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半ば夢だったような気もしたし、老人の言葉を信じたわけではないが、
その石を僕はそれからずっと制服のポケットにしまっていて、
折りに触れその石を触るのが癖になった。
とても大事なものに思えた。お守りのように。
もし本当に願う時間に戻れるなら、いつに戻りたいのだろう。
あの4月の桜舞う日に戻って、彼女に声をかけようか、
それとも、と迷いや感情の揺れは更に増幅していった。
進路はまったなしに決まっていき、年があけたら通学する機会は随分減るだろう。
僕にはあまり時間がない。
このまま、何も知らないまま、何も言わないまま、
縁もなく通り過ぎていってしまうのは、だめなんじゃないかと思った。
自分と賭けをした。
何かあれば、声をかけようと。
何もなければ、それが縁のなさなのだと諦めようと。
12月。
雲ひとつない冬の空に、綺麗に白い半月が残っている。
彼女はそのことに気を留めるだろうか?
気づくなら、僕は声をかけなければならない。
それが賭けだから。
彼女はゆっくり階段を降りてきた。
そして定位置で文庫本を開き、そのまま脇目も振らず読みふける。
気づくことなく。
賭けは終わった。
現実に戻される。自分の滑稽さがおかしくなる。
これがまさに独り相撲ってやつだよなと。
電車がホームに入るのを知らせるメロディが流れる。
彼女は本を閉じ、ふいに西の空を見上げる。
そこには朝に残る月がかかっている。
彼女ははっきりとそれを見上げて、そして、彼女を見つめている僕と目が合う。
初めて、がっつり見つめ合う格好になる。
そして、なぜか、彼女は僕のほうに歩み寄ってくる。