八 だっだっだ、うおお、テンプレじゃない、蛹になって本格ファンタジー
♪ざまぁとか令嬢とか全部くだらない、がっかりするだけダメを知るだけ、あたし馬鹿ね太宰女生徒じゃん、でーででつつでで、ででつくでででー、びぼぼぼ↑ぼぼぼぼ↓てけてけてけきゅうー、ずっつくたっく、ずっつくたっく、YEAHー。
どうもー稲葉な白ウサギことザヴァみ感くんでーす。ぜんぜんだいじょばないけど大丈夫だったー? 出だしとか。滑ってませんかー。※ゆびをふる ブラジルの皆さん聞こえますかー。バシッ。いってーなぁ、エッセイ書いてんじゃん。ミサトさんが歌えっていったんじゃ(中略)アスカー、綾波ーーーっ。
いいとして。さあーやっていこうじゃねーか、ひうぃご、かもっ。まあね、僕くらいになればテンプレとか本格ファンタジーなんていうものよりまずね。
ベデ。 ※何それ聞いたことないんだけど ※B・D、バンド・デシネという様式美のこと
実際まだエッセイで書いたことないじゃないですか。僕のコアな固定ファンの読者様はもうすでにご存じだとして。なもんで簡潔にわかりやすく語っていくぅー。
真祖たるエンキ・ビラルというフランスの一大芸術家、漫画家でも映画監督でもある彼の表現こそまさに源流オブ源流でして。
代表作の「モンスターの眠り」や「ティコ・ムーン」を二十歳って時期に高いお金を出して購入し読んだものですわー。非常にヴィヴィッドなカラーズでして。彼の作品だなーってのがもう表紙から、今風にいえばサムネからすらわかるっていう。
あの有名な「ブレードランナー」や「フィフス・エレメント」も。もっといえば昨今話題の「攻殻機動隊」や「マトリックス」も。「サイレントメビウス」も。数多存在するそういう「"ディストピアもの"や"サイバーパンク"といわれるSFの一形態」でありながら、「さらにそれ以上の"ベデという芸術的な文化、様式美"」まであるっていうな。それがベデっていうわけで。
例えるなら、雨の降り方すらも。
街の、人の、車の、看板の、食堂の、自室の、佇まいからも。
何ていったらいいのか、ただ単に遠未来ーとか、人造人間ーとか、まあ後者はちょっと入ってるけど、そういう要素、部品、だけじゃなく。その置かれ方っていうか。扱われ方っていうか。大事なのは"ディティール"が?
人ならぬアンドロイドが悲しんで流す涙が。打ちひしがれる"それ"を濡らす雨だれが。あるいは"ひゅぅうううぅん"って音を出して今空から降りてきた車とか。夜に浮かび上がる妖しげなネオンサインとか。悪役として出てくる驕慢な大企業とか。
"一定の方向性や価値観を帯びつつ"っていう。世界観っていえば簡単なんですけどね。これはもうテンプレや本格ファンタジーの話をしてるのと事実上同じで。何とかダインみたいな社名とか、スピナーみたいな車名とか、今腰から取り出した"きゅぃいいいぃん、ばしゃっ"とか変形しつつあるかっこいい銃とかね。
珍しくも本格的な部分じゃなく、本流的な、これは俺の区切りなんだけども。一種の審美的な部分、表面的な飾られ方みたいなものまでもが大事にされ。それが系譜的に理解され継承されるってところが、剣と魔法のサムシングみたいじゃんねえ。
なーんだザヴァみ感くんも外国から持ってきた新手っぽい再発明みたいなテンプレを使ってるだけじゃん、作品はじゃあ、ナウシカなんだ、ってね。
思うじゃないですか。ナウシカなんてもうベデそのもの、それこそ宮さんは初期のころまったくもってベデの影響を非常に強く受けてたわけで。
そうともいえるし、そうともいえないねえ。俺の場合はアヴァロンみだけども。少なくとも俺のアヴァロンなわけだしな。
なぜなら、"ベデっぽいな、失敬"っていう一定の系譜が存在するけれども。果たして僕は何でしたっけ、はい、皆さんご存じー、ザヴァみ感くんじゃないですか。ベデみとザヴァみは違うものなのですわーおほほ。実際今書いてる新作もそうで。
