6-4 建速勇人
十数人を斬ったが、鬼丸国綱に刃こぼれは無かった。
具足はもちろん、人間の骨であっても力任せに斬ろうとすれば、刀は悪くなる。だから勇人は実戦では、相手の首だけを狙ってなるべく浅く斬る事で倒すように心がけていた。
刀を上手く使う事を憶えろ、とは最初の実戦で師行に言われた事だ。
今の所、それは上手く行っていた。あの切羽詰まった戦いの中でも、無理なくそれが出来ていたのだ。
師行自身は刀で容易く人間の首を飛ばす所か両断までしていたが、何故あんな事が出来るのかは、まだ勇人には分からなかった。
際どい戦いだった。
敵の騎馬隊が後方に回り込んで来た時は、ほとんどもう駄目かと勇人も思ったのだ。
共に戦った旗本達は勇人の戦いぶりを称賛していたが、何とか小夜を守り切れたのはそれよりも凄まじい奮戦で敵の中央を押し込んだ和政と迅速に反撃に転じた行朝、そして後方に回り込んで来た騎馬隊を短時間でも止めた楠木正家の働きがあったからだ。
それが、斯波家長を一気に勝負を付けなくてはいけない状況に追い込んだ。もう少しだけ時間を掛けたじっくりとした攻めをされれば、とても凌ぎ切れなかっただろう。
終わってみれば戦は形としては大勝になっていた。斯波家長が退いたのを機に敵は崩れていき、相馬胤康を始めとした名のある武士を何人か討ち取っていた。ぎりぎりまで前に出ようとしてそのまま殿を務めた伊賀盛光がいなければ、斯波家長の首を取れていたかも知れない。
斯波家長には相当の深手を負わせたはずだが、あれで殺せたのかどうかは分からなかった。
想像した以上に鋭い打ち込みで、それを受けるためにこちらが踏み込み切れなかった、と言うのもある。だがそれ以上に、まだ少年と言ってもいい歳の相手の命を奪う事に、どこか躊躇を感じてしまったのかもしれない。自分と五郎の間にいるような年齢なのだ。
あの傷で生き延びられるかどうかは、斯波家長の運だろう。
斯波家長と言う名前を、元居た時代で聞いた事はほとんどなかった。本来の歴史ではいつ死ぬ事になっているのかも、勇人は知らない。
奥州軍はそのまま鎌倉に入った。日和見をしていた武士達がまた集まってきているが、小夜は長く鎌倉に留まるつもりはないようだ。
「激しい戦になったな、勇人」
鎌倉で朝雲の世話をしていると、行朝が声を掛けて来た。供をして陸奥を回った事もあるが、征西に加わってからはあまり会話する機会は無かった。そもそも戦に関して普段はあまり語りたがる事をしない少し変わった武士なのだ。
宗広も相当に穏やかな武士だが、宗広が普段は勇猛さを覆い隠しているのに対して、行朝の方は戦の時だけ無理に勇猛さを絞り出しているように見えた。
「斯波家長が側面を衝いて来た時は負けたと思ったよ。陸奥守様の介入が無ければそれがしの率いる軍は全滅していたと思う。お前の働きにも助けられた」
「あれは、どうしようもない動きだったと思います。あの瞬間、斯波家長は顕家様すら凌いだ動きをしていました。それに、その後の行朝殿の動きが無ければ、こちらの方が危なかったでしょう」
「誰に取っても際どい戦だった、そう言う事だな」
結局勝てたのは、和政を始めとする諸将が自分の為すべき事を見極めて、迷う事無くそれを全力で行ったからだ。そして小夜は咄嗟に全体の戦況を見極め、自分の配下達がそれを出来る事に賭けて自分の身を危険に晒した。楠木正家の動きだけは小夜の想定以上だったかもしれない。
だから実際には大勝でも、斯波家長に勝った、と言う思いには誰もなれていないのだろう。誰も戦場を支配は出来ておらず、ただ全員の力で、辛うじて負けずに済んだ。それがそのまま勝ちになっただけだった。
斯波家長の敗因は、小夜が宗広や行朝と言った武士達との間に築いたほどに強固な関係を相馬や佐竹相手に築けていなかった事だろう。それは恐らく時間だけの問題で、斯波家長自身の何かが劣っていた訳では無い。
「そう言えば、佐竹の下に伊賀盛光殿がいた」
「かなり奮戦しておられましたね。行朝殿も苦労されたでしょう」
「一人だけ見ている物が違うように思えたな。手柄を求めているようには見えなかったが、最後に退いていく斯波家長を守って戦う様は当たるべからず、と言う勢いだった」
「本音を言えば、顕家様に陸奥に戻ってもらいたかったのでしょう、盛光殿は。そして陸奥に戻った後、顕家様をそこに留め続けるために、斯波家長にも生き延びてもらわなくてはならなかった」
「そんな所だろうな。相も変わらず、不器用な男だ」
「斯波家長に、名前を呼ばれましたよ。建速勇人だな、と」
「ほう」
「盛光殿がそんなどうでもいい話を、斯波家長相手にされた、と言う事でしょうね」
「最早お前の事がどうでもいい存在だとは少なくとも陸奥守様の側にいる者は思っていないだろうがな。まあ、言いたい事は分かる。軍議や評定の場で出てくる話では無いからな」
個人的に奥州軍の陣容に付いて話を聞くぐらいには、斯波家長は盛光の事を信用している、という事だった。
「盛光殿も、辛い立場でしょう」
「やはり不器用な男だ。そして、いい主に恵まれ過ぎている。ある意味贅沢な話ではあるな」
「行朝殿は、盛光殿と同じ事を考えられた事は無かったのですか?陸奥は天下に関わらず、ただ顕家様の元で民を豊かにしていけばいい、と」
「正直考えないでもなかったがな。だが、天下の乱れを収めるために陸奥の民が苦しむ事は無い、その考えは突き詰めていけば最後には自分一人さえ豊かで幸せであればいい、と言う所に至ってしまうのではないか」
「それは」
「いや、極端な事を言っているのは分かっているよ。ただ、政の理想と言うのは皆で痛みを分け合い、本当の堪えられない程の痛みを受けている民を救う事だとそれがしは思っている。そのためには国と言うまとまりは必要で、そしてそれは容易く割ってはいけない物だ、と言う気はする。何をもって国とするか、と言うのも難しい話で、それはまた別の問題になるのだが」
「その話、盛光殿には?」
「した事は無いよ。国を割るなど、普通に考えれば朝廷に対する反逆だろう。もっとも今考えれば、あの男とはその辺りまでもっと突っ込んで話しておくべきだったかもしれないが」
「全ての武士が、行朝殿か、あるいは師行殿のようであれば、この国は上手く収まったでしょうにね」
「おい、それがしとあの男を同列に並べるな。さすがに怒るぞ」
行朝はそう言ったが、顔は笑っていて実際には怒っている様子では無かった。
一見すると真逆に見えても、政治と武士の関係、そして国の在り様と言う物に関して本質的な所で常に真剣に考え続けている、と言う点で恐らく師行と行朝はとても良く似ているのだ。
そこが似ているからこそ、表向きは反りが合わない事が多いのだと言う事が、勇人には随分前から何となく分かっていた。
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