第36話 助ける理由
「う、海の向こう――オラティオーの島付近に、巨大な魔物の影が現れました!」
亜人種の集落にたどり着いた俺たちを待っていた長老のセリフに、驚いて目を見開いた。
「そんな……っ!」
悲鳴にも似た声を上げて、マリアが海岸線へと走る。
その背を追いかけてゆくと、自分の視界にも黒い影が映り込んできた。
「どうして霧の先に、魔物の影が……」
呆然とするマリアの隣に並び、黒い影に目を凝らす。
確かに、魔物らしき影は霧の向こう側。
だが、あの霧は侵入者を防ぐ効果があったはずだ。
それは魔物相手でも例外じゃない。
あの島の警備の薄さがその証明だ。
……なのに、どうしてあんな巨大な魔物が簡単に霧の内側に?
眉間にしわを寄せつつ、霧がかかってぼんやりとしたシルエットを睨みつける。
「大量の腕……いや、触手かな」
おそらく、巨大なイカのような魔物だろう。
だが、正体がわかったところでこちら側から手出しができるような距離じゃない。
それを理解したのか、マリアは急に白波が立つ海へ向かって力強く一歩を踏み出した。
「――ちょっと待った」
だが、彼女を走りを肩に添えられた俺の手が止めた。
「……っ!? レオンさん、どうして止めるのですか!?」
必死の形相で振り向くマリア。
その表情から、肩を手で押さえていないと今にも飛び出してしまいそうな危うさを感じた。
「離してください! 今すぐに彼らを助けに行かなければ……っ!」
「ちょっと落ち着け、マリア」
「これが落ち着いていられますか! 彼らには『必ず守る』という誓いを立てたのです! だから今すぐに駆けつけなければ――」
……ダメだ。まったく周りが見えていない。
自分に戦うすべがないとか、何かの罠かもしれないだとか、そんなことはひとつとして見えていない。
ただ、今の彼女の中にあるのは、『今度こそ約束を果たさなければ』という使命感と焦燥感のみ。
――だから、告げた。彼女の心の傷口を抉るその言葉を。
「その誓いすら、拒絶されたというのにか?」
「……っ!」
返事に詰まるマリア。
彼女の言葉が止まった瞬間に、今度はこちらから畳みかける。
「それよりも、マリア。君はこの国の民を守るんだろう? なら、今やるべきことは、あの巨大な魔物がこちら側へ来てもいいよう、この海岸線へ戦力を結集させることなんじゃないのか?」
責めるかのような鋭い言葉に、一瞬マリアがたじろぐ。
そこへさらに言葉を投げつける。
「そもそも君が駆けつけて何になる? 君は非戦闘員だ。さっき言ったばかりじゃないか、『君は君の言葉で戦うべきだ』って。その言葉で、君はオラティオーたちを救えるのか?」
「それは……」
正直、かなり酷なことを言っているのはわかっている。
それでも彼女の言う“理想の国”をつくるためには、亜人種という協力者たちを失うことの方がかなりの痛手となる。
……我ながら、非道で冷酷な考えだな。
自分の冷ややかな思考に嫌気が差しつつも、マリアをまっすぐ見据える。
すると、一瞬はひるんだかに見えたマリアが、こちらを力強く視線を返していた。
「いいえ、わたくしの言葉では、あの魔物を倒すことはできないでしょう」
「……なら、どうしてあの島へ行くんだ? 勝算も何もないのに」
「そんなもの決まっているでしょう?」
そう前置きすると、俺の問いかけにマリアは覚悟を秘めた言葉で返した。
「――わたくしの描く、『誰ひとり不当に傷つくことなく、真に平等を実現した理想の国』。そこには彼らの姿もあるからです」
さっきまでと打って変わって、その瞳に揺らぎはない。
彼女はただじっと、王の風格をもってそこに立っていた。
「この国において、誰かの命を理不尽に奪われること。それはこのわたくしが許しません」
そして、マリアは告げる。
「レオン・エッジワース。ナイトレイ王国第二王女マリア・フォン・エアハートの名において命じます。――あの魔物という名の理不尽から、未来の臣民であるオラティオーの民たちを護りなさい」
もう心は決まっていたようだ。
諦めをため息とともに吐き出し、頭を掻く。
「だ、ダメでしょうか……?」
「……そこで弱気になってちゃ、格好がつかないだろ」
また不安そうで弱気な目に戻ったマリアを見て、もう一度ため息。
マリアは未来の王としての資質を見せた。
なら、彼女の助けになるという誓いを立てた俺も、腹をくくらなければならないだろう。
「仰せのままに、マリア・フォン・エアハート第二王女殿下」
……さあ、ここから先は俺が実力を示す番だ。
◇ ◆ ◆ ◇
そのまま船着き場へ駆け込むと、すでに小舟に乗り込んで準備を済ませているドラグの姿が目に映った。
「……乗れ。行くんだろう?」
「はいっ! 連れて行ってください、あの霧の向こうまで!」
「はぁ……行かないってなっていたらどうするつもりだったんだろうな……」
準備が良すぎるドラグと、それに呼応するようにやけに高揚して声を張り上げるマリアを見て、また肩をすくめる。
「やはり行かれるのですか……?」
「……ええ、まあ」
不安そうな長老の顔を見て、微妙な表情を返す。
ただ、すぐに表情を険しくすると、亜人種全体への指示を伝えておく。
「念のため、海岸線の警備を。それもできる限り多く。俺たちが失敗すれば、次に狙われるのはおそらくここになる」
「かしこまりました。大陸側の守備はお任せください。ただちに戦闘系に秀でた亜人たちを集めてまいります」
それだけを頼むと、準備が整ったようで小舟が微速で動き出す。
「では、お二人とも。どうかご無事で……!」
長老の見送りを背に、俺たちは荒れる海へと漕ぎ出した。
とはいえ、オラティオー自治区までの距離はそれほど遠くはない。
少しの間、荒波をしのぎさえすればすぐに上陸できるはずだ。
「とんでもない大きさですね、あの魔物は……」
マリアの独り言を聞きながら、徐々に近づいてくる巨大な影を見上げる。
……ここまでの大きさの魔物は大樹海にもいなかったな。
あそこの魔物は種類も多く、巨大な魔物だって何体も棲みついていた。
しかし、眼前のこの魔物はその比じゃない。
まるで威嚇するように多数の触手を広げるその影は、島の半分を覆いそうなほどまでに広がっている。
「……これと戦わなければならないのですね、わたくしたちは」
「怖気づいたか、マリア?」
「いえ、レオンさんならなんとかできると、そう信じておりますから」
どこか他人任せにも聞こえるマリアのセリフに、思わず笑みが漏れる。
同時に、小舟が霧の中へと侵入してゆく。
もう、魔物は目と鼻の先。
わずかに腰を浮かすと、剣の柄に手をかけながらマリアを一瞥した。
「なら、魔物は俺がなんとかしよう。だから、マリアはあの頑固で聞き分けのない島民の方をなんとかしてくれ」
最後に口の端を少し上げて、小舟から跳躍する。
「え、ちょっ……レオンさん! ここまだ海の上で……――」
マリアの悲鳴のような甲高い声を背に、俺は海面に着地した。
「えっ!? う、海を歩いて……え、えぇっ!?」
精霊の力を借り、海面と足の間の空気を圧縮して足場を生成。
それを何度も繰り返すことで魔物のせいで荒れ狂う海面をものともせずに、敵の元へと駆け抜ける。
そして、ついに俺はその敵との邂逅を果たしたのだった。




