5-7 建速勇人(2)
各隊から注進が届いた。宗広も行朝も無理押しはせず手堅く向き合っているようだ。新田義貞と高師直は正面から激しく押し合っている。側面は敵の堅い守りに楠木、名和、千種などの軍勢が攻めあぐねているようだ。
「さて、夜までにはもう一戦出来るだろうが、次はどう戦うかな。何か二人に存念はあるか?」
「それがしからは何も」
先に短く和政が答えた。小夜が前に出る前提で無ければ戦には勝てない。しかし小夜が前に出る戦い方は和政から進言する訳には行かない。そう言う事かもしれない。
「次は足利直義だけを集中して攻めてみてはどうでしょう?」
仕方がないので勇人は自分が思った事をそのまま口に出した。
「理由は?」
「戦が兄ほど上手くないのは分かりました。弟が危機に陥れば尊氏が必死になって助けようとする事も。先ほどは突然の尊氏の動きに不意を突かれましたが、助けに来る事が分かっているのならこちらが主導権を握る事になります」
小夜が頷いた。
「概ね私も同じ考えではある。だが、と言う事は恐らくあちらも同じように考えているであろう。決め手にするにはもう一つ相手の意表を突くものがいるな」
そう言われ、勇人がさらに考え込んだ時、新たな注進が届いた。楠木勢から援軍として五百ほどの兵が割かれてきたと言う。
その援軍の将を見た小夜が小さく声を上げた。和政も驚いた顔をしている。目の前にいるのはどこにでもいそうな、小柄な初老の武士だ。
「正成。何故ここに」
「側面の上杉勢らはあちらから攻める気があまり無さそうでしてな。しばし正季に任せても大丈夫だろうと思い、こちらに助力に参った次第でございます」
正成と呼ばれた武士は穏やかな笑みを浮かべて答えた。
楠木正成。倒幕の戦の原動力になり、日本の歴史の中でも最高の名将の一人とされている人物のはずだったが、向き合って見ても勇人は特別に強い印象は何も受けなかった。ただ、側に影のように控えている人間達は、恐らく並みの腕ではない。
「こちらは?」
正成が勇人に視線を向けて来た。どう答えていいか分からず、勇人は黙って頭を下げる。
「建速勇人と言う。奥州で私に仕える事になった者だ」
「なるほど。相変わらず顕家様の元には多くの人間が集いますな」
「正成が助力してくれるのであれば願っても無い事だ。直義を狙って敵を崩そうと考えたが、もう一手欲しいと思っていた。正成の考えは?」
「良いお考えかと思います。ではそれがしは顕家様の軍勢の中に紛れ、尊氏の意表を突く事を目指しましょう」
「任せた」
たったそれだけのやり取りで二人の間では戦の段取りが付いたらしく、正成は自分が引き連れて来た兵の中に戻って行った。
「今ので作戦が決まったのですか?」
「大雑把な所は。後は戦いながら考えるしかない。事前に細かく作戦を決めても、そう決めた通りに敵が動く訳ではないからな」
そう答える小夜は先ほどまでよりもさらに楽しげだった。浮かれている、とすら見える。
「浮ついているかな?私は」
こちらの視線で何かを察したのか、小夜は自分からそう訊ねてきた。
「楽しげには見えます」
「楽しいか。そうだな。正成と共に戦える事が楽しいのだろうな。もう負けはしない、と言う思いもどこかにある」
「たった五百ほどの兵ですよ」
「五百で十分だ。正成ならば」
両軍が動いた。次は足利軍の方から攻めてくる。足利尊氏と直義が攻めの軸になって激しく攻め立てて来る。しかしどこか加減した攻めだ、と勇人は思った。どちらかが危地に陥っても、もう片方がすぐに援護出来るように上手く連携を取っている。誘いの意味もあるのかもしれない。
今度は和政の率いる隊の一部を割いて尊氏に充て、小夜と和政が並んで直義隊と正面からぶつかった。直義もその動きを予見していたのか、前回よりも動揺なく応じて来る。そして尊氏は容易く自分を遮って来た隊を蹴散らすと、小夜の背後を突くように向かってくる。
このままではこちらが挟撃される。そう思った時、押し合っている味方の徒の中から、五列に分かれて異質な徒が湧き出して来た。全部で五百。それが小夜の背後を守るように整然と横に広がり、尊氏の前に立ち塞がる。
菊水の旗が五百の軍勢の中から掲げられた。足利勢からどよめきが起こる。
しかしたった五百。そしてあまりに薄い。敵は騎馬を数多く揃えた足利の主力だ。突破されれば一気にこちらが危機に晒される。
小夜は冷静に直義隊攻撃の指揮を執り続けている。和政も動揺は見せていない。
五百の徒が持っていた盾を構えた。木製の細長い盾。そんな物で騎馬隊の突撃を止められるのか。そう思っていると、その盾が不意に塀になった。正成の兵が持っている盾には左右に金属の鉤が付いており、両側の兵が持つ盾と繋げられるようになっていた。それを繋げ、地面に立てれば、塀になる。
突撃しようとした騎馬達はその盾に妨げられ、勢いを殺された所を盾の後ろから放たれる矢に射すくめられている。無理に突っ込んで行った騎馬は、盾の隙間からの槍に突き落とされていった。
