6-6 斯波家長(3)
どれほどの時間気を失っていたのか、どこからが眠りだったのかは分からなかった。
ただ、家長は耐え難い喉の渇きを感じて目を覚ました。
目を開けると最初に映ったのは白い手だった。
厳しい鍛錬を積んだ痕があちこちに残っているが、それでも白い、美しい手。それが自分の額に当てられようとしている。
「童扱いするな、白銀」
相手の顔を確認する前にそう言っていた。声が出るか不安だったが、自分の声がちゃんと耳に響いていた。ただ、声を出すと肩から首に掛けて痛みが走った。
「お目覚めになりましたか」
白銀はそう応えながら、それでも家長の額に手を当てて来た。熱が出ていないか計っているのだろう。
「ご気分はいかがですか?」
「水を」
そう言いながら体を起こそうとしたが、白銀がそのままもう一方の腕も伸ばしてそれを留めて来た。
「今しばらくはそのままの姿勢で。何とか傷口を縫って血を止めた所ですので。水はこちらに」
水で濡れた布が口に押し当てられた。少しずつ舐めるが、そんな程度で癒せるかわきでは無かった。
「腹の傷ではない。水を飲んでも大丈夫なはずだ」
「最初は念のためです。あまり激しく喉を動かすと傷口が開くかもしれません。すぐに器でお持ちします」
家長がいるのは粗末なあばら家だった。白銀以外に人の気配も無い。関東のどこかの村に落ち延びたのか。自分はどれほど眠っていて、戦の後、軍勢や他の家臣達はどうなったのか。
「傷は肩から首に掛けてです。深くはありませんが、広い。それにもう少しで首の太い血の管にも達していました。血もかなり失われています」
「到底、私が剣で立ち向かえる相手ではなかった。それを見誤って挑んで行ったのだから、当然の結果だな。首を飛ばされなかった分だけ、運があったと思うべきか」
「いくら剣の鍛錬をしていても戦場には家長様より強い相手はいくらでもいるのです。ご自重ください」
「分かっているよ。いや、分かっているつもりだった」
あの建速勇人の剣は、今思い返しても肌が泡立った。槍と太刀の違いはあれ、南部師行の弟子、と言われればさもありなんと言う所だ。
浅い傷を受けた事はあっても、実戦で意識を失うほどの傷を受けたのはこれが初めてだった。戦を指揮しながらも、本当の斬り合いの恐ろしさと言う物を最後では知らなかった。それも敗因か。
「家長様が斬られた後、軍勢は奥州軍の追撃を受けて方々に逃げ散りました。ここは愛甲郡の村の一つです。あれから二日ほど経っていて、重臣の方など五十騎ほどがすぐ近くにいます。他に周囲の村などに伊賀盛光殿などを含めて恐らく全部で千程の軍勢は集まっています」
家長が尋ねたい事を先に読んだように、白銀がつらつらと語った。同時に椀に入った水も差しだして来る。
「二万が一千、か」
無論大部分の兵は落ち延びているのだろうが、それでも大敗だった。
「相馬康胤、重胤殿を始めとして名のある武士の方も何人か討ち死にされたようです」
「負けたな。大敗だ。奥州軍はどうしている?」
「鎌倉に一日留まった後、関東の各地で足利方を相手に小さな戦いを続けながら陸奥に向かっているようです」
まともに奥州軍と戦える軍勢はもう関東にはいないだろう。相馬も佐竹も自領に籠って亀のように身を護るだけで精一杯なのは容易に予想が付いた。
陸奥守はこのまま陸奥に入り、一度は乱れた陸奥をまとめ直すだろう。大きく乱れているようで、本当は南部師行が要所だけはしっかりと抑えている。だから陸奥守が戻れば陸奥をまとめるのは容易いはずだ。
そして今度は強固にまとまった陸奥を土台にした陸奥守、南部師行の二人と家長は正面から戦わざるを得なくなる。
次は、あの二人とどう戦う。一人ずつでも翻弄され、遂には正面から無様に敗れた相手にどう立ち向かえる。
あの二人が同じ戦場に立ち、一体となって戦う時が来れば、どれほどに見事な動きの連携を見せるのか。自分などがそれに抗し得る事が出来るのか。
そしてこの先、尊氏を中心にした西の情勢はどう推移するか。それが関東と陸奥の情勢にどんな影響を与えるか。未だに流動的な天下の情勢の中で自分はここから関東の武士達を立て直す事が出来るのか。
この先どうなるか、自分は何をするか。考える事は無限と言ってもいいほどにあった。そんな風に先の事に思考を巡らしていると、白銀がきょとんとした表情で家長の顔を覗き込んでいるのに気が付いた。
