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7-6 南部師行

 風が、自分を追って来ている。

 いや、風では無かった。動きは風と言う他なかったが、そこにははっきりとした人と馬の意思が宿っている。

 人馬が一体となって放つ肌を刺して来るような強い気は、むしろ師行には心地よいほどだった。

 勇人は朝雲を巧みに操り、ぴったりと自分の横に付けて来ていた。

 師行は槍ほどの長さの、勇人の方は剣に合わせた長さの棒をそれぞれ持っている。

 暁と全力で並走出来る馬はそうはいなかった。脚の速さもそうだが、並みの馬は暁が全力を出すとそれで気圧され、時に怯えてしまうのだ。

 ましてや馬上での戦いを模した競り合いとなれば、師行が本気になれば付いて来れる馬と乗り手は、師行の旗本の中にもそうはいない。

 朝雲はまだ若いが、暁相手にもどこまでも競り合って行こうとする負けん気があった。

 そして乗り手である勇人が良く心を通わせ、その負けん気をさらに引き出し、同時に上手く御してもいる。

 鍛え始めた頃からの勇人の伸びは、師行自身も目を見張るような所があった。

 無論まだ自分には遠く及ばないが、少なくとも剣を使わせて勇人以上の者は、自分を除けば今の陸奥にもほとんどいないだろう。

 師行は自分よりも強い人間、と言う物に出会った記憶がほとんどなかった。

 子どもの頃から同年の子どもより体が大きく、膂力が強く、並みの大人にも負けなかった。

 父や一族の者に鍛えられたのもほんの短い間で、後はひたすら自分で槍を振るい、馬に乗る事によって自分を鍛え続けている内に、いつのまにか周りの誰よりも強くなっていた。元服した辺りから、負けた記憶も無い。

 勇人が、いずれ自分よりも強くなる、と言う予感は何故か鍛え始めた最初の内からあった。昔の自分と似ている、と言う訳では無い。むしろ全く別の人間だ。しかしそれでも何か自分に響いてくる物が深い所であった。

 目の前の男が遠からず自分を越える、と思ってみても、師行の中には特別に湧き上がるような強い感情は無かった。自分より強い者は、どこかにはいる。それは当然のことだ。

ただ、自分がどこまでこの男を伸ばせるのか試して見たい、そしてこの男がどこまで強くなるのか見届けたい、そう思っただけだ。

 横を並ぶ勇人に対し、師行は駆けたまま馬を寄せ、そのまま棒を繰り出した。

 勇人がそれを受ける。そのまま馬を止める事無く、激しく打ち合った。一合一合打ち合うごとに、肚の底まで届くような物が響いてくる。

 打ち合い、離れ、交差し、絡み合う。

 背後を取ればそのまま突き落とす気で師行は暁を操ったが、勇人は上手くそれをかわし続けながらこちらの隙を伺っている。そして師行の動きに注意を向けながらも、決して朝雲に無理な駆けさせ方はしていない。

 見ろ、暁。

 横を掛けるその勇人を見やりながら心の中で暁にそう呼び掛けた。

 あそこにいる男と馬は、いずれ俺達よりも強くなるぞ。俺達はこれ以上は強くなれず、後は衰えて行くだけだが、あいつらはどんどん伸びて行く。

 お前は、後どれだけ戦場で駆けられる、暁。せめてあの男が本当に強くなるその時まで、他の誰よりも強く、誰よりも速いままでいられるか、俺達は。

 短く気合を発し、暁が駆ける速度を上げた。引き離された勇人がそれを追って来る。反転し、それに正面から向かい合う。そのままの速度で馳せ違った。

 一撃目で勇人の棒を受け、半ば弾くように上に逸らすと、そのまま間髪入れずに次を放つ。

 全力では無いとは言え、まともに受ければ骨が砕けてもおかしくないほどの威力は込めたが、勇人は上手く手元に引き戻した棒で受け、そしてそのまま勢いを殺すかのような形で落馬していた。そしてすぐに起き上がる。表情にも動揺は見られず、軽く笑っていた。

 朝雲は威嚇するようないななきを上げたが、暁は意にも介していないような顔をしている。


「また俺に殺されたな」


「これで何度目でしょうか」


「もう少しだけ馬を信じろ。貴様は朝雲の扱いが丁寧過ぎる。臆病と言ってもいい」


「はい」


 無論馬を丁寧に扱うのが悪い訳では無かった。しかし馬の持つ限界ぎりぎりの力を引き出さなければならない時も戦ではある。そして朝雲は並みの馬では無いのだ。

 ここしばらく師行は多賀国府を拠点にして小さな叛乱を潰し、合間にこうして勇人を鍛える、と言う日々を繰り返していた。戦に伴う事もしているが、戦場での判断も悪くなかった。少なくとも旗本の十騎や二十騎を預けても、旗本達に認められるほどの動きはしている。

