第55話 既視感と邂逅
大扉の隙間から慎重に身体を滑り込ませた俺たちを待ち受けていたのは、人の気配ひとつない薄暗い礼拝堂だった。
「……イヅナさんたちの姿が、見えませんね」
マリアのつぶやきを受け、礼拝堂の中を見渡す。
明かりの姿は見えず、この礼拝堂内を照らすのは遥か頭上から落ちるガラス越しの月光のみ。
夜更けということもあって、当然教徒の姿も神父の姿も見えやしない。
……でも、ここへイヅナたちが運び込まれたのは事実。なら――。
目を閉じ、必要な感覚以外をすべて削ぎ落す。
今、必要なのはイヅナの魔力を感じ取ること、それ以外の情報は必要ない。
徐々に脳に回ってくる情報が失われ、世界にひとりだけ取り残されたような感覚だけが残ってゆく。
次の瞬間、何も見えていないはずの瞼の裏。そこに淡い光の帯が映り込んだ。
「――見つけた」
ゆったりと目を開けると、その短いつぶやきに隣でマリアは首を傾げている。
しかし、そんなことは気にも留めず、未だ脳裏に焼きついたままの光の帯を辿ってゆく。
そうして壁に掛けられた十字架の真下まで来たところで、足を止めた。
「この下だな」
「え、下? しかし、そこに階段などは……――」
「いや、あるよ」
短く答え、壁の一部に手をかざす。
すると、その直後、足元の床の一部が重い音を立てながらゆっくりと動き出した。
「こ、これは……!」
「特定の魔力にだけ反応して出現する隠し通路、かな」
さっき触った壁面には、一部分だけ不自然な魔力の残滓が見えていた。
その残滓を模倣し増幅させてやったら、連動していた床の一部がズレて、隠れていた階段が姿を見せたということだ。
……ここまで簡単にいくとは思わなかったけど。
ちょっと拍子抜けに思えながらも、呆然と立ち尽くすマリアへ片手を差し出して見せる。
「じゃあ、行こうか。ワガママな巫女様がそろそろ我慢の限界を迎える頃だろうし」
「……ええ、いつまでもお待たせするわけにはいきませんからね」
肩をすくめ、マリアが手を取る。
そして、そのままエスコートするようにしてさらに深い闇へ包まれる地下空間へと一歩ずつ丁寧に踏み出していった。
階段を踏みしめるように下りてゆく中、手を引く感触が急に重くなり、足を止める。
「す、すみません。足元が見えづらくて……」
たしかに、この暗闇の中ではちょっとの段差だけでも怖いだろう。
「じゃあ、これでどうかな?」
マリアから手を離し、彼女の目元に手のひらをかざす。
そして、魔力を流してやった直後、マリアが短く声をあげた。
「あっ……!?」
「ちゃんと見えるようになったか?」
「は、はい。突然、周りが明るくなったような……」
「目に『暗視』の魔法をかけておいたから、もう大丈夫なはずだ」
「ありがとうございます、レオンさん……!」
マリアの身体の微かな震えがなくなっていることを確認してから、再び先へ足を進めてゆく。
そして、マリアの呼吸と二人の足音だけが響く時間がしばらく過ぎた後、ついに俺たちは開けた場所にたどり着いた――。
「ここは……」
視線を回すと、まず目に入ってくるのは壁際に並べられた鉄の檻と、その中に倒れ伏すおびただしい数の人間たち。
その身体にはいくつもの傷と縫合の痕跡が残されている。
……実験動物ってところかな。
好き勝手に切り刻まれた挙句、用済みとなれば息絶えていようといなくとも適当な檻の中に捨てられ、命が果てるその瞬間まで放置される。
たとえ実験動物だとしても、扱いが酷すぎる。
「……レオンさん。ここはもしかして――」
「――ああ、北域のあの屋敷とそっくりだな、ここは」
王より北域を任されていた代官リオネル・アゼマ男爵。
彼が亜人の集落で起こしていた誘拐事件の解決に乗り出した際、俺たちは屋敷の地下に存在する実験施設のような場所を目にしていた。
今、俺たちの目の前にあるこの場所は、その施設と瓜二つだった。
「ということは、この場所の主も弱者を食い物にして……」
隣から歯をギリッと強く食いしばる音が聞こえてくる。
しかし、今この光景にどれだけ心を痛めて、怒りを覚えても、何も変わらない。
少しだけ先を急ぐようにマリアに目配せをした後、さらに奥へと足を進めた。
……運び込んだイヅナたちは、手前の牢じゃないのか?
奥へ進めば進むほど、自分の中の違和感が徐々にその存在感を増してゆくのがわかる。
生きている人間がひとりとしていないのだ。
まるで、手前のエリアはゴミ捨て場のような――。
そこまで考えた瞬間、自分の考えに身震いを覚え、ふと足を止める。
「……レオンさん?」
よく考えてみれば、たしかに手前の牢の中からは声や呼吸の音どころか、些細な衣擦れの音ですら聞こえてくる気配がなかった。
……ってことは、あの場所に積み上げられていた人たちはもう……――。
「いや、なんでもない。先を急ごう」
たとえこの推測が正しかったとして、何になるというのだ。
それよりも今は、イヅナや彼女と一緒に運び込まれた被害者たちを救出することが最優先。
ついでに、黒幕の顔も拝めればなお良しだ。
もの言いたげなマリアからの視線を感じつつも、また足を動かし始める。
――と、そのときだった。
「……す……け、て」
微かに耳に届いたその掠れた声に、マリアが大きく目を見開いて、すぐに駆け出していった。
「マリア……ッ!」
咄嗟に呼び止めようとするが、すでに彼女は走り出した後。
視線を先に向けると、彼女の向かう先には幾人かの人影がうっすらと闇の中に滲んで見える。
「くそっ……!」
心の中で「面倒な……」と悪態をつきながら、マリアの横を通り過ごして人影のある方を目指して一直線に駆け抜ける。
その人影が俺の姿を捉えられたのは、すでに懐と呼べる距離まで踏み込めた時だった。
「なっ、貴様は……!」
「――名乗りは割愛させてもらうよ。急いでいるんでね」
腰に佩いた剣を抜く暇すら与えず、まずは一番近い相手の顎を真下から掌底で打ち据える。
続けざまにもうひとり、今度は鼻頭へ肘を叩き込み、めり込ませる。
「まさか、侵入者……!?」
「さあ、それはどうだろう……なッ!」
「かはっ!?」
目を剥きながら剣を抜く相手には、身体の回転を利用した蹴りを鳩尾へ。
さらにその後ろから迫ってくる相手には、足元で気絶している敵を蹴り飛ばしてやり、その隙に背後から急襲。
そんなことを何回か繰り返した頃、ようやくこの場に立つ者は俺ただひとりとなった。
「す、すみません、レオンさん。先走ってしまい……」
「いや、大丈夫。それより、囚われている人たちの救出を――」
そこまで口にした瞬間、背後に強烈な気配を感じて全力で振り向いた。
「被検体が運び込まれたとは聞いていたのですが……。そう、あなた方まで紛れ込んでおりましたか」
「……誰だ?」
闇のベールに包まれ、顔はよく見えない。
が、この渋い声音はある程度年齢を重ねた男性の声だ。
「ああ、君とは初対面でしたね。ですが、そちらの彼女であれば、よく理解しているのではないですか? そうですよね、マリア王女殿下」
「どうして、あなたが……――アンゼルム・ヒューブナー侯爵」
マリアの口から飛び出したのは、彼女の協力者の名だった。




