5-20 北畠小夜(5)
「さすがに聡いな、親房。その通りだ」
帝が小さく笑いながら頷いた。
「世を乱れさせ、武士同士の争いによって武士達を疲弊させる。しかしそれによって消える程、武士達は弱くはありますまい。いたずらに民を苦しめるだけの結果になるでしょう」
「今までのようなどこか煮え切らぬ戦乱であるならば、そうであろう。しかしこの国を未だ見舞った事が無い真の乱世であるならば、一度この国を完全に壊し、そこから生み直す事が出来るかもしれぬ」
「酔われておいでですか、主上」
「酔っておるやもしれぬな、理想に。しかし理想に酔いたくもなる程に、この世の現実の在り様が酷過ぎる」
「非礼を承知で言わせて頂きます。政によって世を正す事を諦め、敢えて戦乱によって何かを為そうとするなど、為政者としての責務を放棄するに等しい事であると思われます」
「それは、分かっておる。しかし、考えに考えたのだ。どのようにすればこの国を泰平の世に出来るか、考え尽くした。そして政の力では何も変えられぬ、と朕は悟った。この先何百年も、武士が争う時代が、この国が真に一つにはなれぬ時代が続くぐらいなら、一度全てを壊した方が良い。蒙古が内乱で混乱し、新たな大陸の覇者も生まれておらぬ今であれば、それが出来る」
「尊氏を最後は敢えて逃がすよう新田義貞に命じたのも、そのためですか」
今まで黙って話を聞いていた五辻宮が、わずかに舌を鳴らすような音を出した。帝も一瞬虚を突かれたような表情をし、それから感嘆の声を上げる。
「そこまで、気付いておったか」
「当たっておりましたか。言ってみる物ですな」
「こやつめ」
帝が笑った。その笑いにはどこか乾いた物も混ざっている。
必死の思いで奥州から駆けて来た。途中で民から食料を略奪する事も、行軍で兵を死なせる事も、京での熾烈な戦いも、ここで尊氏を討つ事が少しでも世を良くする事に繋がると信じての事だった。
征西軍を出して尊氏を討つべし、と言う綸旨を出した帝本人から、それを否定された事になる。
しかし自分もまた、心のどこかでずっと征西の大義に疑問を抱いてはいなかったか。
本当に払う犠牲に見合うだけの事が為せると自分は信じていたか。偽りの鼓舞の言葉で兵達を動かしてはいなかったか。
自分にこの帝を糾弾する資格は無いのかもしれない。
頭の中でさまざまな事が往復していた。親房が自分を話から一旦遠ざけてくれて良かった、と小夜は思った。直接この会話に踏み込んでいれば、感情的になり、そのまま呑み込まれていただろう。
「義貞の事は、悪く思うな。あれはただひたすら朕の命に従う事だけが忠誠であると思い定めている愚直なまでに見事な武士であるだけなのだ。義貞には義貞の苦悩もあろう。そして全ての武士が義貞のようであったならば、とも思う」
「では我らにも、主上の意に従い、乱世を収めるためではなく、この国を壊すために戦う事をお望みですか」
「お主も顕家も、ただ朕の意のままに従い戦をするような器ではあるまい。自らの志に従ってこの国にとって良いと思うように戦えば良い。朕を敵とする事も、また良かろう。義貞は真なる忠臣ではあるが、しかし朕が望むのは顕家や尊氏のような自らの志の元に戦う英傑なのだ。そのような英傑同士が志をぶつけ合う果ての無いような戦いによってこそ、この国は壊れ、生まれ変わるであろう」
「それほどに武士と言う物が力を持つ今のこの国をお認めになれませぬか、主上」
「朕は武士を憎む」
帝ははっきり言い切った。
「いや、武士だけでなく、公家も、朕自身も含めた代々の帝すらも憎む。神武天皇より朕に至るまでの九十五代までの間、この国の上に立つ者達は何をして来た。上は帝から下は土豪の武士に至るまで、いたずらに争いを繰り返し続け、民を苦しめただけではないのか。生まれながらにその血によって尊いとされて来た者達の中で、それに見合うだけの働きをこの国のためにして来た者がどれほどいたのだ」
