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6-1 斯波家長

 眠れない日が続いていた。

 陸奥守の軍勢を西に逃がし、関東に腰を据えて南部師行と向き合う事になってからずっとだった。

 眠っていても大敗の報が届いたり、あるいは戦場で自らが散々に打ち破られる夢を見て飛び起きるのだ。

 目を覚ましている時も常に戦の事を考え続けているので、気が休まる時は無かった。

 見える物だけ見れば、強大な敵を相手にしていると言う訳では無い。

 自分が直接抑えている関東は無論として、陸奥守がいなくなった陸奥でも目に見えて足利の勢力が強くなり、南部師行と多賀国府はほとんど孤立していると言ってもいい状況だった。

 それでも家長自身が大軍を率いて陸奥に攻め込んで多賀国府を落とす、と言う事が出来なかったのは、未だに鎌倉を伺う姿勢を見せていた北条時行が不穏であったからでもあるし、それだけの軍勢に城攻めをさせるための兵糧が集められなかったからでもある。

 そして何より家長自身が情勢を読み切れず、そこまで大きく動く踏ん切りがつかなかったからだった。

 せめて陸奥守がいない内に、南部師行だけでも討ち取るために全身全霊を込めて騎馬隊を作り上げ、必死で作り出した機を狙って戦を仕掛けたのだが、それすらも南部師行に巧みにかわされて失敗した。

 今思い返せば、確かにあの時は乾坤一擲の勝負に出る時だったのだ。

 奇襲に失敗した時点で、自分の気持ちの中でそのまま戦を続ける事に対する迷いが生まれていた。そしてその迷いが、丘の上に寄り続けた二百五十騎に対する怯えに繋がった。

 丘の上の二百五十騎を動かさない限りは、南部師行は勝てない。あの時そう思い定める事さえ出来れば、勝てていたのではないか。戦を思い起こせば、今はそう思う。

 南部師行さえ討ち取れば、そのまま陸奥の朝廷勢力を押し潰す事は、難しくなかっただろう。

 終わった戦の決断を嘆いても仕方のない事だった。戦は正面からの力を出し切っての押し合いが勝負を決める時もあれば、一瞬の決断や指揮する者の些細な気持ちの揺らぎが全てを決する事もある。

 そしてそんなほんのわずかな差の負けであっても、取り返す事が出来ないのもまた戦だ。

 全ては自分の至らなさが招いた事だった。陸奥守を逃がしたせいで尊氏は大敗し、次は陸奥も制し切れないまま背後に南部師行を残して、戻って来た陸奥守とまた向かい合う事になっている。

 従っている武士達の中で、自分の能力について陰で色々な事を言っている者達も出始めていた。失策ばかり重ねているのだから当然だ、と思おうとしていたが、それも気になってしまう。

 西から戻って来た陸奥守に備えるようになってからは、食事もろくに喉を通らなくなっていた。食べなければ周りの者達が心配するので何とか喉に詰め込んだが、後で吐いてしまう。

 自分はこれほど弱い人間だったのか、と打ちひしがれる日々だった。恐怖と屈辱と惨めさで押し潰されそうになる。それほどに陸奥守と南部師行から受ける重圧、そして関東における足利勢力を一手に担っていると言う事から来る重責は耐え難い。

 足利の名家に生まれ、幼い頃から神童と謳われた。大抵の事は人より優れている自負があった。それに己惚れる事なく、ずっと厳しく自分を律し、鍛えて来たつもりだった。

 今はそれらが全て、実の伴わない空虚な物だったのだ、と思えてくる。

 挫折感、などと言う物では無かった。今までに積み重ねてきた自分と言う人間そのものが、否定され、打ち砕かれていた。

 そんな打ち砕かれた自分の中に、本当はまだ砕け切っていない自分が少しだけ隠れていた。苦しさしか無いはずの南部師行や陸奥守との戦を、心のどこかでわずかに楽しんでいる自分がいた。


「陸奥守の軍勢の陣容はどのような物になっていると思う、盛光」


 東に戻ってくる陸奥守を迎え撃つために鎌倉で関東の兵が集まるのを待つ間、軍議とは別にたびたび伊賀盛光を召し出して家長は話を聞いていた。

 関東で足利に従う外様の武士達の中では佐竹と相馬が最有力の豪族だったが、家長はこの宮方から寝返って来た磐城の武士をどこか気に入っていた。

 自分を飾って大きく見せようとする所が無く、いつも足元を見ているような所がある。そして陸奥守の事を良く知っていて、今でも本当は陸奥守に心酔している事を、時に隠そうともしない。