たった五百の徒が、数で勝る足利尊氏の騎馬隊を止めていた。熾烈な戦いの真っただ中だと言うのに、そこで線を引いたかのように、戦場が奇麗に二つに分かれている。
「尊氏さんと直義さんにとっては、私との戦いだと思っていた所に、突然不意打ちされた様な物だろうね」
勇人にだけ聞こえるように、小夜は呟いた。正面の直義の軍勢は不意に尊氏との連携を崩された事で大きく動揺している。小夜と和政が二本の矢のように遮二無二全力でぶつかって行く。勇人も考えるのをやめ、渾身の力で太刀を振るった。敵は崩れ始めている。
足利直義。今度こそ逃げ出している。しかし、追う味方を必死で遮ってくる敵は尽きない。
気付けば和政と並んで先頭で朝雲を駆り、直義の背を追っていた。言葉のやり取りは何もなく、自然と遮るために向かってくる者を勇人が引き受け、和政が逃げる直義の背に向けて飛礫を放つ形になった。二人のさらに後ろからは騎射で直義を狙っている味方もいるが、距離がある中、逃げ続ける相手に馬上から当てられる腕の持ち主はいないようだ。
敵もさすがの物で、共に逃げる旗本達は扇のような陣形を背後でしっかり組んで直義を守っている。しかし和政の手が動く度に、衣を剥がすように一人ずつ旗本達が落馬していく。馬を全力で駆けさせながらも、和政の飛礫は外れる様子が無い。そして具足の上からでも、致命傷に近い物を与えているようだ。
三人目、四人目、五人目。後、二人。それで直義に和政の飛礫が届く。和政を止めようと斬りかかって来る敵。斬り倒した。和政は最早そちらを一顧だにしない。ただ足利直義だけに全身全霊を向けている。
六人目。倒れる。視界の端で別の闘争の気配がした。足利尊氏。どうにか楠木勢を迂回してきたのか突破してきたのか、陣形を崩し、半ば分断され掛けながらも凄まじい勢いで向かって来ている。だが、間に合う。足利直義も、本当はここで死ぬ事のない人間のはずだった。討てれば、この先の何かが確実に変わる。変わるはずだ。そう思った。
この時代にはいない人間であるはずの自分一人が戦いに加わるだけで、歴史は変えられるのか。
七人目が飛礫で倒れた。和政の前に半ば身を投げ出すようにして向かってくる武士。頼む、と初めて和政は口に出した。それに言葉を返す事はせず、勇人は太刀を振るう。交差する太刀。その合間を縫うように和政は飛礫を放った。
馬上で足利直義の姿勢が崩れる。やった。そう思った時、足利尊氏の騎馬隊が殺到してきた。包み込まれる。和政と共に二、三人を斬り倒した。数呼吸遅れて小夜が旗本達と共に突っ込んでくる。そのまま乱戦になったが、すぐに後続の味方が続々と合流してくる。
全体の状況としてはこちらの圧倒的優勢になっていた。直義が崩れ、そこから足利軍の全体が崩壊しかけている。尊氏も直義とどうにか合流した後は、そのまま逃げ始めていた。
「和政、勇人。足利直義は?」
小夜が馬を寄せて来た。彼女も返り血を浴びている。
「逃げられました」
和政が一度大きく息を吐き、答えた。
「最後の飛礫、当たっていたのでは?」
思わず尋ねていた。和政が勇人に一瞬目をやり、それから小夜へと視線を戻す。
「飛礫で直義の旗本を七人までは倒しました。最後の飛礫は直義の履いている太刀の柄に当たりました。多少の傷は負わせたかもしれませんが、恐らく逃げ切ったでしょう」
「そうか」
小夜が頷く。
「寸前まで追い込みながら逃がしたのは、それがしの未熟さです」
「いや、良い。何にしろ今日の所は勝った。二人とも良くやってくれた。馬も限界であろう。一度下がるがいい」
宗広も行朝も一気に押し始め、逃げる敵を追い討ちに討っていた。新田勢からも側面を受け持つ名和、千種などの軍勢からも、次々に戦勝や首級の報告が届く。特に新田義貞は戦勝の勢いに任せて押しまくっているようだ。いくつも足利の重臣の首も上がっている。ただ、足利尊氏と直義を討ち取ったと言う報せは無い。
奥州軍に撤収に命令が出る。これ以上は深追いしても仕方ない、と小夜は判断したようだった。直に日が落ちる。一度見失ってしまえば、足利兄弟は落ち延びるためにどんな手段を使う事も出来るだろう。足利軍は未だに大軍で、追撃のために深追いすれば、京で逆襲を受けた新田義貞の轍を踏みかねないのは勇人にも分かった。
和政は無言で唇を噛み締めていた。逃げる相手に背後から飛礫を放つ、と言うのがこの時代の武士にとって褒められた戦い方ではないのは察しが付いた。そうまでしても小夜のためには討ち取らなくてはならない相手だ、と言思いが和政には強くあったのだろう。
「尊氏はもう一度軍をまとめると思う。まだ足利兄弟を討つ機会はあるだろう」
その和政をなだめるように、小夜が小さく呟いた。
面白い・続きを読みたいと思われたら是非ブックマークや評価をお願いします。励みになります。
また感想やレビューも気軽にどうぞ。