小夜は勇人から聞いた七百年先のこの国の事を思い出していた。
七百年先にはこの国には武士も公家もいなくなる。人の上に立つ者達は制度としては血によって選ばれる事は無くなる。
帝が目指しているのはそれなのか。
しかし戦によってこの国を壊す事によってそれが実現できるのか。そして仮に実現した所で、やはり政に付きまとう人の消し難い愚かさは変わらないのではないか。
それとも、この国を血の支配から解き放つだけで、この国は少しでも今より平和で豊かにはなるのか。
「しかし、何故今その話を我らにされました」
「尊氏討つべしと言う朕の綸旨によって兵も民も大きな苦しみを味わったのは分かっておる。顕家も辛い思いをしたであろう。その裏で朕は実際にはこの場で尊氏が死ぬ事が無いよう、帷幕の謀を巡らせて戦を弄んでおった。今せめて親房と顕家にだけは真の胸中を明かすのは、朕なりのけじめである」
「この話を伺って我らがどうするか、その結果までも覚悟されておると言う事ですか」
「朕の理想が誰もが賛同できる物ではないと言う事は分かっておる。朕に帝足る資格無しと思い別の帝を立てようとするも良し、朕の理想をさらに他の者達に広めるも良し、あるいは朕を斬ろうと試みる事もまた良かろう。朕が正しいのか間違っているのか、お主達の器で見極められると思うのであれば見極めて見せよ」
親房も小夜も当然帯刀はしていない。しかし帝の言葉に一瞬五辻宮が緊張を高めたのが分かった。
殺気。身が竦みそうになった。自分を庇うように咄嗟に親房が横に動く。これ、と帝が諫めるような声を掛けた。失礼、と一言いい、五辻宮が殺気を収めた。
わずかそれだけの事で小夜は冷や汗を掻いていた。
五辻宮と言う男、並みの手練れではないようだ。
「済まぬな。この五辻宮は朕の理想を理解し、その実現のために表に出ぬ所で手足となって働いてくれている。本当はこの者はお主達にこの話をするのも、直接自分が顔を合わすのも反対していたのだが、朕が是非にと言ってこの場に引き合わせたのだ」
「それもまた主上のけじめですか」
「朕を敵とするのであれば、この五辻宮もまたお主達の敵とならざるを得ないであろうからな」
そう言ってまた帝は酒杯を仰いだ。
「しかし勘違いはするな、親房、顕家。このただ一度のけじめを除き、朕の敵となるのであれば、もう誰であろうと容赦はせぬ。我が理想を理解せず阻む者は、朕はあらゆる手段を持って打ち破って見せる。護良を死なせた事は本意ではなかったが、その決断は微塵も後悔しておらぬ。お前達もそれと同じだ。朕の敵となるのであれば、それは覚悟せよ」
この帝は厳しく、激し過ぎる、と小夜は思った。他の人間にも、国と言う物に対する考え方も、そして帝足る自分自身にも。
その厳しさと激しさが、妥協を許さない徹底的な変革を求める理想に繋がっている。
しかしそれは、本当に現実を正しく見た上での理想なのか。
「どこまでも我らに多くを、そして難儀な事を求められますな、主上は」
「人の生まれ持った宿命と器に応じた務めであろう、と思う、それは。お主もお主の娘も、あまりに多くを持って生まれ過ぎたのだ。どんな形にせよ、天から与えられたそれを無駄にする事だけは許されぬ、と思う」
帝はここで初めて、小夜の事をお主の娘、と口に出して呼んだ。その事にどれほどの意味があるのか、束の間小夜は考えた。
「今日は召しに預かり、大変に光栄でございました。今までの酒宴より、はるかに実りの多い時を過ごせました」
親房はそう言い、帝に頭を下げた。帝も小さく頷く。
親房は最後まで自分を話に加えさせなかった。帝もそれに対して何も言う事は無い。
ゆっくり考え、自分で答えを出せ、と言う事だろう。
五辻宮の方はもう口を開く事は無く、こちらを探るような視線を静かに刺してきただけだった。
最近は難産で更新が遅れています。すみません。
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