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6-8 北畠小夜(3)

「久しいな、師行」


 小夜も馬を寄せて師行に声を掛けた。


「勇人が何かしたか?」


「見ての通り賢しくもそれがしの戦に横やりを入れてきましたので」


 師行はそう答えたが、本気で怒っている風では無かった。勇人の方はもう馬上に戻り、黙って笑いを堪えている。

 征西から生きて戻った勇人がどんな腕になっているのか、今ので軽く試して見たのかもしれない。


「私のいない間、良く斯波家長を抑え、陸奥を守っていてくれた」


「斯波家長は、向き合うには中々面白い相手でした」


「言ってくれる。先日も私は斯波家長との戦で肝を冷やしたばかりだと言うのに」


 南部の勢力だけでほとんど陸奥と関東全域の足利勢力を傘下に従えている斯波家長の相手をするのは並大抵の労苦ではなかったはずだが、師行の口調は強がりや皮肉には聞こえなかった。

 師行ほどの武士が後もう一人自分の下にいれば、とは征西中に何度も思った事だった。京での戦に師行がいればあの混然とした戦場でも足利兄弟を討ち取るのは難しくなかっただろう。そして足利兄弟を討ち取れれば帝が何を計画しているにせよ、それは大きく狂い、遅れて、ひとまずは平和な時が訪れたはずだ。

 考えても仕方のない事だった。師行がいなければあの斯波家長を相手にして上洛が出来たかどうかすら定かではない。そして京で足利兄弟を討ち取れなかったのは自分の力不足でしかない。


「斯波家長は?」


「分からぬ。勇人が斬りはしたが、運があれば生き延びていると思う」


「生き延びていればまたそれだけ手強くなっているでしょうな。どうせこの男は小僧相手だからと半端な斬り方をしたのでしょう」


 師行がまた勇人の方に視線を移して言った。図星だったのか勇人は苦笑いをしている。


「足利尊氏との戦は、どうでございましたか」


「ぶつかり合いでは勝っていたとは思う。しかしあと少し、と言う所で討ち損ねた。武士と言うものの根本の所での強さを分からされた思いであった。それ以上に、この戦はこれで正しいのか、と言う思いが戦うごとに強くなっていくような戦であったな」


「まずは楽しもうとなされる事ですな、戦を。戦を楽しめるのであればその戦はだいたいにして正しい。逆に楽しめぬような戦であれば、その戦は何かが間違っている」


「楽しめぬ戦は何かが間違っている、か。師行らしい言い様だな」


 師行が自分からわざわざこんな事を言うのは珍しい事だった。自分が深い所で迷っている事を察したのかもしれない。


「尊氏は九州で菊池に大勝し、再びの上洛軍を組織しているそうだ」


 その報せは斯波家長を片瀬川で破った直後に、影太郎を通して伊勢にいる親房から小夜の元に届いていた。ただ、さすがに遠い九州の地の詳細な事はまだ分からないので、軍中に広める事はしていない。

 これが本当だとしたら、尊氏はあの大敗からほんの三月も掛けずに立ち直った事になる。


「左様ですか」


 さほど興味も無さそうに師行が相槌を打った。そうなるのは最初から分かり切っていた、と言う顔でもあった。


「此度の征西で陸奥の人は疲弊し、物は尽き掛けている。これからもう一度陸奥を治め、力を蓄えて同じように征西の軍を組織した所で、私は尊氏に勝てるのだろうか」


「負け戦には価値はありませぬ。しかし勝てる相手とだけ戦う戦にも価値はありません。どうあっても戦で勝たねばならぬ相手と戦うのが戦です」


「師行に迷いはないのか、私の下で戦う事に。本当は私が誤っていて、ただ虚しい戦を重ねているだけかもしれぬ」


「戦は最後は政のためにあり、政は最後は民のためにある。陸奥守様がそれから外れられぬ限りは」


「それだけでいいのか、師行は」


「戦に絶対はございませぬ。必ず勝てると言う戦が無いように、必ず正しいと言い切れる戦も無い。負ければ、そして誤っていれば潰えるだけでございます」


「そうだな、確かにそうだ」


 正しい戦とは何なのか、と言う事についてもっと師行と語りたい、と言う思いが強く沸き上がったが、それは抑えた。師行は戦に関してはほとんど無謬とも思える男だが、それは師行がどこまでも武人に徹しているからだ。

