元魔王、次代勇者を拾う
魔王は倒され、世界は平和になった。
魔王は倒される存在。
そう決められていた。
最初から、そう決められていた。
だからこそ、魔王は勇者と対峙して彼に勝利を譲ったのだ。
世界は平和になった。
魔族と人間族との軋轢は、それでも残ったけれど、でも概ね世界は平和だった。
有限の平和だと理解していた。
またある程度時間が過ぎれば、新しい魔王と勇者が現れ、対峙することになるだろう。
しかし、それは今ではないのだ。
だから、ようやく煩わしいお役目から解き放たれた魔王、いや元魔王は悠々自適な隠居生活を送ろうと決意したのだった。
そして、時は流れ。
だいたい半年くらいが経過した。
「……なにこれ?」
敷金礼金なし。
風呂なし、トイレは共同。
そんな時代に取り残され、もしかしたら数年のうちに取り壊しが決まるかもしれないボロアパートに、元魔王は住んでいた。
元魔王なのに金がないのか、と言われそうだ。
その通り、金が無いのである。
なぜなら、表向き彼を倒した勇者とその仲間たちに巻き上げられたからだ。
悠々自適の隠居生活を送る予定が狂い、世知辛い話だが、ここ二半年ほど元魔王はパートやバイトの掛け持ちで暮らしていた。
いくらか貯えはあるものの、余程のことがない限り手をつけたくは無かった。
正職につけよ、仮にも組織のリーダー務めてただろと言われそうだが、元魔王にも色々事情があったのだ。
たとえば、魔族であること。
それ自体がネックになったりとか。
端的に言えば種族差別で、ホワイトな会社でもブラックな会社でも正職としてはお断りされてしまうのだ。
表向きには無いとされていぬ種族差別だが、げんにこうしてその被害にあっている。
結果として、パートorバイトで稼ぐしか出来ないのである。
優位に立ちたい、立っていたいというのは種族関係ないのである。
それが嫌なら、魔族領に帰れ、変わりはいくらでもいると言われてしまうのが、今の世の中だった。
こんな世の中なので、案外次の魔王が出てくるのは早いかもしれないな、と元魔王は考えている。
さて、そんな魔王の視線の先。
彼が住む部屋の真ん前。
そこには、赤ん坊がバスケットに入り、スヤスヤと眠っていた。
添えられているのは、【あなたの子です】と短く書かれメモ用紙が一枚。
「待て待て待て」
元魔王は動揺した。
身に覚えが無かったからである。
いや、全く無いわけではなかった。
「アレだ、あの時のアレは結局、勇者に惚れたとかで別れたし。
うん、大丈夫大丈夫。
あと、そうだ、あの時のアレ、あの子もなんやかんやあって、勇者に寝盗られて今側室になってるって聞いたし、うん、平気平気。
と、すると、あの時のアレか?
いやいや、あの時のアレのあの子とは、あれだよ、手を出す前に婚約者が来て仲直りの仲裁したから、うん、無い!
大丈夫大丈夫」
思い当たる節を一個ずつ潰していく。
そうこうしているうちに、出勤時間が迫る。
とりあえず、役人に来てもらって保護してもらうしかない。
遅刻確定である。
しかしまさか放置しておくわけにもいかない。
かくなる上は……。
元魔王は、今のパート先である職場の上司へと連絡を入れた。
世界が平和になると同時に魔族が開発した魔法技術。
それが人間族の中にも広がった結果、誰でも簡単に連絡がとれるようになった。
魔法陣を中空に展開し、音声通話魔法を発動させる。
《はいはい、おはようございます。
マオさんどうしました?》
職場の事務所に詰めていたのだろう上司の穏やかな声が聞こえてくる。
ちなみに【マオ】というのは、魔王の偽名である。
元魔王こと、マオは現状を必死に説明した。
《なるほど》
「すみませんすみません、ほんとすみません。
そんなわけで、今日遅刻します」
《あー、いいよいいよ。
もう、今日から来なくて》
「えっ」
《よく居るんだよねぇ、そういう理由で遅刻する人。
マオさんは真面目そうだったのに、残念だなぁ》
わざとらしいため息とともに、とてもいい声で上司がマオのクビを宣言した。
「いえ、嘘じゃなくて」
かつては泣く子も黙る魔王だった面影はどこにもない。
マオの言葉を最後まで聞かず、上司はピシャリと言った。
《ま、そんなわけだから。
もう来なくていいから。
あ、制服も返さなくていいよ、魔族が着たやつは焼却するって決まってるから》
「ちょ、まっ、」
通話は終わった。
あとには、元魔王現無職と赤ん坊が残された。
***
これは余程のことだ。
余程のことなので、貯金を切り崩すことにした。
これでしばらくは生活できる。
役所に言って相談しても、なしの礫で型どおりの対応だけで終わってしまった。
そこからは孤児院と役所をたらい回しにされてしまう始末だった。
孤児院としても魔族の子供を預かりたく無いのだろう。
人間の方が魔族以上に冷酷で残忍だと、マオは改めて思い知った。
元魔王なのだから、力でなんとかしろよと言われそうだ。
しかしながら、それは出来なかった。
倒されたと思われていた魔王が生きていたとなったら、また世界は混乱に陥る。
それは、お役目が終わったマオにとっても本意ではなかったのだ。
しばらくはなんとかなる金は確保したものの、どうしたものか。
この調子では、掛け持ちしている他の職場からも解雇されるのは目に見えている。
魔族領に帰るのも手だが、そんなことをしたらやはりマオの生存がバレてしまう。
とくに、魔族領は地元なのだ。
人間領なら、倒された魔王のそっくりさんで済むのが向こうではそうはいかない。
八方塞がりというやつだ。
とにかく、今日だけでも面倒を見てくれる上、マオのことを気にせず協力してくれる存在を探したい。
しかし、都合のいい存在などそうそういるわけがない。
「いや、待てよ?」
いた。
ダメ元で、アイツを頼ってみよう。
マオの決断と行動は早かった。
転移魔法を展開し、やってきたのは、幼なじみであり、宝物含めた光り物を収集し溜め込むのが趣味な邪龍の家。
巣ともいう。
ちなみに、この邪龍ともう一人、かつて右腕として頼っていた相棒もいるのだが、魔王軍が解散した現在、消息不明である。
ちなみに、邪龍と相棒にマオは死の偽装を手伝ってもらっていたりする。
「たのもー、たのもー!!」
マオは言いながら、とある山奥にあるその洞穴へと足を踏み入れた。
赤ん坊は、防寒対策諸々をしてバスケットに入っている。
そして、スヤスヤと眠っている。
起きる気配は皆無だ。
もしかしたら、とんでもない大物かもしれない。
洞穴の中は基本暗いので、マオが光の魔法で明るく照らしている。
そうして、洞穴の奥まで行くと、目的の邪龍が向こうから出てきてくれた。
邪龍は、千人中千人がみたら、
「あ、こいつ邪龍だわ、間違いない」
というだろう外見をしていた。
洞穴なので、山のように大きな体、とは言えないが、まぁまぁデカい龍である。
「誰かと思えば、魔王じゃねーか。
なんの用だよ?