 陰鬱と言ってもいい雰囲気を漂わせている男だった。その陰鬱さは、自分が背負っている物を常に真剣に考えていると言うひたむきさから来るのだ、と家長は思っていた。

 陸奥守は今は駿河に達している、と言う注進が入っている。兵は約一万二千。


「陸奥守様麾下の兵が三千。これを陸奥守様ご自身が指揮される他、時に応じて近侍の上林和政殿が一部を率いる事もあります。後は結城宗広殿と伊達行朝殿が侍大将として残る主力を率いておられるでしょう」


「征西した時と比べると、北畠親房卿がいないのが大きな違いだな」


「北畠親房卿は義良親王の輿を守る軍勢を率いておられましたからな。それを守る役目を帰りにはどの将に任せるか、と言う事に心を砕いておられるかもしれませんな」


「そこが隙になるかもしれないな」


「確かに。しかし実際には大きな隙にはなりますまい」


「何故だ?」


「家長様は、未だ十歳にもなられぬ幼い親王を討つ事によって戦に勝つような事はされますまい」


 笑いもせず、盛光はそう言った。


「言ってくれる」


 言われてみれば、その通りではある。自分がいざ戦場に立って陸奥守と向き合っても、実際に親王を狙う事はしないだろう。

 征西の折、盛光も関東で奥州軍を足止めするために戦を仕掛けていた。その時は盛光はあからさまに親王を標的にしていたのだと言う。

 親王さえ押さえれば、陸奥守は征西を中断せざるを得ない。どこまでも時間稼ぎだけが目的で、あの時の盛光にはそもそも戦に勝つ気などなかった、と言う事だ。


「私も多少は、盛光に認められてきた、と思う事にするか」


「それがし程度が家長様を認めるなど、畏れ多い事でございます」


「他に何か奥州軍で気に掛かる事はあるか、盛光」


 今でも心の中で自分と陸奥守を秤にかけているのだろう、と言う言葉を飲み込み、家長は別の事を尋ねた。それは自分と陸奥守の器の戦いの内の一つでしかなく、盛光に何か言っても仕方が無い事だ。


「一つ、些細な事ですが」


 少し迷うような顔をした後、盛光が口を開いた。


「何だ?」


「陸奥守様の側に仕えている者で、面白い男が一人おりました。ある日唐突に陸奥守様に拾われて仕える事になり、南部師行殿や伊達行朝殿等に鍛えられていた若い男です。短期間で驚くほどに腕を上げていましたが、もし征西から生きて戻って来るとどんな男になっているのか、何故か無性に気に掛かりますな」


「武士か?」


「いえ、それが何とも曖昧な男でして。ただの流浪の民ではありませぬ。しかし武士でも忍びでもなく、無論公家でもない。それがしが今までに見たどの人間とも違う雰囲気が、どこかに漂っておりましたな」


 確かに些細で、曖昧な話だった。それでも盛光が敢えて語ったと言う事は、それだけ気に掛かる物があったのだろう。


「名は?」


「建速勇人、と」


 心当たりのない氏姓だった。


「陸奥守の側に、南部師行によって鍛えられた者がいる。今はそう言う話として、心に置いておこう」


 家長がそう言うと、盛光も頷いた。

 二日後、集まった二万の軍勢を率いて鎌倉から進発した。奥州軍は相当な速度で箱根の坂を越え、鎌倉に迫りつつある。

 ここで再び陸奥守が陸奥に入る事を許せば、今度こそは誰にも手出し出来ないほどの勢力を陸奥に築いてしまいかねなかった。この先の西の情勢がどうなるにせよ、それだけはまず止めなくてはならない。

 相変わらず良く眠れなかったし、取れる食事の量もどんどん減っていた。しかし何故か、実戦の気配が近付くにつれ、気力だけは充実し始めていた。征西から戻って来た奥州軍がどんな陣容になっているのか、それを自分の目で見る事がどうしてだか楽しみになっている。

 自分は恐怖と重圧のあまり狂っているのかもしれなかった。それなら、それでもいい。正気のままで陸奥守や南部師行は凌げないと言うのなら、狂うしかなかった。

 気付けば、白銀が側にいた。

第六章開幕。

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