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6-12 足利直義(4)

 話はまず、帝と大塔宮の志の話から始まった。幕府を倒すだけでなく、この国から戦の原因になる武士と言う身分その物を無くす。それが二人の最終的な目的であり、正成もその理想に共感して手を貸す事にした。

 倒幕の戦の間中も、どのようにして武士をこの国から無くすか、と言う事に付いてそれぞれは考え続けた。しかし帝は長い戦いの中で武士と言う物の想像以上の根の強さを知り、ほとんどその理想に対して絶望し、そして絶望の中から一つの答えを出した。


「その答えとは、何だったのですか」


 そこで一度言葉を切った正成に直義は尋ねた。この国が乱れている原因を全て武士に押し付けるかのような思想に対しては反発を感じたが、今はそれについて論じる時では無かった。


「この国の仕組みを、根本から破壊しなくては武士と言う物は消せないのではないか。そう言った考えです。つまり武士や幕府だけでなく、寺社や朝廷や公家、それだけでなく帝と言う存在すら含めて全てを一度無くしてしまおう、と」


「馬鹿な。帝すら、など」


「可能か不可能かと言えば決して不可能ではないでしょう。実際の所、唐の国では戦乱の度に王朝は滅び、尊いとされてきた血は途絶え、代わりに新たな者が覇者として立っています。漢の高祖劉邦(りゅうほう)のように、生まれも定かでないような者が皇帝として立った事すらある。天竺まで見てもこの国のようにたった一つの血筋が神代の頃より続いている方が稀です」


「それは確かにそうです。馬鹿なと言ったのは可能か不可能かと言う事に関してではありません。その代々続いて来た血と帝と言う権威を今の帝自身が壊そうとしている、と言う事です」


「その代々続いて来た血と共にあった長いこの国の歴史の中のどこかでこの国は進む方向を誤った。そしてそれは政の力では正せないほどに大きな誤りになってしまった。そうお考えなのです。秩序の無い徹底した戦乱、それによってこの国を根本の所で歪めている土地と血のしがらみを破壊する。そこから新しい国が作られる。血にも土地にも依らず、人の力で。それが、帝の理想なのです」


「武士が帝を害する事が許される世であれば、さらに下々の者が公家や武士を殺す事も許される。そこから勝ち残った者が新たな国を作れば良い。そう言う事ですか」


「左様です」


「やはり馬鹿げている。唐の歴史を引き合いに出されましたが、その結果作られて来たのはまたいずれは覆される王朝ではありませんか。いつまでも定まらぬ世が続くだけです」


「それは唐の国と日本の広さの違い、そして四方を海に囲まれたこの国の地形を考えれば別の結果になる、とお考えです」


「今の武士や公家、朝廷と言ったこの国の在り様が全て正しい、とはとてもそれがしも思いませぬ。むしろ間違っている所が多いとすら思います。しかし帝の血と権威は、一度失われてしまえばあるいは千年掛けても最早取り戻せぬ物かも知れぬのですよ」


「それでも、この国が今の不安定な状態のまま続き、再び蒙古の侵略のような事が起きて国その物が失われるよりは遥かにましである、と主上はお考えです。国があってこその支配者であり、そして海の外からやってくる者に対しては、帝の権威も血も、何の意味も持たないのですから」


当今御謀叛(とうこんごむほん)、ですな」


 そこでまた言葉を切った正成に対して、直義は乾いた声で口に出した。帝の謀叛。今の帝が倒幕を計画しているのが発覚した時に、鎌倉幕府が使った朝廷と幕府の矛盾した関係を象徴するような奇妙な言葉だ。

 正成の話が事実なら、これは今の帝自身による代々続いた帝と言う地位と権威、そしてこの国の体制その物への謀叛だった。

 直義の言葉に正成は答えなかった。ただ一度小さく目を閉じただけだ。


「それで、大塔宮はそれを密かに止めようとされていたのですね」


 そう訊ねると正成は眼を開いた。その眼にはわずかに哀しみが宿っている。


「はい。あの方にとってはどうあっても受け入れられぬ考えであったようです。最後には父たる主上を弑する事すら考えられるほどに。それがしにそれに加担せよ、とは最後まで命じる事はされませんでしたが」


