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6-2 北畠小夜

 斯波家長が率いる二万ほどの軍勢が相模の片瀬川沿いに布陣していた。

 足利、斯波の一族郎党や譜代の軍勢以外に、相馬と佐竹が主力になっている。関東一帯にも当の昔に京での尊氏敗退の報は届いているはずだが、それから来る動揺のような物は外からは見えなかった。

 斯波家長は鎌倉を中心にしっかり関東の武士達を纏め上げ続けている、と言う事だろう。

 三河に入ってから少しずつ行軍速度を上げ、駿河からはかなりの強行軍になっていた。しかしそれで不意を突けるほどの甘い相手でもなかったようだ。

 もっとも、最初からそこまで不意を突く事を期待して兵を駆けさせた訳でも無い。今の関東はほぼ敵地と言って良く、斯波家長が出陣すれば時が経つ毎にそこに武士が集まってくる。敵に時間を与えない、と言うだけでも急ぐ意味はあった。

 あの行きの道程の強行軍を生き延びて戦い抜いた兵達だ。全体として駆ける力は驚くほどに伸びている。そして駆ける事によって実戦に備えて体を馴らす、と言う事も自然に出来るようになっていた。

 対岸で軍を一度止め、諸将を集めるのを待つまでの間、小夜は勇人と二人で敵軍を見やっていた。


「敵は二万、と言った所かな」


 勇人が馬上で呟いた。

 数の上ではほぼ倍の不利だが、小夜はそれはあまり気にしていなかった。軍勢の持つ力、と言うのは実際にぶつかってからでないと分からない物だ。同じ二万の軍勢であっても、兵一人一人の力や装備、士気、上に立つ者の能力や心構えで出す力には雲泥の差が出る。

 勇人も今更、相手が倍の数と言うだけで臆する事はしないだろう。


「今度は、上手くやり過ごす、と言う訳には行かないと思う」


 兵を分散させて密かに渡渉し迂回させる、と言うのは現実的ではなかった。ただ軍勢を通せばいい、と言う訳ではなく六の宮を守らなければならないからだ。

 そしてこの先再び乱れ切った陸奥に戻って治め直す事まで考えると、ここで斯波家長を出来れば討ち取るか、それが出来なくても合戦で勝利し、鎌倉を再び奪った、と言う形は作っておきたかった。例え保ち続ける事は無理でも、やはり関東、そして陸奥の武士達は鎌倉と言う物に対して敏感に反応する。


「斯波家長はどんな相手だい?君より若い足利一族の御曹司だとは聞いたけど」


「天才、かな。実際に会って話してみて、そうとしか言いようが無い物を私は感じたよ。それも、成長し続ける天才だと思う。師行さんの見立てでも、私と互角だって言ってたね」


「そこまでの相手なのか」


「師行さんがいなきゃ、彼を征西中どうやれば抑えられてたのかは正直、分からない。そもそも征西出来てたかどうかも怪しかったと思う」


 それでも、斯波家長はどこかで小さい、とも小夜は思っていた。本人の器や才覚の問題でなく、武士として、そして足利一族としての自分に、どこかで縛り付けられているように見える。

