第26話 卑劣な貴族には鉄槌を
「――これはまた、随分と可愛らしいネズミが紛れ込んだものだ」
振り向いたそこに立つのは、この屋敷の主。
「リオネル・アゼマ……!」
「男爵をつけたまえよ、亜人の小娘」
敬称をつけなかったことへの不満か、男爵は少し顔をしかめる。
「狐耳……。なるほど、私の周りを這いまわっていたネズミとは、亜人の長老から紹介を受けた小娘だったか」
こちらの偽りの獣耳をじっと見つめながら、肩をすくめる。
「……まったく、ここを暴こうとさえしなければもう少しは長生きできたものを」
後ろに控える側近たちに顎で指示を出すと、わたくしの首元へ切っ先を向けるようにして、側近の男がひとり近づいてくる。
「あなたはいったい、ここで何を……!?」
問うと、男爵は「ふむ……」と考えるような仕草をとる。
「……いいだろう。ついてきたまえ」
先導するように、男爵は歩き出す。
それに合わせて首元の剣がさらに近づけられ、「早く歩け」と言わんばかりに急かしてくる。
抵抗しようにも、レオンさんも精霊たちもいない。
ここにはわたくし、ただ一人。
だから、ひとつ覚悟を決めて歩き出した。
――せめて、この地下室の秘密ぐらいは暴いてから死んでやる、と。
◇ ◆ ◆ ◇
薄暗い鉄の臭いが充満する地下室を奥へと進んで、しばらく経った。
どこまで進もうとも、相も変わらず王都の地下牢にそっくりで嫌になる。
首元に切っ先を突きつけられている状況なら、なおさらだ。
けれど、わたくしは目を背けることなく、ひとつひとつを目に焼きつけてゆく。
それだけが、今の自分にできる精一杯だ。
「して、君は亜人の長老に何と唆されて入り込んできたのだ? 『我らが同胞を救い出すための犠牲となって~』なんてところか? あの老いぼれならそう口にしても不思議ではないが」
先導する男爵は、時々こうして嘲るような口調で探りを入れてくる。
……完全に長老から指示されたものだと思い込んでいますね。
わたくしたちの正体がバレていないことに安堵を覚えながらも、余計なことを話してしまわないように口を噤む。
「……ふんっ。無駄な抵抗をするものだ」
面白くなさそうに鼻を鳴らすと、さらに奥へと進んでゆく。
「さあ、ここが君への『答え』だ――」
そして、ついにその場所にたどり着いた。
「これは、女神の像……?」
突如、眼前に現れたのは、わたくしの背丈の倍以上はある白い女神の神像。
その足元には簡素な祭壇が設置されている。
こういった造りの祭壇には見覚えがある。
「――ファクティス教の、祭壇」
そうだ、と満足げに男爵は頷く。
この国では、どの町でも見られるものだ。
しかし、ここ北域においては違和感がある。
……どうして精霊信仰の根強いこの北域の地に、こんなものが?
亜人種の集落で目にした祭壇には、精霊を模した像が置かれていたはずだ。
疑問で思考がぐちゃぐちゃになり、頭が痛くなってくる。
すると、その疑問の答えを、男爵はいともたやすく口にした。
「そう。実験だよ、実験」
「じっけん……?」
言っている意味がわからない。
怪訝な表情を浮かべるわたくしを見て、男爵は嗜虐的な笑みを浮かべた。
「なに、一度ぐらい考えたことはあるだろう。精霊を信仰する不心得者どもの脳みそを弄りまわして、女神様を信仰するよう記憶を書き換えてやれば、いったいどうなるのだろうなぁ?」
あまりに非人道的なことを口にする男爵に、言葉を失う。
「まさか、そのために亜人たちを攫っているのですか……ッ!?」
「ご明察。とはいえ、本来はもっと小規模な人攫いをするはずだったものが、気がつけば、こんなにも大事になってしまったというのは大誤算だったがね」
「気がつけば……?」
「ああ、ついつい興が乗ってしまってね。のめり込みすぎてしまうのが、私の悪い癖なのだよ」
……何を言っているのですか、この男は?
「しかし、それに関しては亜人側にも落ち度はある。こちらの想定以上に脆すぎるのがいけないのだよ。だからこうして何度も何度も攫わねばならなくなるのだ」
頭が真っ白になり、何を言っているのかわからない。
耳には届いているはずなのに、その言葉を理解できない。
わたくしには目の前で声を上げて嗤うこの男が、自分と同じ人間ではないように見えた。
「さあ、本日の講義はこの程度としておこう」
パンッ、と手を叩き、男爵は元の人当たりの良い笑みを取り戻す。
「――では、始末したまえ」
柔らかな表情とは裏腹の、冷徹な声音。
それ同時に側近の男が、無表情のまま剣の切っ先を突き出してきた。
眼前に迫る切っ先に背筋が凍りそうになりながら、喉を鳴らす。
「……こんなことをして、本当にバレないとでも思っているのですか?」
「ふふっ、珍妙な質問をするものだね」
「なんですって……?」
「誰に知られようと、何だと言うのだね! 私たちは神から恩恵を授かりし人間で、君らは下等で下賤な亜人風情! 君らがどれだけ喚こうが、誰もその言葉を信じやしない!」
男爵の高笑いに、思わず言葉を失う。
この男は、こうして何度も事件を揉み消してきたのだろう。
男爵の顔は、狂気に歪みきっていた。
「さあ、殺れ! その細首に切っ先を突き通し、貫いた喉元を抉り、その獣耳を斬り落とし、我らが神に捧げようではないかッ!」
先ほどまでの穏やかな表情から一変。
今の彼の目には、信奉する神の姿しか映ってはいなかった。
「さあ! さあッ!」
男爵に煽り立てられ、徐々に切っ先が喉元に迫ってくる。
もう、逃げ場はない。
……レオンさん、後はお願いします。
目を閉じ、これから訪れるであろう激痛に備える。
と、そのときだった――。
「はぁ、本当に無計画すぎるだろ、君は……」
聞き慣れた声。
恐る恐る目を開くと、そこには呆れた表情で頭を掻くレオンさんの姿があった。
「貴様、いったいどこから……ッ!?」
「すまないけど、このネズミはうちの仲間なんだ。返してもらうよ?」
狼狽する側近を蹴り飛ばし、レオンさんは少しおどけたような口調で笑う。
彼の言葉に、一気にこの場の緊張感が高まった。
「……貴様、もしや『暗殺者』の恩恵持ちか?」
「本当に、この国の人間は口を開けば恩恵、恩恵って……」
それしか頭がないのか、と言わんばかりの態度で肩をすくめる。
「それにしても、リオネル・アゼマ男爵。あんたは随分と側近づかいが荒いようだ」
「何を言って……?」
その瞬間、ドサッと人が崩れ落ちるような音が連続して耳に届いた。
「――ほら見てみろ。皆、一刻も早く眠りたいそうだ」
顔を真っ白に染める男爵に対して、レオンさんは口の端の片側を大きく吊り上げた。