 師行の旗本達は、自分達を率いる者の出自など気にしてはいなかった。ただ師行が認め、そして戦場で相応の力を見せればいい。


「貴様の中にいる五辻宮とやらは、そろそろ斬れたか?」


「いえ。何度も一人で目を閉じ、剣を構えて向き合っているのですが、まだとても勝てる気はしません」


「そうか」


 征西から戻って来て最初に勇人と真剣で向き合った時、構えの中にわずかながら奇妙な歪みが見えた。目の前で向き合っている自分とは別の相手を見ている気がしたので、それを訊ねてみた所出て来たのが五辻宮と言う名前だった。

 師行に並ぶかもしれない程の相手だった、と勇人は言ったが師行は特にそれ自体には興味は持たなかった。自分より強い相手をどう乗り越えるかは、それぞれが考える事だ。

 もし戦場で師行自身がその五辻宮と戦う事があるなら、その時はその時だろう。


「近い内に、俺は北に戻る」


「はい」


 そろそろ結城宗広と伊達行朝を始めとする陸奥守配下の武士達が自領の締め直しを終える頃だった。その武士達が多賀国府に戻ってくれば、小さな叛乱の討伐は任せられる。

 自分は今政長に任せ切りにしている北に戻り、陸奥で残っている大きな足利方武士である曾我の相手をしばらくする事になるだろう。


「陸奥守の下でも貴様には兵を率いさせて戦場に出すように進言しておく。次の上洛までに、もう少し兵を率いる事に馴れておけ」


「分かりました」


 勇人は緊張した顔を作り頷いたが、異論がある様子は表情にも声にも見せなかった。

 戦場で兵を率いる事が上手い、と言うのは、敵と味方が今どこにいるか、次にどう動くか、そしてどこに敵と味方の力が向いているかが時間を掛けず読めると言う事で、つまり最後の所は勘の良さとしか良いようが無い物だ、と師行は思っていた。

 それは机の上の兵法や言葉で教えられる物では無論なく、経験で培うにしてもどこかに限界がある。

 自分にはその勘のような物がある、と勇人自身もようやく自覚し始めているのだろう。


「戻るぞ」


 師行はそう言い、暁の馬首を多賀国府へと向けた。


「師行殿」


 朝雲にまたがり直した勇人が後ろから声を掛けて来た。


「何だ」


「一つ聞いていいでしょうか」


「言ってみろ」


「上洛をせず陸奥だけを守る、と言う考えは、何か間違いでしょうか」


「そんな事は俺が考える事では無い。陸奥守が上洛をすると言えば下の者はそれに従えばいいだけだ」


「そう言われるだろうとは思っていました。しかしそれでも敢えて師行殿の考えを聞きたいのです」


「貴様」


 師行は馬首をめぐらし勇人を睨みつけたが、勇人は目を逸らさなかった。真っ直ぐな目でこちらを見つめ返して来る。


「陸奥守はそれほどに迷っているのか」


「見ていて痛ましくなるほどには」


 師行は一度息を吐いた。


「俺の考えは一度しか言わん。良く聞け」


「はい」


「上洛せずに陸奥に籠る、と言うのも一つの戦の形なのだ。仮に陸奥が完全に日本とは別の一つの国になり、残った日本がそれを認めるような事が無い限りは、例え実際に兵がぶつかる機会が限られていても、それは敵対する者同士が残る戦が続く世と言う事だ」


 勇人は相槌も打たず師行の言葉を聞いていた。


「例えば一旦陸奥に籠り、攻め込んでくる足利を打ち破ってその力を削ぎ、そこから尊氏を討ち取ったり上洛したりする機を粘り強く待つ、と言うのなら戦のやり方としては分かるし正しいだろう。だが上洛を諦め、陸奥だけを守り、日本にはそれ以上何の関心も持たない、と言うのでは、さほど時間も掛けず滅び去るだけだ」


「何故です?」


 ここで勇人が短く口を開いた。


「人はただ単純な守ると言うだけの戦をいつまでも繰り返し続けられるほど強くはない。いつかは中から崩れて来る。守る側が有利なのは、守り続けた先の何かが見える時だけだ。それは城一つを守る時も一国を守る時も本質的には変わらん。だから上洛するかしないかに関わらず、この日本と言う国その物をどうするかと言う事は、最後まで目を逸らさず考えなくてはならん。そうでなくては、負ける」


「最後は、やはり戦の勝ち負けですか」


「俺にはこの国の行く末やあるべき姿などはどうでもいい。それは陸奥守が考えるべき事だろう。ただ戦はやるからには勝てなければ無意味で、そして戦に勝つためには、まず実現出来る正しい目的を定めなくてはならん。陸奥に籠り、陸奥だけを守り、豊かにする。それは戦をする者の眼から見れば、正しい目的ではない」


 自分らしくも無い事を、と思いながら語っていたが、意外と不快な気分はそれほどはなかった。


「陸奥だけを見るのは、滅びの道ですか」


「俺にとってはな。陸奥守がどう考えるかは、分からん」


「ありがとうございます。少し、霧が晴れた気がします」


「最後は自分で考えろ、勇人。この事で陸奥守に何か言うのであればな」


「はい」


 勇人が頷いた。

口下手設定の人間が一番筆者の戦略思想を反映していると言う構造的欠陥…


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