悠々自適の余生にあきたか?」
「悪いな、ちょっと、トラブルが起きてさ」
邪龍の質問に、マオはバスケットとその中で変わらずスヤスヤ眠る赤子を見せた。
「人間のガキじゃねーか、さらったのか??」
「ちげーよ!!」
マオは、経緯を説明した。
「ふむふむ、話は分かった。
けど、本当に身に覚えないのか?
行きずりの関係とかよ」
「身に覚えあったら、ここに相談に来てねーよ。
責任もっていろいろ動いてるわ」
「いや、子連れで来るところじゃねーだろ。
TPO考えろ、TPOをよ」
邪龍が言いながら、チラリと赤ん坊を見る。
「とりあえず、お前の要望は夜間バイトが終わるまで預かって欲しいってか?」
「そうそう、お前ロリっ子好きだろ?
下は十歳、上は十五歳くらいだったか」
「習性で攫った人間の姫のことは話題にだすな!!
こっちの黒歴史なんだよ!!」
ドラゴンは光り物と、やんごとなき身分の少女を攫う習性があるのだ。
「そんなわけで、頼むよ!!」
「ちっ、まぁ、他ならないお前の頼みだからな」
そう前置きして、邪龍は今度は動きやすいよう人型に姿を変えた。
そして、
「ほら」
と、手を出してくる。
「?」
「不思議そうな顔してんじゃねーよ!!」
「あ!金か?
悪いシッター代は、バイト代がもらうまで」
「そうじゃねぇ!!
着替えとオムツとミルク!!
さっさと寄越せ!!」
「…………」
言われて、マオはポンっと手を叩いた。
何せ子育てなんてしたこと無かったので、左右どころか上下もわからないのだ。
それを悟って、邪龍がブチ切れた。
「さっさと買ってこい!!
このスカタン!!」
そう叫んで、邪龍は溜め込んでいた金貨をマオに向かって投げつけたのだった。
結局、買い物メモを邪龍に用意してもらって、マオは買い出しに出た。
「マジか、最近は粉ミルクなんてあるのか、すげぇなぁ。
保存魔法要らずか。すげぇなぁ。
え、オムツって布じゃないの?!
紙オムツって、誰が発明したんこれ?!
あとは、哺乳瓶と抱っこ紐とおんぶ紐??
え、なにが違うの、これ?」
教えてもらった店で、今度は店員の世話になりながら必要なものを購入した。
「え、そもそもなんで鍋が必要なの?
あ、これでミルクを溶かして温めるのか、なるほど」
ちなみに、鍋は哺乳瓶等の煮沸消毒用だったりする。
他には消毒液につけたりする方法や、専用の消毒用の魔法道具もあるが、マオは知らなかった。
なぜならマオは独身で子育てなどした事ないからだ。
色々と進歩しているなぁ、とマオは感心しながら買い物を終えて戻ると、邪龍が血相を変えて出迎えた。
「おい!!おまえ!!
この赤ん坊、本当にただひろったのか?!」
「?
そうだけど、それが?」
「この赤ん坊、次代の勇者だぞ?!」
邪龍の言葉に、マオは一瞬意味が理解出来ずに固まってしまった。
「は?」
そして、ゆっくりと理解した後、人間なら教会などでお金を払ってしてもらう鑑定を、マオは赤ん坊に対してやってみた。
「マジか、勇者だ。
え、でも、なんで??」
称号のところに確かに【勇者】と書かれている。
しかし、何故そんな赤ん坊が捨てられていたのか?
疑問しか無かったので、もっとよく鑑定してみた。
「これか、捨てられた原因」
原因はすぐにわかった。
能力値が一般人の赤ん坊よりも少し低いのだ。
そして、なによりも神の加護とされているスキルが皆無だった。
「おまえ、本当にどうするんだよ、これ」
邪龍に言われて、マオは曖昧に笑った。
笑うしかなかった。
そして、こう聞いた。
「どうしよう、マジで」