「正成殿自身は、どうお考えだったのですか」


「この国においてもっとも尊き立場にある方が、一人の男としてこの国に在り様に関して真剣に考え続けられた。それは確かです。その主上ご自身と、それとは別のこの国に代々続く帝と言う存在。そのどちらに尽くす事が真の忠節なのか、正成には最後まで分かりかねました。ですからただ、帝の表向きのご下命にひたすら従う事にした。それだけでございます」


 その結果が、この無謀な戦いだったのか。帝は正成を死なせるつもりで湊川に向かわせたのか。あるいはたった七百で自分を討ち取る事に、何か別の可能性を見ていたのか。


「では、新田義貞は?」


「義貞殿がどこまで主上の意を知っているのかは分かりませぬ。ただあの御仁であれば、どのような命令であってもそれが主上のご下命である、と言う理由で最後はそれに従われるでしょう。あの御仁はあの御仁で、曇りなき忠義の臣でございますから」


 本音とも皮肉ともつかない口調で正成は言った。


「正成殿の言葉通りであるとすると、今の状況は全て主上が望まれた通りの物であると言う事ですか」


「主上がどこまで全体の状況を操っておられるのかは判然としませぬ。しかし最後は天下に複数の帝が並び立ち、その帝達が互いに命を奪い合うような情勢を目論んでおられる事は確かでしょう。そして天下はその形に近付きつつある」


「すでに天下に朝廷が実質二つ。いえ、それだけでなく各地に送られた皇子達もそのために」


「恐らく」


 二人に増えた帝が三人になり、四人になり、各地で武士に担がれて勢力を持つ。独立して力を伸ばそうと目論む者が次々と自分達で帝を担ぎ上げ、権威を正当化する物が武力しか無くなり、戦で勝った側が負けた側の帝の首を刎ねる事が当然の事となる。

 想像するだに恐ろしいが、今の戦乱の行き着く先がそれであると言うのか。


「帝は五辻宮と言う者を中心にした影の軍勢を持っておられます。それは恐らく表向き足利に従う武士達の中にも浸透している。お気を付け下さい」


「確かに、聞けば重い物を背負ってしまう話でございましたな。しかし、何故私にここまで語られたのです?」


 大きく息を吐き出し、直義は尋ねた。話を聞いている内に体からは冷たい汗が噴き出している。


「主上は恐らく、どこかでこの理想のために自分の命をも使われる気であると思われます。それだけは、何としてでもそれがしはお止めしたかったのですが、最早それも叶いませぬ。先手を打って、死ぬように命じられてしまいました故。あるいはここで正成が勝てば、考えを変えて下さるやもしれぬ、とも思ったのですが」


「私に代わりにそれを止めろ、と?」


 直義がそう言うと正成はわずかに笑みを作った。

 何も知らないままこの先、朝廷との出口の見えない戦いに踏み込めば、本当はどこかで一線を越えてしまって自分は帝を害する事にすら及んだかもしれない。それを見透かされたような気になった。


「敵である立場の方にこのような事を申すのはおかしな話ですが」


 正成は小屋の日差しから動き、入口へと歩いていく。


「正成殿」


「どうか、この国の形を守っていただきたい」


 最後にそう言い残し、正成は再び小屋へと消えた。それ以上引き留める言葉は出て来ず、直義はゆっくりと小屋に背を向けてそこから離れた。しばらくして背後から、静かに、しかしはっきり次々と人が自害する気配が伝わってくる。

 それ以外、戦場は静まり返っている。

 訳も分からず叫び出したくなった。何なのだ、この戦は。そう思う感情はますます強くなっていた。

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