 だから小夜よりも劣っている、と言う訳では無かった。むしろ小夜は斯波家長に惜しいと思う物を感じている。

 生まれ持った立場と背負っている物が違う、と言う言葉で片付けるのは簡単だった。そしてその言葉で片付ける事が出来ない物が、斯波家長にはあるのだ。

 同じ足利の人間でも尊氏や直義には感じない物だった。斯波家長の何が自分にそう感じさせているのかは、言葉にするのは難しい。


「敵には、伊賀盛光殿もいるらしいね」


 勇人が話題を変えて来た。


「うん。自分から参陣して来たのか、それとも敢えて家長君が呼び付けたのか。どっちにしろ、手強い相手になると思う」


 伊賀盛光と戦う事自体に躊躇いは無かった。それも巡り合わせだ、と思うしかない。

 ただ、京で帝の真意を聞いた今となっては自分も陸奥から遠征した事の意味にかなりの疑問を感じているのは皮肉としか言いようがなかった。

 農夫が一人近付いて来た。

 農夫のように見えるが、農夫ではない。周囲はいつもの通り和政の下で旗本達が固めているのだから、ただの農夫が近付ける訳がなかった。

 鷹丸だった。配下の忍びの一人である。しばらくの間小夜の影からの護衛を担当していたが、楓が負傷してからは陸奥に戻って師行との繋ぎの役目を変わっていた。

 農夫に紛れ込むには少し不便に思えるほどの整った顔立ちをした若い男だった。腕はかなりいいはずだ。


「鷹丸。何かあった?」


「南部師行様よりの言伝でございます。斯波家長の騎馬隊に用心されよ、と」


「それだけ?」


「はい。伊達領での合戦では斯波家長自身が率いる二千の騎馬隊が見事な動きをしておりました故、その事かと」


 鷹丸には他の忍び達と違い自分の考えを先走って語ってしまう所があった。影太郎や左近は自分の考えを語る事にはもっと慎重だ。そして楓は自分の考えを語っているようで、本当は喋っている相手の考えを引き出し、それをまとめさせるような言葉の使い方をする。

 敢えて咎める程ではなかったが、それでもいつもそれは少し気になった。


「楓の怪我の様子はどう?」


「酷い物でしたがひとまず自力で物は食べれる程度には回復しました。ただ何分にも肺腑の傷ですので以前のように動けるかどうかは分かりませぬ」


「そう。この戦の推移を見届けてからまた陸奥に戻って。師行さんには、陸奥に戻ったらすぐに小高城を攻める、と伝えて」


「はっ。小高城、ですか」


「小高城を叩けば、それで白河から南で起こる叛乱は中心になる物を失うからね。南部の兵を出すかどうかは師行さんの判断に任せるよ」


「はい」


 本当は師行相手であれば小高城を攻める、と伝えるだけで充分だろう。ただ間に入るのが楓ではなく鷹丸だと、あまりに少ない言葉は齟齬を生み出しかねない気がした。鷹丸は自分で小夜の考えを推し量り、それを師行に伝えかねない。

 間違いなく力量はある忍びだ。それは認めるしかなかった。

 鷹丸は頭を下げると、ちらりと勇人の方を見てやはり頭を下げ、それから正面から堂々と警護の陣を抜けて言った。


「何だかちょっと苦手みたいだね、彼の事は」


 鷹丸の姿が見えなくなってから、勇人が言った。


「腕はいい忍びだよ。機転も利くと思う。優秀な人間が、皆自分と相性がいいとは限らないってだけの事だと思う」


「顔は、格好いいのにな」


「それこそ、どうでもいい事だよ」


 本当の所、男の顔の美醜が全く気にならないかと言えばそれも嘘になったが、それ以上に人と向き合った時はいつも他にもっと見なくてはならない部分が多過ぎた。

 そんな事を話している内に、軍議の準備が整った。宗広と行朝を始めとした主だった武士の他に、京から加わって来た楠木正家がいる。

 正家は常陸まで奥州軍に同行する事になっていた。率いる兵は三百に満たない数だが、楠木勢らしく良くまとまった、そして柔軟な兵達だ。

 正家自身の力量は京では見る事は出来なかったが、あの正成が代官として送るのだから相応の武士ではあるのだろう。


「敵の布陣はそれほど河を頼みにしているようには見えませんな」


 宗広が口を開いた。


「河を頼りに守ろうと思えば、そこに兵が縛り付けられる。川沿いに布陣しているのは構えだけで、実際にはこちらが河を渡るのを待ってから動きで戦うつもりだろうな」


「つまりただ鎌倉を守るのでなく、ここで勝つ、と言う腹積もりで出て来ている訳ですな」


 他の者達は宗広と小夜のやり取りをまずは黙って聞いていた。無論、迂回して戦いを避けよう、などと言い出すほどに戦の機微の分からない者はこの軍議の場にはいない。全員が陸奥の叛乱制圧でも征西でもそれなりに戦い抜いて来ているのだ。


「六の宮はどの軍勢で守りますか?」


「宗広に任せたいと思う」


 宗広と行朝、どちらに任せるか少し迷ったが、やはり想定外の事が起こった時の腰の強さを考えれば宗広の方に一日の長があるように思えた。

 恐らく斯波家長は本気で六の宮を狙う事はしないだろう、と言う予感もあったが小夜はそれを口には出さなかった。戦の時には敵の様々な事を読み様々な想定をするが、それを前提にして戦う事はしない。


