第一話
両親が離婚してから約半年、夏休みに入って間もないタイミングで、仕事から帰ってきた父親の和樹が、仕事で愛用しているブリーフケースから一枚のチラシを取り出して涼夏に手渡した。
「これ何?」
「ああ、これはな父さんの同僚の娘さんが行ってる学び舎ってやつだ 高校受験が終わって塾に行かなくなったから無理にとは言わないけど週一ぐらいのペースで通ってみたらどうだ?」
「ん、そうだね、、 ちょっと考えとくね。」
「分かった。急がなくていいからな」
「うん。ありがと」
お父さんが私のことを考えてなにか提案しくれるなんて珍しい。
お母さんがいたときは、学校のこととか勉強のことは全部お母さんが考えて提案してくれていた。
お父さんは今まで、どちらかというと、私が決めたことを尊重してくれていつでも応援してくれてたから、今日お父さんが提案してくれたのは素直に嬉しかった。
私の部屋での一件があってから何かを二人で話し合うという機会があんまりなかったから、少しの会話だったけどお父さんと話せたことも嬉しかった。
正直今の私の成績だったら通わなくても大丈夫なんだけど、せっかくお父さんが職場の人に聞いてきてくれたんだし前向きに考えとこう。
涼夏は俺が守っていかなければいけないんだ。
あの子は小さいときから我慢強い子だった。
つまずいて転んでも涙を堪えて、一人で立ち上がるような子だった。
だから、俺が妻と別れたときも、心のどこかに、あの子ならすぐに立ち直るんではないかと期待している浅はかな自分がいた。
この件で一番辛いのは他でも無い涼夏自身なのに、自分のことにしか考えが及ばず一番心細いはずの娘を放置するところだった。
妻に裏切られたという悲しさや怒りよりも、涼夏を一番に思いやることを忘れかけていた自分への情けなさと腹立たしさで、目から涙が溢れ出しそうになりながらも必死に堪えた。
涼夏に何か声をかけてあげなければいけない。そう思っても何と声をかけたらよいのか言葉が見つからず、背中をさすってやることしか出来なかった。再び己の情けなさで心を押しつぶされそうになった。
今まで、学校のことや勉強に関することは全て妻に任せてきた。涼夏が決めたことを応援しているだけで、直接は関わってこなかった。というより関われなかった。深く関わることで涼夏に嫌われるのを恐れていたんだ。
でもこれからはそうもいかない。これから涼夏を支えていけるのは俺だけなんだ。
できることは全てしよう。
そう思ったものの、何かしてやれることはないかと一人で悩んでいるうちに早くも半年という月日が過ぎた。
このままでは結局何も出来ないままずるずると時間が経ってしまう。悩んだ末に職場の同僚で同じ境遇に置かれている守岡に話を聞くことにした。
守岡は今から一年半前、俺と妻が離婚する一年前に離婚を経験している。協議の末、親権は守岡に認められたそうだ。
離婚原因は、娘の教育方針についての意見の食い違いで取り返しのつかないぐらいに揉めたことだそうだ。
「なあ守岡、ちょっといいか」
「なんだ?改まって」
守岡はおどけた表情をした。
「相談したいことがあるんだが…」
「お前が相談なんて珍しいな! もしかしてもう新しい出会いがあったのか!? 俺なんて一年半も出会いがないのにお前は半年でもうあったのかよぉ…。」
「誰が出会いがあったなんて言った! そんなことじゃない。」
「なんだ違うのかよ。驚かすなよ」
俺は「勝手に驚いたのはお前だろうが」とツッコみたくなるのを抑えて本題を伝えた。
「実は俺も離婚したんだ。」
「ああ、そんなとこだろうと思ったよ」
「驚かないのか? 前に言ったことあったか?」
「いいや。お前は何か悩んでると顔に出るからな。お前がその顔し始めたタイミングから推測するに、別れたのは半年前ってとこだろう」
「なんで分かるんだ…」
それにしてもノーヒントでここまで見破られるとは…。こいつ怖いな…。
「それはそうと相談って何だ? 何かあるんだよな?」
「ああ、そうなんだ。娘が今高一なんだが、高校に入ってから塾にも通わせてないんだ。成績的には通わなくても大丈夫なんだが、何かしてやりたくて…。考えても思いつかないから先輩シングルファーザーのお前に話を聞いてみようと思ってな。」
「先輩シングルファーザーって……。」
守岡が分かりやすく肩を落とした。ほんとわかりやすいなこいつ。
「しかし、新藤に親権が認められるなんて驚きだなぁ」
少々の無言の間が続いた。 離婚原因が妻の浮気だとは言えなかった。 何かを察したのか守岡が気を遣うように沈黙を破った。
「そうかぁ。まあお前が娘としっかり向き合うための試練を神様が与えてくださったんだろう。 一年しか変わらないが俺に協力できることがあれば何でも言ってくれ! 先輩としていろいろとレクチャーしてやるよ」
こうして守岡は俺に協力してくれることになった。 守岡から、守岡の娘が通っている学び舎という学習会について教えてもらい、パンフレットを貰った。
俺が娘にしてやれることはこれぐらいしかない。娘が学び舎に参加してそこで出来た友達と仲良く勉強してくれれば、きっと心の傷が癒えていくのも早いだろう。
パンフレットを貰った次の日の朝、涼夏は仕事に出勤する前の和樹に声をかけた。
「ねえ、お父さん…。昨日の話の続きなんだけど…。」
涼夏は、和樹が読んでいた新聞を机に置いたのを見て話を始めた。
「私ね、昨日お父さんと話してからずっと考えてたんだ。 学校の成績もクラス上位を維持してるし学習会は必要ないかなって思ったんだ。」
「そうか…。」
「でもね、私学び舎に行くことにするよ! 他の人と勉強するのも良い刺激になりそうだし!」
「そうか。じゃあ、申し込みしておくよ」
満面の笑みで言う涼夏を見て、ほんの少しの、それでいて確かな達成感を感じた和樹であった。