第59話 上に立つ者としての覚悟
「ま、待ってください、レオンさん!」
鋭く発せられた甲高い声に、鎌首をもたげる。
「……マリア」
どうして止めるのか。
そんな意思を籠めて、マリアへ視線をぶつける。
一瞬、視線に射すくめられたマリアだったが、すぐに気を取り直して一歩こちらへ踏み出してきた。
「レオンさん、その手を引いてください」
「なぜ? こいつはここで終わらせておいた方がいいだろう?」
北域での亜人種誘拐事件の首謀者、リオネル・アゼマ男爵。
彼も人道にもとる行為に手を染めていた。
しかし、俺は奴を手にかけることはしなかった。
それは単純に、その価値がなかったからだ。
……どうせ、あのまま生き永らえたところで、あの貴族は何もできない。
それに、マリアが手をかけることを望まなかったから、というのもある。
――だが、こいつは違う。
アンゼルムの貴族としての階級は侯爵。男爵なんていう木っ端貴族とは違い、よりこの国の中枢に近い存在だ。
となれば、この程度の事件揉み消すなど容易い。
「ここでこいつの命を絶っておかないと、また次の被害者が増えるだけだ。あの森の奥で出会った皆みたいにな」
それでも、こいつの命を救うのか。
そう問いかけるように、じっとマリアの言葉を待つ。
……我ながら、随分と意地の悪い質問だよ、ほんと。
今、俺はこう問いかけているのだ。
――お前は『自分の信念なんていう綺麗ごとを貫いて悪をのさばらせるのか』。それとも『悪を滅ぼすために、自らも血に塗れる覚悟があるのか』と。
実際、どちらを選んでも構わない。
前者ならば、次の被害者が生まれる前に次こそ息の根を止めればいい。
後者ならば、このままこの剣を振り抜けば、それでいい。
だから、どっちなのか、と視線に乗せて問う。
しばらくの沈黙……。
その後、マリアはこう宣言した。
「剣を引きなさい、レオン」
……やはり、甘い考えを捨てられなかったのか。
そう思って肩をすくめ、アンゼルムの首筋に置いた剣を離す。
が、マリアはなぜかその剣を受け取るように手を差し出してきた。
「代わりに、わたくしが手を下します。直接、この手で――」
剣を手に取り、今度はマリアがアンゼルムの首元に剣を置く。
しかし、その手は震えている。
「できるのか? 君に」
彼女の震える小さな背中に問いかける。
マリアは答えない。
じっと押し黙ったまま、ただアンゼルムを見下ろし続ける。
しばらく経った後、マリアはようやく口を開き、小さな声を漏らした。
「……アンゼルム卿、何か言い残すことはありますか?」
必死に絞り出したか細い声。
その問いに、アンゼルムは虚空を見つめながら呆然とつぶやいた。
「ひとつ、いいでしょうか、マリア王女……」
「ええ、好きになさい」
「……私は、どこで道を踏み外してしまったのでしょうか」
「それは……」
答えに窮するマリアをおいて、アンゼルムはなおも続ける。
「ただ、恩恵が生む差別に苦しむ者たちを、少しでも救うことができたらと……。そう、思っていただけ、だったはず……なのに……」
「……ええ、だからこそわたくしは、あなたを協力者に選んだのです」
一瞬の静寂。
そして、アンゼルムは目を閉じ、短く息を吐いた。
「申し訳ございません。あなたをお守りするはずの私が、あなたに重責を背負わせてしまうことに……」
「いいえ、むしろ感謝します、アンゼルム・ヒューブナー。あなたのおかげで、わたくしは自身の甘さに気づくことができました」
冷たく言い放つも、声の震えは消えることがない。
それでも為政者としての佇まいを必死に保ちながら、剣を天へと振り上げる。
「……せめて、安らかに」
願うように口にして、剣を振り下ろす。
次の瞬間、首と胴を分かたれたアンゼルムは動きを止め、硬い地面の上で横たわる。
それを見下ろすマリアの横顔は、とても寂しそうに見えた。
「マリア……」
「……レオンさん、これはお返しします」
小さな背中に声をかけると、返事の代わりに振り向きながら剣を返してくる。
「これの後始末を頼みます。わたくしは皆を解放してまいります」
言って、マリアは被害者たちの捕らえられている牢の方へと歩き出す。
……ずいぶんと無理をしているみたいだな。
被害者たちを牢の中から助け出している彼女の背中は、心なしかどこか痛々しく映ってしまう。
「っと、俺もこっちをそろそろ片づけないとな」
とはいえ、マリアにばかり気を取られてはいられない。
こっちもこっちの仕事がある。まずはそれを片づけてからにしよう。
手のひらに炎を生み出し、アンゼルムを燃やさんと向き合う。
……まあ、満足そうな顔してくれちゃって……。
手向けるように炎を眠るアンゼルムへ差し出しながら、心の中で悪態をつく。
あれだけの残虐な行為に手を染めていた者とは思えないほど、いやに清々しく安らかな寝顔だ。
こんな顔を見てしまうと、思う。
「結果的に、マリアが手を下したのは間違いじゃなかったってことかな……」
きっと、俺があのまま彼の命を終わらせていれば、こんな安らかな表情で眠ることはなかっただろう。
なら、マリアはアンゼルムを救った、ということなのかもしれない。
……代わりに本人の心が犠牲になってちゃ意味がないけどな。
燃えゆくアンゼルムの向こうに目をやると、もうほとんどの被害者たちは牢の外へ出て、マリアは動けない者の介抱をしている。
解放されたはいいが、皆どうしていいのかわからず、ただ立ち尽くすばかり。
皆を先導しようと一歩踏み出した瞬間、マリアが立ち上がって口を開いた。
「皆さん、聞いてください。わたくしはこの国の第二王女、マリアと申します」
名乗りに、皆がざわつくのがわかる。
が、マリアはお構いなしに言葉を続けてゆく。
「これから皆さんと、王都の外へ向かいます。そこからは時間がかかりますが、ひとりひとりご家族のもとまでお連れすることを約束します」
「……どうして、そこまで?」
不思議そうな皆の視線を一身に受けながら、マリアは一瞬こちらを一瞥。
そして、一度頷くと、皆に向けて告げた。
「あなた方のご家族から託された……というのもあります。しかし、それ以上にわたくしはあなた方をこんな目に遭わせたこの国の腐敗を許せない。理不尽な差別を生む、この不条理を許せない」
言いながら怒りに握ったこぶしを僅かに震わせ、唇を噛む。
「ですが、このような国の腐敗を生んでしまった王家の者であるわたくしのことを、口先だけで信用するなど出来るはずもないでしょう」
だから、と続ける。
まっすぐな瞳で。もう折れないという確かな覚悟を宿しながら。
「――あなた方にはしかと目に焼きつけてほしいのです。わたくしがこの国を変革する、その様を」




