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初めて彼女を意識したのは、4月の朝、少し風がありやや肌寒い日だった。
駅舎の裏の桜の木の乳白色の花びらがホームにまで風で舞いおちるのをなんとなく眺めていると、
彼女が階段を降りてきた。
古びた階段をゆっくりと。
ホームに立つと彼女は振り返って、桜の木を見あげた。
そして僕の並んでいる乗り口を通り過ぎ、その隣の列の後ろに並び、
そして電車がホームに入るのを知らせるメロディが流れると、
もう一度名残惜しむかのように桜を振り返った。
このホームで今、桜を味わっているのは僕と彼女だけだと、そう思った。
5月、桜はとうに散り、葉桜が風に揺れる。
新緑が眩しい朝、彼女がゆっくりと階段を降りてきて定位置に並び、
そして文庫を取り出すのを、視界にいれ、安心する。
その確認は既にルーティン。
そして僕も本を取り出す。
彼女を真似て、スマホで電子書籍を読んでいたのをやめ、
たいして頭に入りもしない参考書とか単語冊子を手に取るのもやめ、
奇跡がおきて、「何読んでるんですか」と問われる日が来ないかと
バカげた妄想に我ながらあきれ返りながら、文字を追う。
6月にはいって、はじめて夏服を見て、白が似合うなと思う。
たまに文庫本を閉じ、何か考えこんでいるような表情で細い雨を眺めている。
電車の中でも、ドアの近くで夢中で読んでいるような日もあれば、
気もそぞろなのかたびたび本を閉じて濡れたガラス面をじっと眺めているような日もある。
何を考えているんだろうと、こちらも釣られて文庫を閉じる。
朝からニイニイゼミが鳴き始めクマゼミが煩いくらいの音量を響かせるようになる7月、
既にうだるように暑いのに彼女はどこか涼しげにみえる。
この数ヶ月、僕たちは変わらず同じ距離感と同じルーティン。
何も変わらない。何も。