「では、顕家様が中央に?」


 和政が口を開いた。六の宮を小夜が率いる軍勢で守らないのは、自分が主力になって戦う、と宣言したのと同じだった。


「中央に私。左翼を宗広、右翼を行朝。和政は中央で先陣を務めよ」


「はっ」


 和政が少しほっとしたような顔を見せた。また自分と離れて軍を指揮する事を命じられないか不安だったのだろう。

 今回の戦は全軍で一万二千だった。あまり細かく指揮を分ける必要も無い。逆に言えば指揮をする者の力量がそのまま戦に出て来る。

 それから諸将を各隊に割り振って行った。正家は小夜の軍勢のさらに後方に置いた。その気になれば自由に動ける位置である。まずは自分に見える所で好きにやらせて力量を見極めよう、と思っていた。

 布陣を終えてからの河を挟んでの対峙は、それほど長く続けなかった。

 和政が先頭に渡渉し、両翼から少し遅れて宗広と行朝が続く。こちらが動いても敵に動揺は見られなかった。無理に渡渉を妨げようともせず、正面から迎え撃つ構えを崩していない。

 敵は中央に斯波家長。両翼の主力が相馬と佐竹で、宗広が相馬に、行朝が佐竹にそれぞれ当たる形になる。騎馬は全部で四千ほどだった。斯波家長の中央に二千。そしてそれ以外に二百ずつほどの騎馬が細かく分かれて配置されている。

 和政が敵の前衛とぶつかり始めた。斯波家長は騎馬隊を動かさず、堅く組んだ徒の陣を前に出して来ている。

 相馬と佐竹の動きは鈍かった。宗広と行朝はそれぞれが横に広がり、半ば側面を衝くようにして両翼を攻め立てている。特に行朝は短時間でかなり敵を押し込んでいた。

 小夜は和政の後方で残りの主力を率いて、じっと戦況を見ていた。

 まずはこちらが押していた。兵数で劣っていても、征西を戦い抜いた奥州軍は兵一人一人の力も実戦での連携も上がっている。しかし沈黙するように動かない斯波家長の本陣が不気味だった。

 敵の中央の騎馬隊がどう動くか。小夜はじっとそれに集中していた。自分が斯波家長なら、どこかで騎馬隊を動かし、宗広か行朝の側面を衝く。それを自分が抑え込めるかどうかだった。

 そう思っていたら、突然敵の徒が道を開けるように二つに割れ、そこを騎馬隊がまっすぐこちらに突っ込んで来ていた。

 意表を衝く気か。だが単調な動きだった。小夜は旗本を中心にした残りの兵を駆けさせた。和政も慌てる事無く攻めから受けの構えに転じている。

 和政と合流し、斯波家長の騎馬隊を受ける。水の流れが岩にぶつかるように、敵の騎馬隊は散らばって行く。また一つになった敵の徒も続けざまに押してくるが、合流した分こちらの押し返す力は強くなっている。

 何かおかしい、と感じた。敵の騎馬隊にまとまりが無さ過ぎる。そのせいで却って乱戦に近い形になってしまっている。


「顕家様、妙です」


 同じ事を感じていたのか、前線で太刀を振るっていた勇人が馬を寄せて来た。


「何か、はぐらかされている感じがします。敵の騎馬隊、一人一人は強いですが妙にちぐはぐでまとまりがありません」


「まさか」


 そう呟いた時、敵の徒の後方に不意にもう一つ新たな騎馬隊が現れていた。その中央に斯波の旗が上がっている。

 本当の斯波家長の騎馬隊。二百ずつほどで細かく配置されていたのがそれだったのだ。諸将から集めた寄せ集めの騎馬隊を中央に置いて、自分を動かすための囮に使った。そして戦闘の中で、斯波家長を中心に二千が集結している。

 斯波家長の騎馬隊が動き出す。来る。そう思い、太刀を抜こうした。いや、違う。


「勇人、付いて来い。和政、騎馬無しでしばらくの間ここを支えよ」


 そう叫び、咄嗟に旗本を中心に周囲の騎馬隊をまとめて行朝の方へ向かった。まとめられたのは五百ほどだ。

正面の徒が残っている以上、敵はもう一度その陣形を変えなければ直接小夜にはぶつかれない。不意に現れた騎馬隊でどこまでも意表を衝くのなら、自分ではなくやはり宗広か行朝の側面を狙ってくるはずだ。

 行朝の方へ駆けたのは勘だった。行朝は敵を押し込んでいる分、側面が長く伸びている。そこを突然二千の騎馬隊に衝かれれば、総崩れになりかねない。

 斯波家長の二千。先ほどの物とは比べ物にならない程に見事な動きで駆けていた。行朝の軍の側面を真っ直ぐに衝こうしている。

 その先頭に、横合いからぶつかった。

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