たせ、頭上の黒竜を睨みつける。
遥か天空より降りてきたとはいえ、未だ俺の剣が届くような距離ではない。
ならば、どうすればいいか。答えは簡単だ。
――その場所へ送り届けてくれる者を呼べばいい。
口の端を僅かに上げ、空へ『閃光』の魔法を放つ。
一瞬遅れて、中空で弾ける光。
その直後、俺の背後の空から聞き覚えのある咆哮が轟いた。
『……レオン。お前はどうしてこうも厄介な場面で呼びつけてくれるのだ』
頭上から降ってくる声。
その声に視線を上げると、そこには細長い体躯で見覚えのある竜――精霊竜が心底嫌そうな表情で佇んでいた。
「それはまあ、悪いとは思っているよ。……ほんの少しは」
『お前というやつは……』
呆れられつつも、一応、ごめんと手を合わせておく。
『して、今回は何用か? 奴と一戦交えろ、などとは言わぬな?』
「ああ、それは安心してほしい。そんな危険なことじゃない」
『ならば、何をしろと?』
「あの場所に連れて行ってくれさえすればいい。簡単だろ?」
『はぁ、それが無茶なことだと……』
もう言葉も出ない、という風に精霊竜は特大のため息を吐きつけてくる。
だが、ここで議論している暇なんてもちろんあるはずもない。
精霊竜もそれがわかっているのか、さして抵抗も見せずに、「乗れ」というように無言で自身の背をスッと差し出してきた。
背に跨り、準備は大丈夫か確認するように一度頷き合ってから空へ上がる。
……魔力の嵐が想像以上に激しいな。
やはり地上よりも黒竜に近いせいか、少し地面から離れただけなのにあまりに苛烈な力の奔流に呑まれそうになる。
「これで完全覚醒に至っていないかも……って話なんだから、ホント笑えないよなぁ……」
今にも引き返したい気持ちを抑えつけながら、さらに高度を上げてゆく。
そして、黒竜と同じ高さに達しようとしたその瞬間、奴の深紅の双眸が再び怪しい光を放った。
『……ぬ、小癪な真似を』
直後、展開されたのは視界を埋め尽くすほど膨大な数の魔法陣。
その中から次々と姿を現したのは、同じく黒塗りの鱗を身に纏った子竜たちだった。
「これはこれは、なかなか手厚いご歓待で……」
ざっと数えただけでも、百は下らない。
しかも、子竜とはいえ、滲み出るオーラはそこいらの木っ端魔物とは格が違う。
一応、精霊竜の手も借りればものの数分で片づけられる程度ではあるが――。
……今はその僅かな時間が惜しい。
黒竜はよくわかっている。
態勢の整っていない今、自らの元まで辿り着かれ痛手を負ってしまうと目的を完遂させられない可能性が出てくる。
だからこそ、時間稼ぎをするべく配下である大量の子竜を喚び出したのだ。
「……これだから知能の高い魔物相手は嫌なんだ」
少し悪態をつきながらも、すぐに気を持ち直して飛来する子竜たちを迎え撃つ。
「悪いけど、雑魚散らしは手伝ってもらえるかな?」
『構わん。その程度ならば請け負おう』
「じゃあ、一緒に……――」
言いながら、剣を背後へ大きく振りかぶる。
合わせて、息を吸い込む精霊竜。
次の瞬間、二人が動いたと同時、まるで爆発するような衝撃が大気を走り抜けた。
次々と暴風に呑み込まれてゆく子竜たち。
数秒して、風が凪ぐ。さっきまで視界を埋め尽くさんばかりに飛び回っていた子竜の数は、たった一撃でその三割以上を減らしていた。
「さすがに半分は減らないか」
高望みしすぎだとも思うが、少し予想よりも減りが悪い。
それだけ子竜たちがこちらの想定以上に頑丈だということだろうか。
だが、どちらにせよこの威力で減らせる数は把握した。
ならば、全員を撃墜するまでこれを繰り返すだけで……――。
そう考えた刹那、また黒竜の瞳が怪しく光り輝いた。
『む……?』
それでも構わず、立て続けに第二撃を放つ。
しかし、その攻撃はほとんどの子竜を巻き込むことなく、ただ虚空へと消えてゆく。
理由は単純。攻撃の直前、的を絞らせないように子竜が散開したからだ。
……原因は、あの黒竜の赤い眼光か。
あの光が放たれた直後から、急に子竜たちの動きに緩慢さが消えた。
まるで、黒竜が放つ眼光によって指示を飛ばしているかのよう。
それが事実だとすれば、厄介にすぎる。
「面倒だけど、一体一体確実に葬り去るしかなさそうだ。手伝ってくれるかい?」
『……ふんっ。やはりお前に呼ばれるとロクなことにならぬな』
「いやぁ、俺のせいじゃないと思いたいんだけどなぁ……っと!」
頭を掻きながら、精霊竜の背を蹴って宙で長剣をひと薙ぎ。
俺が飛び出したのを確認してから、精霊竜も尻尾を鞭のようにしならせて子竜たちを薙ぎ倒してゆく。
それも、自由に空を飛べない俺の足場となるために、細かな移動も繰り返しながら。
態度は素っ気ないし口も若干悪いが、実はかなり気が利くのだ。
と、そんなことを考えている間に、続々と討ち取られた子竜が地面へ墜落していっている。
残る数は、だいたい二十体に満たない程度。
これなら黒竜に届くかも……――。
そんな甘い考えが思考の片隅を掠めた瞬間だった。
『グルrrrrrrォォォォォォ――ッ!!』
破滅の訪れを告げる咆哮が、暗雲立ち込める空を塗り潰すかのように轟いた。