同じ系譜ながらも、いくつもある名作も、それぞれに系譜たりながら、またそれぞれの趣を、演出してますわね。書き手がノーランなら。ベッソンなら。リドリーなら。ギリアムなら。彼らはビラルじゃないしビラルでもある。その違いこそ、この世界の根底的な構造たる守破離というものじゃないスか。
また別の超重要な様式美として、"ノワール"という概念が存在しまして。これはフランス語で黒という意味で。人生上手くいかないもんだねえっていう共感を込めるものです。どうあれこの"ノワールみ"という表現が確固として存在し、それに対峙せざるを得ない立ち位置として。ロマン派閥、つまり"ザヴァみ"みたいなものもまた存在するわけでしてね。
そうだなあ、ノワールみがあるのはベッソンの「レオン」とかね。彼の作品のなかでは異色で。人生上手くいかないもんだなあって作品ですよね。「TAXI」のほうが"当然"僕は好きです。分かりきったことを聞くなよっていう。答えをね。僕はその問いに対しすでに持ってるので。それはつまり、
トゥービー、オア、ノットトゥービー。 ※ハムレットな
哲学なんですよねそういう。そのラインが、びしっと引かれている。ダッザーイ!↑ うぃーっす、WAWAWA芥川ー、どうあれその線上で、前者か、後者かに位置していくぅー。ででんっ。なぜ、レオンより、TAXIなのかって、そりゃもう、ベデとノワールを掛け合わせたグラフ理論の話をしています。
未来世紀ブラジルのテリー・ギリアムが「ゼロの未来」っていう新作を上梓したとする。おおー映像きれいじゃんねえって思うものの、どうあれもの悲しくて、彼は彼でしかないことが相変わらず即示されたりする。いいも悪いもない。ただひたすらに彼なんだよなあそれがねえ。
一方で、ベッソンはノワール的な世界観を既刊で感じさせもするし、その反動で思いっきりロマン派閥の味わいも新作でより一層開拓できるからごいごいすーわよね。新作の「ヴァレリアン」はまあー"ノワールの高みに届かないロマン派閥は何やってもこういう感じだよなぁーまったくもって"みたいなね、いわれようだけども。僕は好きです。ええ。超、名作な。これだよーこれって膝を打ちましたからね。
あまつさえノーランとくればもうね。最オブ高。「インターステラー」の高揚感たるや。おわかりですか皆さん。インターステラーはフィフス・エレメント並みにかなりぶっ飛んだベデの系譜、ディティール的にぎりぎりわかりにくくなってるくらいまであるけど。でも"ディストピアもの"かなーっていわれればなるほどそうかもって思うじゃないですか。
そしてノワールかロマン派閥かっていわれればもう。ノワールじゃ、ない、ことは明白でして。まばゆいばかりの"希望"を感じる。単純な人間賛歌には興味ありません、この中に、スコセッシの妙味を理解し、コッポラの匠の域へと達する、ノワールみのある表現者がいたら、私のところへ来な太宰! とかいわれても。アーニャにいわれてもってなったけど。
だっだっだ、太宰、だいじょばない、蛹になって出直す芥川ーーー(滑走する
いやよくないですか。人間賛歌そんなに駄目、何が面白くないのかさっぱりわからない。演劇集団キャラメルボックスに対して、"幼稚"とかいいますか普通、意味がわからない。「風を継ぐもの」とかさあ。「ケンジ先生」とか最高じゃんね。いやベデじゃないし"ロマン派閥の話でしかない"けども。その部分で非常にね。テンプレだの本格ファンタジーだのの話よりは大きく普遍的な問いかけが存在するわけで。
トゥービー、オア、ノットトゥービー。 ※ハムレットな
「AKIRA」はあんまし好きじゃないですね。駄作とまではいいませんがほほほ…。
そういうこと。やっていこうな、YOYOほなな。
新作のラノベ「ティアシー」をお楽しみにね!
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