 自分が今戦っている戦が正しいかどうか考えるのは、もう武人の分ではない、と師行なら考えるだろう。

 負ければ、潰える。その覚悟は当に小夜にも出来ている。だからと言って、勝つために力を尽くさない訳では無い。それと同じように、誤っていれば潰える覚悟をする一方で、自分は正しい道を選ぶために常に考え続けなくてはいけない。

 それは陸奥守として上に立つ者の責任だった。

 行朝や時家もやって来たので、師行ともども正家と引き合わせた。

 さすがの正家も師行の騎馬隊の鋭さには目を奪われていて、驚きを隠さない顔をしていた一方で、時家は正家の兵に興味を持ったようだった。楠木勢の戦に何か自分と通じる物を感じたのか、兵の動かし方や武器などに付いて詳しく話を聞いている。

 師行やこの時家のように、戦をする事だけが自分の生き方だと思い定めている武士もいる。

 行朝の方は早々に師行と罵り合いを始めていたが、小夜は放っておいた。宗広がいないので、他に止めようとする者もいない。


「陸奥守様、小高城には多少の兵糧も蓄えられているようですが、いかがしましょうか」


 小高城の検分を終えた和政が尋ねて来た。


「我らの軍勢は今のままでも多賀国府まで戻る程度の余裕はあろう。近隣の住人に分け、その代わりに死んだ者達の埋葬をさせよ」


 麾下の兵にはほとんど犠牲も出ていなかった。兵の力だけでなく、和政も指揮の力量を上げて来ている。以前は自分一人の武勇を前面に押し出すような所が目立ったが、今は硬軟織り交ぜた戦い方を見せるようになっていた。


「はい。それと」


 和政が少し言いよどむような声を出した。


「どうした?」


「相馬一族の中で松鶴と言う者が合戦の最中に山中に落ち延びた、と申し出ている土地の者がおりますが」


「松鶴殿と言えば」


 師行との聞くに堪えない罵り合いをあっさり切り上げ、行朝が口を挟んで来た。


「確か相馬親胤殿の子でしたな。確かまだ十三歳程であったかと」


 小高城とは領地を接している事から、行朝は相馬一族の内情に詳しかった。


「今すぐ山狩りを行えば捕らえられるかもしれませんが、如何致しましょうか」


「いや、良い。兵も疲れているであろう。これだけの大勝の後にそんな子どもの首を取っても手柄にはなるまい」


 ほとんど考える事無くそう答えていた。和政がほっとしたような顔で頷く。他にも異論を挟む者はいなかった。

 子どもとは言え数年後には相馬一族をまとめる人間になるのかもしれなかった。すでにここまで徹底して他の一族を討った以上、今ここで殺した方が後顧の憂いは無い。それは皆分かっている事だろう。

 だが、こう言った選択でどこかに最後の一線を引き、例え自己満足であってもぎりぎりで心を荒み切らせない事が戦をする上では大切なのだ、と小夜は思っていた。それはあの道中の凄まじい行軍の時からずっと変わらない考えだ。


「師行、楓はどうしている?」


 再び舌戦を始めようとした行朝の機先を制し、小夜は師行にそう訊ねた。


「怪我を言い訳に、多賀国府でのんびりとしております。夏ごろにはまた働けるようになるかと」


「そうか。大事が無いのなら良かった」


「斯波家長との戦では、楓に助けられました。陸奥守様からも、労いを」


 師行がそんな事を言った。勇人も行朝も驚いたような顔をしている。師行がそんな事を言うのは、それこそ珍しいどころか今までにない事だ。


「そうか。分かった、良く労っておこう」


 戸惑いながら頷いた。


「そう言った事は自分で直接言われた方が良いのではないですかな、師行殿」


 時家が笑いをかみ殺すような表情をしながら言う。黙れ、と師行が感情を込めない声で返した。

 征西軍が戦い、それぞれが成長し、変わっている間に、陸奥に残った者達もどこか変わったのかもしれない、とその様子を見て小夜は思った。

戦争が楽しくないのならその戦争を行う理由に何か誤りがある可能性が高い、と言うのはエドワード・ルトワックの言葉ですね。

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