「どうした?白銀」
「いえ。今度は正面から戦って負け、しかも傷まで負われてさぞ落ち込まれるであろう家長様をどのようにお慰めするか考えていましたけど、意外なほどに目が生き生きとしてらっしゃるので」
「言いたい放題言ってくれる。だが確かに何故か落ち込んでいない。負けの屈辱は以前の二回と比べてもはっきりあるのだが」
一応は陸奥守を追い込んだ、などと言う事で自尊心を保っている訳では当然無かった。負けの屈辱も衝撃も負い目も確かに自分の中に消し難いほどにある。しかしそれとは別にやはり陸奥守と南部師行との次の戦に心を躍らせている自分がいた。
負けた。だが生きているのだから負け切ってはいない。それならば次の戦に備えるべきで、沈んでいる暇などはない。
そんな理屈など抜きにして、やはり自分は戦を重ねるごとにどこかで戦を楽しむようになっていっているのかもしれない。そして戦をするごとに自分がどこか上辺ではない奥深い所で確かに成長していっていると言う自覚がある。
「白銀は戦は嫌いだったな」
「ええ」
「私はどうやら、戦が好きなのかもしれない。しなくてはいけない戦である、と言う前提に立っての話だが」
「殿方は勝手な物ですね。後ろで心配する女達の事など考えもしない」
「白銀は戦場に出るだろう?」
自分が気を失う直前に、戦場で自分を抱えてくれたのが白銀だった、と言うのは何故だか確かめるまでも無い事のように思えた。
「家長様が出られるので仕方なしにです。そして殿方のような働きはどうしても出来ません」
そう言うと白銀はそのまま半ば覆いかぶさるようにして横になった姿勢のままの家長に顔と体を近付けて来た。
「おい」
「家長様がどんな志を抱かれようとどんな戦をされようと私は家長様に従います。ですが、殿方が戦場で命を粗末にされれば泣くのは女だと言う事はお忘れにならないで下さい」
「怒っているのか」
「戦の前に私を遠ざけておられた事も含めて」
「それは」
確かにこの戦が始まるまでの間、意図的に白銀を遠ざけていた部分はあった。
最後は自分一人で陸奥守に挑みたい、と言う気持ちを理由にしていたが、本当はあの重圧の中で白銀が側にいれば、自分は重圧から逃れるために思わず白銀に夜伽を命じてしまうのが分かっていたからだった。
それをすれば、戦の勝ち負けとは全く関係の無い所でとても惨めな気持ちになっただろう。
「ええ、ええ。仰らずとも恥ずかしくてとても口に出せない理由があるのは分かっていますとも。ですが勝手に戦に出て勝手に生死に関わるような深手を負われるのはもうやめて下さい」
「心しておく」
思えば自分の勝手な想いで、ここまで尽くしてくれる白銀を随分と振り回した物だった。
「私はいつ頃動けるようになるだろうか」
「十日ほど馬は難しいと思います」
家長から体を離し白銀が答えた。
「集まっている軍勢は奥州軍を避け少しずつ分かれて常陸に落ちるように伝えてくれ。折を見てそこからもう一度鎌倉に入る」
「はい」
「それと腹が減ったのだが何かあるか?」
「木の実や乾かした獣肉などは」
白銀が自分で取って来たのかもしれない。この関東では食料を村人から調達しようとしても難しいだろう。
他に集まっている兵達がどうやって飢えを忍んでいるのかも気になったが、伊賀盛光がいるのなら乱暴な事はしてないはずだろう。
白銀が取り出した獣肉を自分の口に入れた。
「白銀?」
「かなり堅くなっているので今の家長様がこのまま食べられるのは無理でしょう。湯で戻して柔らかく出来ればいいのですが、念のため落ち武者狩りを警戒して火は使わない事にしているのです」
「だからといって」
「私を遠ざけられた罰です。これも」
珍しくはっきりとした笑顔を作りながらそう言うと、また白銀は体を家長に重ねて来た。口が塞がれる。
考えなければならない事もやらなければならない事も数多くあった。
だが今はしばらくの間白銀に委ねて傷を癒そう、とその唇の柔らかさを感じながら家長は思った。
男女の恋愛の機微を書くのが恐らく一番苦手です。そんな中でこの二人が一番ラブコメしている気がするような。
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